先週、9か月ぶりくらいに参加した集まりで、いろんな人の話を聞いたり話したりして、とても楽しくて有意義な時間でした。
いろいろ話を聞いたりして思ったことは、人が育つ家庭って本当に大事なんだなぁ、ということ。
私の育った家庭は、両親が昔の人なのもあり、非常に昭和的でした。
父は決してマイホームパパ(昭和的な言葉)ではなかったし、母も小さな私にとっては怖くて、末っ子なので兄たちには敵わなくて小さくなったこともありましたが、基本的に見守られて育ててもらったなぁ、みたいに思います。
父は家ではいつも一番で、それは父への感謝の表現だったし、そういうもの、という感じの秩序。
同居していなかったけど、祖母の存在も大きかったかも。
目上の人や見えないものや見えない人たち(知らない誰かやご先祖様)、見えないものに感謝する気持ち。存在を慮る、想像すること…同じことを繰り返すように会うといつもそう言っていた。
いっほうで普段の自分の生活を振り返ると、テキトーだし、楽ちんがいいし、特に人間関係はめんどくさくないようにスムーズにしたいし、もっと自由に、フラットでいたい、好きにさせてほしいなんて思うことも多い。
昭和的な価値観からは距離のある生活。
そのこころは、圧を避けて人間関係にモヤモヤしたくないだけだったり、単にワガママで自分勝手だったり、他人のことなど大して関心がない、という堕落した態度というブザマさがある。
そんな体たらくでも、いろんな人のおかげで新米が食べられるとか、スマホのような小さなものではなく、道路や新幹線が開通したら、めちゃ便利になって、地域のいろんな人たちが喜んでいることがめっちゃ嬉しかったり、となるのは、育った家庭で教えてもらったあれやこれのおかげ。
そして嬉しいだけじゃなくて、怒る時にはちゃんと怒ることもめっちゃ大事。
ちゃんと怒れないと、喜びも悲しみも悩みも恐れも歪になる。怒ってくれた人たちのおかげで大人になれるから。
世の中には、怒りをコントロールする方法の本がベストセラーになって注目されている一方で、楽しさ、心地よさ、喜びの感情は歓迎されている。
アレはいい感情表現だけど、この表現は悪い、とは決め付けられない。どんな感情もしっかり感じて吐き出したりすることが大切。
人それぞれの価値観や考え方はあっても、これは真実を求める心とつながっているような気がする。
そしてその探求心は純粋で美しいと思う。これを真善美への道というのかなー。