こんにちは~
一気に寒くなったのに、我が家の子供たちは暑い暑いと、先週まで寝入る時エアコンをつけていました
昨日も暑かったですね。変な天気です。
さて、今日はちょっとだけ教育に関して。あくまで私見であり間違っていることもあるのでサラッとお願いいたします~。
最近気になったニュース記事で3つ。
1、子供たちが国語が弱い。
2、様変わりしていく運動会。
3、勉強の支援は高校まで。
この3つ。
まず、
1、現在の子供たちの国語が弱い。
すみません。元記事を失いましたが「子供たちが文章能力がない」というニュースを見ました。
その記事自体はふーん、なるほどという感想
今の子は「計算もできなくて運動能力も低下して、体力も低下して、平均身長も下がってみんなと共同作業もできない」とどこかであちこち言われて大変だなー。と思いました。私としては、現実そうとも言えるし、そんなの私の時代もみんなそうだよーとも思いました。
でも、今の子の大多数が実際は私より運動もできて勉強もできて、何かしらできる!間違いない!大丈夫だよ!
ただ、昔は「できる子はできる」「できない子はできない」が何でもはっきりしていましたが、今は平均的に能力が低下しているのかな…という感じでしょうか。出来るはずの子もできなくなっている。
それで注目したのが、その文章力低下の記事のYahoo!コメントのトップの方に、
「小学生に英語を習わせるからだ。日本語をしっかり教えたほうがいい」
という意見があり、そこが一番気になりました。
「英語、勉強してもきっと大丈夫」
と、私としては思ったのです。
というのも韓国
ヨルムの頃から今まで子供放置状態だった保育園が、幼稚園に対抗して英語やもの作り教育などにすごく力を入れ始めたのです。少子化ですからね。子供の取り合いです。父母の期待に応えるしかありません。その中に、週一回の英会話も。
さあ、どうなったのか。
ウチのヨルム。
そう、まだ韓国語も危うい嵐を呼ぶ保育園児。
田舎は多文化家庭(国際結婚家庭)も多く、オンマの多くは韓国語の発音もおかしい(ねこさんは既に韓国語放棄)。あれこれ入り乱れ混乱必須。
結果…
全く英語、身にならず!(ならんのかい)
保育士先生や英語の先生たちの努力空しく
ちなみに私が必死に教えた漢字ひらがなも、ヨルムはほぼ忘れています。
日常で使わなければ忘れる!!習ったところで子供も頭から抜けてる~
漢字だけは韓国の練習帳を渡したのでいくつか覚えてるかな…。書けないけど読める系。
学習後は『ヘッピー(韓国ではへになります)』『アングリー』など言っていたのですが、高い教材も意味なし
ただ言語は子供にもよるのは確かです。
全くもってな子もいれば、やたら英単語を使う子もいる。園にもよるし、親にもよるでしょう。
思うのは、それでも数人の子に英語がしみ込んでいたらOKなのでは?と。数人の子は将来英語が得意になるかもよ?
高校の授業も全員に教えても、みんなが歴史や数学科学など習得するわけでもない。きっと、実際言語が混乱する子もいると思います。でも、それが全体に大きく与える事象でなければ、幼稚園でも英語や漢字を習っていいる園もあり、子供にとっては教え方次第でただの勉学でなく遊びの一つとして覚えられる。出来る子とできない子がいると思って、割り切るしかないと。
言語ができない私みたいなのに合わせていたら、絶対優秀な人は育たない
先生不足というのもあるかもしれませんが、その場合英語は英語圏の先生が教えればよいかなと思います。韓国は英語や日本語ができる人が多く、教員でない日本人オンマたちも小学校で先生をしていたりします。
そして、韓国では、また小学校3年生から韓国義務教育の中で英語が始まります。
(ただし、低学年から学童の習い事時間で選択している可能性もあり)
(追記 ポムの1年生はもうすでに英語を始めているようです。先生の方針による?)
