聖書中でさまざまな神の名前が出てきますが、主に創造者としてスポットが当たっている名前は、「エホバ」という名前です。

 

カトリックやプロテスタントは、この名前を使わずに「ヤハウェ」という名前を頻繁に使っています。

 

なぜ同じ創造者を指しているのに、名前が違うのでしょうか?

実は、そこにヘブライ語ならではの問題があるのです。

 

ヘブライ語では、なぜか「YHWH」という子音表記だけ記されており、母音は表記されていませんでした。そして、神の名前をイタズラに用いてはいけないという事から、ユダヤ人は神の名前を使用せずに、ついには発音が忘れ去られてしまったようです。

 

そのため、「YHWH」という文字だけは分かったのですが、母音が分からない状態になってしまいました。

 

こうなると、原文だけの「ヤハウェ」という名前が正しいかなと感じますが、ユダヤ人達は神の名前をいう時に、「主」という意味の「アドナイ」という言葉を置き換えていたそうです。

 

そこから、「YHWH」と「アドナイ」の子音を合成した結果、「エホバ」という名前が出てきたそうです。

 

そうなると、「ヤハウェ」の方が正しいんじゃないかと思うかもしれませんが、ユダヤ人がイタズラに名前を取り上げるのを恐れていたように、逆に神の名前が消えるのを恐れていたとは考えられます。

 

あえて「アドナイ」を使い、万が一に神の名前が分からなくなった時には、「YHWH」と「アドナイ」の言葉を合わせて発音できるようにしたとは考えられそうです。

 

全くヒントがないわけではなく、聖書の中には神の名前に近い発音をする可能性のあるヘブライ語の名前も出てきます。「エホシャファト」や「エレミヤ」などを参考にすると、「エホバ」という名前の方がしっくり来るかもしれませんね。

 

個人的には、ヘブライ語の「ヨシュア」の「イェホシュア」とヘブライ語の「ユダ」の「イェフダ」がかなり神の名前の形に近いので、「イェホヴァ」という感じだったのかもしれません。

また最後の文字だけでいうと、「ハル」の山という字に近いので、発音は「ハ」に近いでしょう。

 

「イェホ」までは可能性はかなり高いのですが、最後が「ハ」という感じだったのかもしれません。まとまると「イェホハ」という感じですね。歯切れが悪いので、日本人は「エホバ」という名前を好むのも仕方ないでしょうね。

 

さて、神の名前には意味があって、過去・現在・未来全てに存在しているという意味を持っているようです。それ以外では、自分がどんなものにでもなれるという意味や、他の人をどんなものにでもできるという意味を持っているそうです。

 

実際に、この創造者やその他の霊の被造物は存在しそうな感じがします。

まず宇宙には見える存在と見えない存在であるダークマターと呼ばれる物質が存在しています。

 

なんと宇宙を繋ぎ止めている85%の部分がダークマターと呼ばれる存在なのですが、人類にはなんらかの力を及ぼしているとしか認識できていません。

 

なので、神はいるかもしれませんが、どういう感じで人間が存在を確認できるかは分かっていません。

 

霊の被造物と呼ばれる者が人間と接触したいと思った時にしか人間には認知できないので、創造者とも交信できるわけですが、悪魔やサタンといわれている邪悪な存在とも接触する可能性は高いです。

 

究極的にいうと、霊の被造物との接触は可能なのですが、それが良い存在か悪い存在かは結果のみで判断されるので、接触してきた時点でそれが正しい存在か邪悪な存在かは判別不可能です。

 

聖書や聖典などから神の特徴を学び、霊の被造物が言う事が正しいと判断された場合のみ、神から助けを得られたということですが、大抵の場合が邪悪な存在である可能性が高いです。そうした邪悪な奴らは、信仰心を試してくるので、初見の人間には判別は不可能です。

 

なぜ創造者は、邪悪な奴らを野放しにしておくのでしょうか?

実は、悪魔サタンが創造者を食い止めていると人間なら考えがちですが、実は違います。

 

実際のところ、地球と人類を創造した時点で、創造者は休みの期間である安息日に入っているのです。おそらくサタンはその期間を狙って叛逆したと考えられます。

 

なので、宇宙創造の業や積極的に人間と交信することはしません。

休み返上して働けやっ!と思いますが、彼はできる範囲内で人類を助ける気なのでしょう。

 

イエス・キリストが言っていたように、安息日でも可能な事柄がいくつかあります。

それは、穴に落ち込んだ羊である人類を救出する事、安息日に奇跡を行う事、ダビデが祭司のパンを食べたけどお咎めなかった事、などが挙げられます。

 

つまり人類を救出する事は安息日に行っても良い事柄なのです。

ちなみに、創造は「エホバ」が1人で行ったわけではなく、「イエス」も参加しました。

 

「エホバ」の莫大なエネルギーや知恵→イエスが創造物を作る→全てのものを創造した

 

こういった感じで全ての霊に被造物と物質宇宙が誕生しました。なので、厳密にいえば、イエスも安息日の期間に入っているはずなんです。そして、私達も宣教などに携わるために安息日に入る事ができます。

 

全人類と創造者との良好な関係を築けば終了ですが、それにはいくつかの問題があります。

創造者は、性的な事柄には意外と厳しい態度を取られるという事です。

 

性的な事柄は、人類の3大欲求の一つと言われるくらい強いです。

実際、スムーズに結婚できるならそこまで苦痛でも無いのですが、結婚相手を見つけて結婚相手だけと性行為をするとなると難易度は極めて高くなります。

 

ソドムとゴモラのように同性愛に対しても強い嫌悪感を持っているのは当然だとしても、なぜか滅ぼすという選択肢を創造者はしているのです。

 

確かに、人間の観点からすると人間の同性同士が性関係を結んでも気持ち悪いと感じますが、それらを滅ぼすほど嫌悪する事はまずありません。せいぜい病気になって死んでも、あーやっぱり……といったいった程度です。

 

しかし、創造者はソドムとゴモラを病気が蔓延して滅びるとかではなく、明確に火と硫黄によって滅ぼしています。なぜ、そこまでする必要があったのだろうと考えますが、そこには明確な理由が存在していたように思います。

 

おそらく今の日本や世界のように、ある程度好きになって同性愛をしているだけなら滅ぼすまでに至る事はなかったでしょう。問題は、「他人に同性愛行為を強要していた」という点です。

 

ロトの家に天使である屈強の男性が訪れましたが、ソドムとゴモラの人たちは、それらと関係を持ちたいと強要していたようです。さらに、従わないならロトを殺そうとまでしています。

 

なので、創造者の基準としては、個人が同性愛や性行為をしている分には何も関与しないが、自分の崇拝者や正しい基準を保っている人が堕落するように強要してきた場合のみ、強硬手段に出ると考えられます。

 

というわけで、同性愛やその他の性行為は、あまり迷惑をかけないようにお願いしますね。

ぷれみあむ白猫パンチは、可愛い女の子と結婚して性関係を楽しみたい派です( ・∇・)