つづき

 

今回はかなり

妄想チックな内容に

なっております

 

 

人の魂は

どの段階で

身体に宿るんだろう

 

私が39歳で

妊娠したのもつかの間

2週間ほどで

流産してしまった時

感じた疑問でした

 

当時はなんとなく

2週間って

まだ魂とか

入っていない段階だろう

と考えていて

特に水子供養とかもせず

その子に呼びかけるとか

そういうことは

していませんでした

 

※当時、私は

 人は生まれてから

 魂が宿ると思っていた気がします

 なので水子の霊(胎児の霊)とか

 ありえないと思っていました

 

ただ

ときどき

その子のことを考えると

決まって浮かぶイメージがあり

それは

小学生くらいの男の子が

物陰から

心配そうな顔で

こちらを覗いている姿でした

 

たぶんそれは

成長したらこんな感じ?

という

私が創り出したあの子の

イメージなんだろうと

思っていました

 

少し神経質な

気難しそうな子だなぁと

感じていました

 

 

前回のブログで書いた

のぶみさんの話からすると

 

あれ?もしかして

私を心配して

あんな顔をしていたのかも

 

と思い直してみたのです

 

それから

 

 自分の選んだお母さんの元に

 生まれてこれなかったとしても

 そのお母さんに縁のある所へ

 生まれてきたりする

 

って話がありましたけど

 

だったら

私の元に生まれなくても

どこか別の所で

生まれてきていて

いつかどこかで

出会えるのかもしれないとも

思えてきました

 

今のところ

現実世界では

それらしき子どもには

会っていません

 

そんなことを思っていたら

さっきまで

小学生の姿をしていた

あの子のイメージが

不意に

高校生くらいの姿に変わり

「大丈夫だから」

と言っている気がしました

 

もしあの子が

生まれていたら

今、高校生くらいです

 

ところで

大丈夫って何が?

 

「会社のことも家のことも大丈夫だから」

 

あぁ、そうなんだ!

 

子どもがいたとしても

会社の将来や

老後を押し付ける気はなかったけど

それでも

年を取っていくにつれ

「子供がいたら心強かったかも」

と思うことが時々あって

そんな思いに対する言葉なんだな

と感じました

 

イメージのあの子に

「大丈夫」って言われて

なんだかものすごくホッとして

安心できちゃった

 

胸につかえていたものが

消えていくような

握りしめて手放せなかった

へんなこだわりが

すうっと消えていくような

 

心が楽になる感じ

 

まぁ

妄想なんですけどね

 

 

たとえ今生で

実体を持ったあの子に

出会えなかったとしても

ただのイメージであっても

妄想であったとしても

 

再び私を

嬉しくさせてくれたんだね

ありがとね

 

なんか元気出たので

書いてみました