日本とマレーシアは、今でこそ仲が良い関係だが、戦時中に日本軍がマレーシアで起こした悲劇は、日本人としてみんなに知っておいて欲しい。

 

マレーシアの人は、日本人に優しいので日本軍が起こした事件の場所を知らないようです。

ちょっと高齢のお年寄りの方だけが日本軍が起こした悲惨な事件を知っているくらいです。

 

そこで、マレーシアでは日本軍が1つの村で大量虐殺を起こし、村に火を付けて燃やした事が都市伝説と化しています。

 

どこの村で起こった事件なのか、いつ起こったのかもマレーシアの人は詳しく知りません。

でも、実際にあった事件なのです。

 

マレーシアの首都クアラルンプールから70km離れたTITI(中国語だと知知)が大量虐殺が行われた村です。村人は凄く少なく、自分の住んでいる街からすると寂れているようにも見えます。

 

 

Kwong Fook Temple

 

1942年3月18日、日本軍は身元検査を行うという口実でTitiの男女1,474名を一斉検挙した。 その後、住民は銃剣で刺殺された。当時チュー・ヒュー・インさんは、熱が出たため肉親とともに別の親戚の家に滞在し、九死に一生を得て虐殺を免れたと語った。 しかし、戻ってくると、彼らは腐乱死体の凄惨な光景と異臭に遭遇した。母親の家族の何人かが殺されていたのだ。 「近くの川は暗赤色に変わり、村の大部分は破壊された」とチュー氏は述べ、この虐殺は日本帝国の中国支配に海外で広く反対した華人を罰することが目的だったと付け加えた。 

 

これは、香港の新聞に出た紹介文のようです。

この記事を見て、正確な村の場所を知った人が多いようです。

ローカル(地元)のマレーシア人でも、なんとなく村の場所は分かっているようですが……。

 

悲劇が起こったのは、titiにある余朗朗 Yu Lang Langという村です。

今でも正確な場所は分かっていないのだとか……。

 

titiに入って10分くらい北に向かうと、慰霊碑がある Titi Chinese Cemetary 知知中华新义山にたどり着くようです。

おそらくこの周辺に村があったのでしょう。

 

 

この慰霊碑の下には亡くなった人の骨が埋られているそうです。

案内には、日本語の説明も表示されているようで、一度行ってみると良いですね。

文章だけでも壮絶な記録だと言うことが分かります。

 

 

この村が滅んだのは、マレーシアの中でも目立つ事件ですが、戦時中に日本軍がしたのはこの場所だけではありませんでした。

 

どうか他人事とは思わずに、戦争の悲惨さを痛感して、同じ悲劇が繰り返されないようにしたいものです。