漫画家・永井豪 画業50年 | ねこギター

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 その日暮らし

もしもこの世から本がなくなったら
空でも眺めていよう
猫の頭でも撫でていよう

私は、「馬子っこきん太」から読んでるから、永井豪の漫画で育ってきたようなもんだ。

少年ジャンプ「ハレンチ学園」、少年チャンピオン「あばしり一家」。当時ジャンプもチャンピオンも後発の新しい漫画雑誌だった。トキワ荘世代とは違った過激さ、赤塚不二夫に怒られても変えなかった、それが永井豪の魅力だった。「キッカイくん」「イヤハヤ南友」「マジンガーZ」「けっこう仮面」「ズバ蛮」「魔王ダンテ」そして「デビルマン」「バイオレンスジャック」。
「デビルマン」は連載時に、どんどん絵柄タッチも変わっていき、牧村家の惨劇で頂点に達した。「デビルマン」は、何度も加筆修正されて単行本化されたけれども、連載時のままが一番よいと思う。例えば永井豪と石川賢の違いは、石川賢の絵はキャラクターが完成された閉じた絵のように感じる。永井豪の絵は、物語の展開とともに主人公が変化していく未完成ゆえに、ほとばしる激情が伝わる絵なのだと思う。

 

追記1

雑誌連載をリアルタイムで読んだ世代。

「デビルマン」→「バイオレンスジャック」は、『週刊少年マガジン』で連続して連載された。「バイオレンスジャック」(関東地獄地震編~黄金都市編)は、「デビルマン」から続く異常に高いエネルギーで描かれていたと思う。だから「バイオレンスジャック」が最終回で「デビルマン」と繋がった時、自然とそうだろうと納得した。
「これが俺が身を捨てて守ろうとした人間の正体か!地獄へ落ちろ、人間ども!」この言葉が、心のどこかにいつもある。

 

追記2

この前段の言葉―
「地獄だ、ここは。人間の作り出した地獄だ!悪魔からの恐怖から逃げるために、人間みんなが恐怖をあたえる側にまわろうとあがいている。被害者から加害者に。ここのことだけではない。人間ぜんぶが自分より弱い者をたたこうとしている。この地獄はつづく!人間のいるすべての世界で、すべての人間の命果てるまで…」

これは今の世の中にこそ、あちこちに見える地獄。そして多数派に身を置いて自分はそうではないと思っている。

神でもない人間でもないデビルマンという立場に視点を置くことで、人間の弱さ、浅ましさ、残酷さを徹底的に描く出す。そういう人間にはならない。そういう人間を軽蔑する。それが「デビルマン」に教えてもらったこと。

 

 

デビルマン-THE FIRST- (1) (復刻名作漫画シリーズ)