それでどうなったかというと…、
ここでも差ができてあまりできない子もいるし、自己紹介くらい言えるようになる子も。ヨルムは英語はだめそうな感じでしたが、英単語はけっこう頭に入っています。中学生のように理屈で理解しているかは別ですが、少なくともローマ字や英単語をたどたどしくも読めるように。
これだけでも十分ではないかな、と個人的には思います。
ウチの子の場合…
オンラインゲームで活かされている
それで、思うことは…前にも記事にしましたが、
私の時はローマ字は高学年。「イッツ・ア・ペン」「アイ・アム・ネコ」なんて中学生で習いました。
「イッツ・ア・ペン」くらい小学校でできるじゃん?…という事です。
何で中学生でABCの歌習うの?イッツアペン習うの?小学生でよくない?
簡単な単語、文法、英会話。何でもいいから小学校の内にやっておいて全く損はないかと。言語が混ざるというのはあるのですが、何かしら一つ母国語をしっかり覚えればそこまで問題ないと思います。韓国語圏で暮らしていれば、どちらかの親がしっかり韓国語を話し園や小学校に通えばまず発音も正しく育ちます。
それに結局はここに行き着くのですが、個人差があり、できる子はできる。そうでない子はもともと言語が混ざるほども英語ができない。
つまり心配するほど英語は影響しない…かな…と思いました。
習っても忘れる漢字と同じで、興味もなく日常で使わなければ、基礎母言語が混乱するほどの影響は与えないかと。
私たち昔世代が中一で習う初期英語くらいはできるようになる子が多い…というだけで。学校も「だいたい覚えておいてくれー」という程度で、できる子好きな子がいたら特殊教育もして、そんなに負担も掛けていない感じですし。
でもその分、中学で復習もしてもう少し新しいことにチャレンジができるのですね
それで思ったのが…国語や作文能力の低下は、英語のせいではなくて…
俄然
読書量が少ない…が原因ではと
違うかな?スマホばかり見ているし。
今は自分、スマホ中毒かも すっかり本を読まなくなりました。人の事言えなくてすみません。今の時代に生まれたら読書しない自信があります。
弟の時はこんな教育もありました。
学校で朝の朝礼の時間かな?10分から15分学校で読書時間を設ける。家で読めと言っても絶対に読まないですので…これは助かる。ヨルムの小学校でも同じ取り組みがあり「朝、運動場を歩き、それから読書をする」というものです。
あと、ヨルムが幼稚園の時すごく頑張った理由ですが点数がもらえるだけでなく、やったことに対してご褒美がもらえること!
これ、日本では賛否あるかもしれません。韓国ではちょっとした文具やおもちゃ、文化商品券など貰えます。特別な賞以外は最終的に一年の内に全員が何かしら貰えるという感じでした。少数の田舎だからできるというのもあるでしょうが。都会でもあるのかな?
でも、その頃のヨルムはすっごく頑張って、それで本も読めるようになりました。(ただし、学校の図書は教育漫画しか読まない…)
そして、パソコンの授業もあり。指は正確でないですが既に文字が結構な速さでハングルを打ち込めます。(私の頃は5年生に習ったのですが、文字が打てるようになったのは会社勤めをしているうちにどうにか…です。)
というわけで今のヨルムは…
とにかく全てにおいて、学校で習った全ての力をネットゲームをするために付けています!
(…意味ない?)
今は家では、子供の聖書物語などを自分の読みたい分だけ毎日音読させています。数行しか読まないけどよしとする。
とにかく…読書量の差はすごく大きい。今は分かりませんが、10年前前後の韓国は電車の中で読書をしている若者がとても多かったです。とくにそんな女性をよく見かけました。
そして、その2。
2、様変わりしていく運動会
この記事もソースを見失ってすみません。元記事が分からない
内容は「コロナを機に、運動会が午前だけ。種目が減った」などです。
これは韓国も同じで、うちの学校は午前中だけになりました。親は食事もなく解散。でも、韓国は運営を外部に任せることもあり、先生も親もいろいろ競技させられて でも景品色々もらえるよ
親はリレーとかなくて、綱引き以外全部ゲームみたいな競技でした。
ヨルムの学校は文化発表会と運動会が隔年ごとで交代になりました。それで、今年は文化祭がないので力を入れたのか、生徒たちのダンスは衣装も着込んで、近代の大衆歌を韓国舞踊で舞いすごくきれいでした。衣装も業者で借りるので本格的な舞台衣装
話を戻して、この記事も気になったのはコメント欄。
とにかく「運動会なんてしなくていい」「最悪だった」「トラウマ」みたいなコメントが多くて、
運動会どんだけ嫌われてるんか~い!!
