さっそく読み始めました「古文入門」。
古文なんて何の役にも立たないから授業でやる意味ないんじゃないか?という時折湧き上がる世間での疑問。
これに答えてくれている。
方丈記も平家物語も「諸行無常」を描いていたけど、
日本語という言葉もまた日本人とともに千年、二千年と生きてきた。
その時間の中で日本語も変わってきた。
明治になるまでは、話し言葉と書き言葉は使い分けられていたけれども、明治以降に試行錯誤を経て、今のような話し言葉と書き言葉が統一されたとのこと。
日本の歴史では、今のように言葉が統一されたことが初めてで、その時代しか知らない私たちにとって、古文は訳わかめなものになってしまった。
それに話し言葉は時代の流れとともに変わりやすく、一方で書き言葉は時代の影響を受けにくかった。
けれども今は話し言葉と書き言葉は統一されていることから、日本語の変化のスピードもこれまで以上に加速していくことが予想されます。
そんな中で、日本語の現在地を知るために古文は大いに有用である、とのこと。
それは言葉とともに日本人がブレずに生きていくためにも古文を知ること、理解することは大切だと思いました。
自分が何者か、を知ることは生きてくうえでとても大切。
そのアイデンティティの一つとして「日本人」と「日本語」は無視してはいけないものだと思います。
最近ではグローバル化という言葉も言い古され、SDGs(持続可能な開発目標)、LGBTQ(ざっくり「性的少数者」)、DE&I(ダイバーシティ・エクイティ&インクルージョン 多様性、公平性、包括性)という言葉がキーワードとして語られ、注目されています。
これからは自分が何者か、という土台を整えることがもっともっと大切になる気がします。
もし、それをせずに波に乗ることだけをしていたら、波を乗りこなすよりも、ますます混沌とする時代に翻弄され、渦中に巻き込まれ、波に飲み込まれてしまいそうです。
そんなことを考えなくても、単に古い日本語に触れて、お話しの中をイメージして、よりダイレクトにお話の世界を楽しみたい。それは少しずつコツコツ続けると、日本文化を理解する、楽しむ筋肉になる
古文と日本史を理解するために、解説書をこの先も読み進めたいと思います。