こちらについてのブックレビューを。
こちらは俺が読んだ本の一つ。
こちらの本の中身全部に賛同か?
というと否。
品格?うーん?というところもありましたが。
現実論としての遊びなども踏まえて、うん、まあ。
そういう考えめあるかな?でしたね。
俺の考える品格は責任を伴うものであり。
男の背中としては。
やはり無責任というのはどうにも格好がつかないものです。
そして責任とは
誰かを背負える力。
責任を取らねばならない立場に着いていながら。
俺は責任取りません、なんていうのが、かっこいいですか?
実に無様ではありませんか?
それは
取りません、ではなく。
取れる実力がありません。
ということに他なりませんね。
当てにならない男など。
なんの価値があるのやらと俺は思うので。
無責任とは、俺から言わせればガキ臭い。
その一言に尽きます。
でもこの本の中で
媚びない
言い訳をしない
威張らない
その3つについては共感はできました。
媚びない(徒党を組まない)
そうですよね?
徒党を組むことは美しくない。
仲間や友人を作るのとは別の意味ですよ?
男だからボッチがいい?
どこのガキですか?
そんなわけ無いでしょう?
男の友人の多い男こそ強い。
女でもそうですよ?
同性である女に好かれる女。
これが強い女。
女から嫌われる女性って、男性からどう見えてると思います?
実は男からも鬱陶しいって思われることが多いですよ?
男なんで、同性ほど冷たくしないというだけです。
✣✣‥ーーーーーーーー‥✣✣
仲間と徒党は違いますね。
よく混同しているものを見かけますが。
仲間というのは
その思考や目標は同一もしくは似ており、互いを守り合い、高め合うものです。
友情に基づく関係性ですね?
徒党というのは
利害や便宜のために集まったに過ぎず、互いは支え合ってもおらず、もちろん庇うつもりもない。
たまにいませんか?
皆さんの周りにも。
物語の中もいますよね?
誰かの尻馬に乗ってからしか、言いたいやつに物言うこともできず。
先陣がそいつに攻撃を仕掛けて、ようやくあとから乗り出してきて手柄を取ったかのように振る舞う。
そうしてここがチャンスだとばかりに、手柄顔をしてみたところで、人様はそれを認めてくれるのかというお話です。
そういうやつに限って、一匹狼であるかのような顔をする。
一匹狼とは先陣を切るものです。
常に先陣にいる。
群れねば何かができない。
物を言うのも人任せ?
うーん。
それはかなり情けないと俺は感じます。
言い訳をしない
(後から無責任を振り回さない)
何かをやらかしたあとでグダグダグダグダ言い訳をする。
言葉は悪いですが。
女の腐ったのみたいだな。
違いますか?
俺は考え方とは多岐でいいと思っていますが、やらかしてから、後付で言い訳をするのは、みっともないと感じます。
何も俺の考えや俺の相棒の考えだけが、世の中の世論だと言うつもりもありませんが。
しかし何かをやらかした後に。
何の回答も出せずに。
無責任だけを振り回し。
何もなかったかのように振る舞えば、それでなんとかできると考えてそれを実行する。
男として実に無様。
女としても無様だな。
うん。人として無様。
黙ればなんとかなる。
やり過ごせばなんとかなる。
そう考えてしまうのは、子供だからじゃないですか?
親に叱られた子供がよくやりますよね。
で?人からの評価はどんどん下がって、チャラ男に見られて?
はあ。どこらへんが品格?
まさにガキだな。
友人がこのザマなら、幾つだよお前…って呆れるとこですね?
俺はそう有りたくはありません。
男として生を受けたのなら。
分相応を超えない程度でもいい、誰かのヒーローでありたいと考える男は多い。
まかり間違っても、後にいるもの、俺の守備範囲にいるものへの責任を放り出したいとは思いません。
下記は俺が読んだ本
社会的責任の哲学
ここまで極端に考える必要性はないですが。
自己責任論は既に歴史から否定されているんです。
自己責任に任せます。
これは無責任として否定されている。
社会悪のひとつなんです。
これは歴史判断ですから?
まあ各自どう考えられても構いませんが。
世の中はそう判断している、ということ。
ここはソサエティです。
ソサエティとは社会。
社交でもある。
無責任は社会的責任の欠如でしかなく。
自己責任に任せますは責任転嫁であると断じられている。
そんなものは尊ばれない。
まして、かっこいいなんて言われるわけがない。
周りからのリスペクト?
貰えるわけがないでしょう?
リスペクトとは責務を背負い立つものへの畏敬です。
男の哲学としても。
いかかなものかと思いますね?
✣✣‥ーーーーーーーー‥✣✣
威張らない。
女性が
あたし強いのよ?
と、胸を張る?
怒りでキャンキャン言う。
それはまあ。
かわいいの範囲に入れときましょうか?
俺たち男がやるとですね。
セコく見えます。
なので俺はやりません。
その前に強い男の定義はそういうものですか?
俺はそこらへんの棒切れでもあれば、大抵のやつは倒せる自信はありますが。
それだけで強いとは考えない。
それこそ俺は有段なので鉄パイプは刀と同義語。
打ち込むべき場所を知ってるので。
凶器ですよね。
そうじゃないんですよ?
武道の理念は有事に守るべきものを護る技能。
誰かを脅しつけるものでも、どやしつけるものでもない。
何かを守るとき以外は明鏡止水であることは、古来より日本剣道の理念ですよ?
俺は師範代の一人なので。
これは間違いありません。
強いって、暴力的なのとは違います。
打ちのめせる力を持っていてなお、それを頼らず出来得る限り使わないこと。
すべてを打ちのめす力を持っていても、それを使わないでいることです。
そう思いませんか?
俺も一見、優男には見られます。
別にそれは悔しくない。
強い犬ほど吠えないと諺にもあるので。
男として、いよいよでないと怒りは顕にすべきではないと思います。
しかし一度、己が守ると決めているものに手を出してくる輩がいると言うならば話は別。
その時に己の保身が先?
ははは。
それ、ヒーローですか?
チキンっていうんですよ?それ。
違いますか?
チキンにだけはなりたくないですね?
アニメなどのヒーロー見てみます?
それでよく解って貰えるかと。
皆様もご存知の
煉獄杏寿郎 鬼滅の刃(炎柱)
彼は生存が難しいと覚悟したセリフを何度か口にします。
俺は俺の責務を全うする。
生き残ることは難しいと理解するからこそ出るセリフです。
島村ジョー サイボーグ009
終わらせなければ始まらない。
島村ジョーは達観した大人ではない。
思春期にある青年であり。
まだ精神としては大人にはなりきれていない。
なのに理不尽な人体改造を受けます。
しかし。
彼は己のためではなく。
その力を「誰がため」に使うのです。
世界を救うその為に。
その先に何があるのでもない。
恐らくは賞賛があるわけでもない。
彼らは非合法の組織ですし。
国家運営されてもいない。
何よりもあんな兵器が姿を表せば国家はそれを使う。
実に残酷に。
彼らは日の目を見ることはない。
それでも。
彼らは何かを救うものであり続ける。
だからヒーローなのでしょう。
見返りなど求めずに。
ただ救うためにそこにある。
見返りを求めないその姿に人はヒーローを感じる。
普段は気取らず、そしておおらかに笑い寛容です。
しかし、一度怒らせたら
そう。
彼が仲間とするもの、守ろうとするものに手を出したなら。
物語の中におけるヒーロー像こそが
男の品格を示していませんか?
男として情けない姿を他人様に見せる?
それだけは避けたいと。
俺は願います。