という感じでした
そんなに嫌わんといて~と、好きでもないけれど運動会を庇ってしまう
ええ??ほんと?コメントする人偏ってない??とびっくりしました。でも、最新コメントもそうだったよ…。
私、学年で最下位レベルの運動音痴でした。でも、そこまで運動会嫌いじゃなかったです。体育も体力測定も本当に死にそうでしたが、全部が嫌いなわけではなかったし。誰かチームの人がどこかで勝ってくれたらそれはそれでうれしいし。
できる子の影でうまく隠れる!
できないことはサラッとごまかす!
本当にダメな競技、針の筵になるのはもうあきらめる…
怖い子に睨まれたりもしてたかもしれないけれど、その時は心をフリーズ!
私の場合…
運動会より、毎週数回ある体育のチーム競技の方が悲惨でした
ごまかせないぜ!
バレーのサーブ、絶対したくないのにまわってくるし、テニスは打ち返すことすら無理!!リレーとか練習でも50メートル走9秒以上の人は別枠にしてほしい まあ、速い人が後半に持っていかれるんだけど
でも、これ。
何と言うか、それを言ってしまったら日本人がんばるものがなくなってしまう~と思うのです。
海外は野心ある子はいくらでものし上がって来るからね。そのための塾にも通うし、必要なら海外にも行ってしまう。目的が大卒でなく「選手やダンサー、芸術家」「儲かる企業勤めや公務員になる」とはっきりしているから
かといって就職もすぐできないから、韓国は大卒後も働きながら勉強している子が多いイメージ。しかも曖昧な勉強でなく、みんな自分の専門を決めて勉強しています。(韓国は習い事、学校以外のスクールも塾(ハゴン、学院)と言います。)
何かは我慢しなくてはいけないし、何かは耐えなくてはいけない、結局それが集団生活で学ぶことかと。いじめとか悪質なものなら逃げてもいいし、議題にして学校で話し合ってもいい。今の時代なら先生も昔より考慮してくれるのではないでしょうか。どうしても馴染めなければフリースクールでもいいし。
みんなが運動ができない子を責めるわけでもなかったし。
どうしても勝てなくても、できなくても、誰かが応援してくれる世界もある。多分
ヨルムの学校。郡の体育大会にヨルムが選抜されて出場。
でも、郡トップの子たちに混ざれるほどでもないし、そこまでの基礎もない。それで我が校では強くとも結局100メートル走は負けてしまったのです。でも、順位が付いてその場所から去る時、参加した同じ学校の生徒たちが「がんばったー!」と言って学年男女関係なくみんな集まって肩を組んで。
すごくいい関係だな…と思いました。こういう気持ちや感覚を学ぶのも大事かもと。
私は毎回バレーのサーブもトスも外して、白い目されてた気がするけどね ああ、思い出しただけで悲しい。でも、高校はバトミントンなど好きな子と組ませてくれたり、余った子は3人でという感じで悠々にしていて比較的楽でした
今、ネットにあふれるニースが殆どマイナス傾向なので仕方ないのかもしれませんが。がんばること、真面目なことも鬱陶しがられたり、しなくていい感覚になっていたり。ブラックだったことの延長に努力も空しい感覚があるので、今の時代は仕方ないのかもしれないけれど。
でも、運動を基礎授業にほとんど入れていない韓国を見て思うのは、子供のころから基礎をしないと呼吸や走り方も含めた運動能力や整った体幹がなくなってしまう…という危機を感じます。走る時の呼吸が既におかしい。鉄棒の逆上がりや前回り、雲梯、棒登りなどできない子が凄く多い。ブリッジや壁に逆立ちもできない。私は、老化でできない
