聖書を読んでいっぱい特質を培っているのに、なぜか人から好かれないって思う人はいますよね?
エホバの証人の中には、謙遜で思いやり深くて、愛もあって、親切にしているのに、なぜか人から見て自分の特質を理解されていないと感じる時はあるでしょう。
他の宗教とかは、仏教やイスラム教も良い人間関係や特質を重要視していますよね。
実は、言葉のイメージで特質を培い易いので、注意していないと自分の品性を落とすような特質の培い方をするケースもあります。
自分では、努力して特質を培っているつもりが、実は最低の人だったと言うケースも稀に見ます。まあ、自分で気付いて改善できれば問題ないですけど。
例えば、エホバの証人のSKEを卒業するという兄弟でしたが、自分が服を触ったところ服の汚れを落とすようにはたいた人もいらっしゃいました。
まあ、気軽に接した自分も悪いですが、兄弟もえっと思うくらいには傲慢さが表れている感じはしました。(まあ、本人にも言わないけど)
同じSKEを卒業する兄弟は、逆にフレンドリーさを受け入れてくれたので、実は特質を誤解して間違った方法で特質を培う場合がある事を知りました。
今回は、本人は努力して特質を培ったと思っても、実は失敗している可能性が高い特質を紹介していきます。こんな人間になっていたら嫌だなあという者にピッタリ当てはまっていると思う人は注意です。えっ、白猫パンチが最低だって? そうだよ( ^∀^)
①謙遜さ
エホバの証人で謙遜謙遜としつこいくらい連呼してますが、実は暴走する可能性の高い特質とも言えます。
まず目上の者には謙遜にしようと努力するのは当たり前でしょうが、そこで特質の発揮が止まってしまいます。
つまり長老や地域監督、統治体の兄弟には謙遜になりますが、姉妹や兄弟、研究生には謙遜さを示すのが難しくなります。
口では謙遜に、自分には知恵が無いとかエホバが良くしてくれたと言いながら、他の人には平気で命令をするのは良くある事です。お願いして、相手がしてくれるのを承諾してもらうのが普通ですが、承諾無しに自分の要求をやらせようとしてきます。
そして、自分はずっと忙しくて働いていると口に出したり、態度で示したりします。
なので、仲間の人との時間を調整したり、必要を顧みたりする努力が徐々に減っていく傾向にあります。
すると、いつの間にかぼっちという状況に陥っている場合も少なくありません。謙遜さを培うのを止めず、仲間や研究生、子供に至るまで謙遜さを示していきましょう。イエスは子供でも近づき易い方だったようです。
②愛
エホバの特質としても有名な愛ですが、実際の人間には愛とか良くわかっていません。性欲の愛や親族の愛、友情の愛などは分かりますが、無私の愛を理解できていないので、欲望がそのまま無私の愛として発揮される場合は多いにあります。
例えば、研究生に対する愛を見ていきましょう。今までは、ずっとエホバの証人にさせるために愛を注いできましたが、研究生がエホバの証人にならないと思ったら、途端に疎遠になる場合など良くあります。「時間を無駄にした」と言って離れていく人は稀にいますよね。
実際、その人の事を考えているなら、たとえ彼がエホバの証人になると決定しなくても、聖書から益を得ているし変化していると感じれば、研究を続けるはずです。明確に相手から研究を辞めたいと言われない限りは、兄弟姉妹になるのに不安を感じているのかな……と察するはずです。
また、愛を動機としてある姉妹に付き纏っていた兄弟が、その姉妹が自分の望んだ賢さや特質、財産など無いと分かると、姉妹が結婚を考え始めるようになったとしても連絡を絶って振るというケースもたびたび聞きます。
要は、アプローチしまくっていたのに、自分の理想では無かったと一気に突き放すケースですね。今までずっとアプローチしてきたので、相手に対してある程度の敬意や尊厳を重んじるべきですが、なぜかしっかりとは断らずに一方的に疎遠になる方法をとります。
このように、自分の欲望を相手に押しつけて、自分の予想と合わないと感じると、一気に冷淡になるケースです。相手が傷付こうがお構いなしの態度は、愛を示しているとは言えませんよね。少なくとも、相手の気持ちを思いやる必要はあります。
③信仰
実は、一番扱うのが難しいかもしれないのが、信仰です。
目に見えない証拠で確信をおくのが信仰ですが、間違った確信で暴走するケースはかなり多いです。
明確な証拠がないのに盲信してしまったり、信仰があるからと自分の身を危険にさらすのは危険ですが良くある事です。
おそらく一番バランスや理解を保つのが難しい特質と言えるでしょう。
一般的に、自分と神との関係において培われる特質なので、他人の考えを考慮するのは難しいです。一般的な見方や信仰と照らし合わした考え方、賢い決定などはその本人には分かりません。
自分には、正解だと思えても、他人から見ると明確な間違いである可能性は大いにありえます。
自分では神への信仰が強いだけに、他人との摩擦で疲弊して、最後は自分か他人の見方が変わるまで貫き続けるという可能性は高いです。
こうなってしまうと、最強の矛で最強の盾を貫く構図になり、どちらか強い方が勝つというとんでもない理論になります。それによって、多くの宗教が分派を発生させて、互いに戦争や殺し合いをしているからです。
相手の考えを尊重して、自分の信仰を守るのが普通ですが、自分の信仰は守って、相手の信仰を覆そうとするので傷つき合う事が生じます。お互いに傷つけ合うと、次第に信仰から外れて憎しみ合うようになるのです。お互いに相手の身体や精神を傷付けてはいけません。
④憐れみ
一見良い特質のように感じますが、相手に対する実際的な行動を起こしたり、相手に対して敬意を示さないと、ただ他人を見下すだけの特質に成り下がってしまいます。
例えば、相手が仕事してないニートだとしましょう。
仕事できなくてクビになったのか、可哀想と思うのは普通でしょう。
確かに、仕事をしていない方は理解力も集中力も低いのは認めますが……。
そこから、聖書の知識を教える流れになりますが、相手に対して自分の意見を押し付けるようにはなります。自分の意見を取り入れれば、絶対に良くなるからと相手の気持ちはあまり考えません。
相手がどのようにすれば受け入れるようになるのかを考える事なく、相手から突き放されて怒りを覚えます。自分がせっかく憐れみや愛を示したのに、コイツは拒否しやがったというわけです。
もしも、これが一流企業の社長なら、接する態度は変わって、じっくりと相手の気持ちを考えて敬意を持って接していたでしょう。相手がちょっと強めに拒否反応を示しても、ちょっと忙しかったり、自分の態度が悪かったかもしれないと思うでしょう。
このように、憐れみや同情心は大切ですが、相手を助ける実際的な方法や行動、その人への敬意がなければ、ただの他人を見下して可哀想がり、自分の意見を強制する最低な奴になってしまうのです。
このように、間違った特質を身に付けると、
上司には謙遜にへつらうが、仲間や研究生を傲慢に扱うようになり、
愛を動機として動いていると言いながら、自分の予想と他の人の願望が違っていると感じると一気に相手を突き放して、
自分の信仰が正しいからと他人を強制して従わないと攻撃し始め、
問題や苦難に遭っている人を見下すようになるわけです。
このように、良い特質は、すべての人に良い事を示して初めて良い特質を培えたと言えるわけです。他人を区別しながら行動し始めた時点で、あなたの特質には問題があるでしょうね。自分が人に合わせて行動していると思ったら、自分の特質や行動を改善するべきでしょう。