エホバの証人の排斥処置とは、バプテスマを受けたエホバの証人が罪を犯して悔い改めない場合に取られる「会衆や組織内からの追放、家族内からの追放です」

 

ノルウェー政府や多くの人が一方的に愛の無い行為と見るのは容易に理解できますが、もちろんそうすることの益はあります。

 

①罪を犯して悔い改めない人を会衆から追い出すので、他の会衆員には悪い影響が及ばない。

 

性的な罪を犯した人は、子供には特に危険なので会衆内から除くことで会衆は安心感を得られる。

盗みや中傷によって傷付けられる事はなくなる。

暴力や肉体的な嫌がらせは起き難い。

 

②罪を犯して悔い改めない人は、エホバの証人と一般の人々との生活を比較して、神の教えが素晴らしい事を実感できる。

 

エホバの証人の集会場などでは、大会会場などを除き、財布や持ち物が盗まれたりなくなる事はほぼありません。災害に遭った場合も、初対面でも家を提供できるほどの信頼感があります。

 

一方、一般の人は仮に、友達だとしても、金銭トラブルに巻き込まれたり、物を盗まれたり、物を壊されても謝らない人も少なからずいます。バレなければ問題ないという態度があるので、なんらかの被害を受けても確証が出るまでは警察などに頼る事はできません。

 

このような世の中の差を目の当たりにして、エホバの証人に戻りたいと思う人も多いです。

その確信によって、罪を悔い改めて復帰する人も大多数います。もちろん長老や仲間の助けを得てようやく罪深い行いを克服することができますが……。

 

これが排斥処置の良い面であり、正常に機能していれば、確かに愛ある措置と言えるでしょう。

もちろん罪を克服する手助けなどは、会衆の長老や仲間達にゆだねられるので、一概に同じような愛ある対応が可能かといえば地域や見方によっても異なります。

 

大阪や人口が少ない地域は、悔い改めた人を暖かく迎えてくれるでしょうが、東京や京都などの元々人間が多くて冷めているところでは、比較的に罪を悔い改めたとしても温かく迎えられる保証はありません。

 

一歩引いた付き合いが続いて、なかなか受け入れられていると思えないのがほとんどです。

ですが、災害時などの非常時や病気の時などは助けを期待できるので、表面上は愛が感じられなくても、心の内は愛があると思えるでしょう。

 

排斥処置の悪い面は、統治体、長老、影響力のある会衆員などなら、特に問題の無いエホバの証人を追い詰めて排斥処置まで持って行き孤立させる事が可能という事です。

 

仮に、Aさんがある長老とトラブルになったとしましょう。すると、長老は会衆の成員にAさんとはあまり仲良く接する事なく、一定の距離を保つように指示します。仮に、良心的に自分で決めてくださいと促したとしても、ほとんどの成員がAさんと集会と奉仕以外では接する事がなくなり次第に孤立して行きます。

 

すると、Aさんは会衆内に相談できる相手がいなくなり、次第に一般の人々と接するようになり離れて行きます。一般の人も良い人はいますが、必ずしも聖書の見方をしているとは限りません。異性や同性でも性的な行為に発展する危険は多いにあります。

 

すると、どうでしょうか? 罪を犯したことにより、会衆内との亀裂は本格化します。

今まで問題があっても相談できなかったのに、排斥になる直前に悔い改める事はできませんし、長老や仲間の信者を信頼する事は不可能な状態です。

 

なので、当然悔い改めていない排斥処置となり、会衆からは完全に孤立して、一般の人々が迎えてくれないならただ一人で問題に立ち向かうことになり、結果として精神病や自殺にまで追い込まれてしまいます。

 

偶然、そういう風になったならまだ良いですが、長老の中にはそれを狙って孤立させる人もいるでしょう。はっきりとは自覚していなくても、孤立させて次第に排斥から自殺にまで追い込む事はできるのです。しかも、自分は見ていないので罪悪感を感じる事もありません。

 

これが他人事なら、ふーんで済むかも知れませんが、あなたに限っては当てはまらないかも知れませんが、自分の息子や娘、あなた本人にされたらどうでしょうか?

 

このようにエホバの証人の組織内では、まだ解決していない問題も山積みなのです。

会衆内で孤立した場合のなんらかの措置を取らないと、やはり排斥処置からの自殺や精神的な病気になる人は出続けるでしょう。ここは、早急に対策を取らなければいけないところです。