何もかもやめてしまったら、本当に我慢すべき環境や精神がなくなってしまうし、何よりも子供の時に形成できる身体の基礎がなくなってしまいます。子供の頃習ったものは、知らない間に体に沁みこんでいるのですね。歌の歌詞やスポーツのルール自体は忘れてしまっても何か身に付いている。そういうのが大人になった時に無意識で役に立っているのだと思います。交渉力や対話力もそうだと思います。
ただ、韓国は運動をしたい、させたい場合親が運動塾やスポーツチームに行かせるので、習っている子たちはそれなりに運動ができるという感じです。セウォル号以降水泳塾は満杯で抽選状態。
あと、学校によると思いますが、我が校は学童時間の特別教育に何を取り込みたいか親に聞いてくれます。皆さんテコンドーをさせたかったのですが、我が町はお金を払っても来てくれる先生がおらず…
そのかわり、サッカーやダンス、テニスなどあり、テニスは4年生には結構本格的にフォームまで教えてくれていました。感謝です。
欧米の教育が飛び級もあり、あれもこれもあり自由でよいというのをよく見るのですが、結局実力差が凄くなっただけで、全体が向上している国はそこまであるのか…と考えてしまいます。
結局格差社会になり、現在の上下左右の均衡が取れないボロボロの国になり、実のところ勝ち組層ですら、くみ敷いて来た貧困層にいつか追い詰められていく。勝ち組だけが極端に勝っていくと当たり前だけれど貧困層の方が物凄く多くなる。
世界の物は有限だから見えないお金は独占できても、物質の独占にはほころびが早く現れる。
今年のニュースで…アメリカやフランスを見ていると街自体が本当にボロボロでびっくりします。
破壊や強奪も当たり前になってきている。貧困ゆえの強奪だけでなく、生活の不満なのか何かの主張なのか、インスタで顔も隠さず一見客のような普通の人たちが集団で個人のアート作品展に入り、荒らして作品を盗んでいってしまう…というのも見たり。ニューヨークの街中でそんなことが起こっている。
人を思いやる気持ちも失っている。
日本が今ヤバいとよく言われ、実際そうだとも思うけれど、欧米も十分危ないのでは?…と感じます。
移民という理由もありますが、韓国は海外労働者もそれなりのお給料がもらえるし、住民になれば出産産後の援助も多く、義務教育にお金が殆どいらない地域も多いので今のところそこまでの衝突はない気がします。
というわけで何を言いたいかというと…話がそれてしまいましたが、
我慢や耐えること、苦しいこともある!という事をどこかで受け入れなければならないと思うのです。それで力を付けて、農業の大半を担える外国人労働者(もしくは帰化者)の方も出てきたし。
不満という形でなく、自分が力を付けて代案も出していける力を付けないとただの暴徒になってしまう。実際どこにも改革は必要なのだから。
人生もっと悲惨なこともあるし、全ての人に平等に安心感や喜びのあるものなんて世の中にほとんどない。むしろない。
でも、みんなで協力しなければならない仕事や世界はいくらでもある。災害時もそう。
運動会、今はかなり緩くなっていることも多いと思うし、がんばろうぜ!という事です。きっと運動会や体育系だけが見せ場の子もいるだろうし
私は学校で人間関係、運動系、楽器系あらゆることににビビりながら生きてきたけれど、一生の友達もできたし、韓国で役立っていることも多い。
みんな、運動会を、体育を怨んでもいい。隔年ごとでもいい。
怨みながらも頑張ろうぜ!!
どうせ運動会午前で終わっちゃうし、昔のようそこまで集団性が重視されないし
というわけで、長くなったの3は今度にします。