西洋占星術の大好きな「まゆちん」先生のブログ。
木星期の年代の私にとって、優しく励まされて、奥深い記事です。
算命学でもそれぞれの年齢域に該当する、年代を意味する十二大従星があるけど、西洋占星術のように特定の年齢層の人は「これ」というのではなく、一人一人違います。
12種類の星を3つの年代区分に当てはまるので、計算すると、220とおりあります。
https://keisan.casio.jp/exec/system/1161228812
木星期、45〜55歳は、東洋占星術では初年期、中年期、晩年期の3つの区分でいう中年期の終わりの方です。
晩年期をおよそ60歳からといっているので、中年期から晩年期へ向けて、グラデーションかかって少しずつ、十二大従星の特色やエネルギーが移り変わっていっています。
西洋占星術での木星は、発展・拡大を表す惑星。
この年代だと、人生折り返し地点を意識して淋しさを感じてしまいますが、その木星期という年代は、自分自身にフォーカスを当てるだけでなく、太陽系全体に目を向けて、他の惑星の水星、金星、火星、土星、天王星etc…を意識してみる。
そうすると、それぞれの星の役割が見えてきて、その発展・拡大は自分ひとりのため、という意味を含んだ、他の世代の人たちとの関わりの中での発展・拡大なのだなー、と解釈しました。
算命学では、すべての人が中年期には中年期を象徴する星が巡ってくるとは限らないので、人によっては、この時期に生まれる前を意味する星や老人を意味する星などが巡ってきます。
それは初年期や晩年期にも同じことが言えます。
現実の年齢と巡ってくる星の意味に矛盾がある人がいるのです。
220とおりの組み合わせの複雑さがあるので、こういう矛盾する星を持って生まれる、生きる人たちがけっこうたくさんいるのです。
その矛盾とどう向き合って生きていくのか、というのも生きる意味の中に含まれているのだと思います。
個人的なことをいうと、私は初年期、中年期、晩年期、どの区分にも老年を象徴する星を持っていないですし、晩年期は若い新入社員に例えられる天南星を持っています。
なので、そんなパワフルな世代に少しずつ足を踏み込んで行ってるのを感じるので、木星期は発展・拡大というイメージがストン、と入ってきました。
そしてそれは自分ひとりのことであるとともに、同じ時代を生きるさまざまな世代の人たちとともにあることで、さらに意味を持つのだと思えてきました。
占星術って合理的、科学的根拠のないものとか言われがちですが、パーソナルな意味付けだけでなく、世代や社会にスケールを広げて見てみると、すごく意味のある、生きる真理を見せてくれる存在なのだなー、と感じました。
まゆちん先生のブログでいろいろイメージ広がりました