樋口一葉について調べています。

 

樋口一葉は、本郷菊坂に住んでいた頃から、

台東区下谷に引っ越しても、

東京図書館(上野)に通っては本を借りていた・・

ということだそうですが、

読んでいた本を並べてみると、

作家らしく、様々なタイプのものがありました。

 

本朝本粋

雨夜のともしび

五雑俎

日本書紀

花月草紙

月次消息

雨中問答

春雨物語

哲学会雑誌

口癖談

・・・

 

五雑狙に興味を惹かれます。

以下、引用です。

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明代の謝肇淛の随筆集。天地人物事の5部全16巻。
書名は「5部を雑えた組ひも」の意で 『五雑組』と書くのが正しいが、『五雑俎』と書かれることも多く、熊楠も両者を混用しています。
現在もっとも入手しやすいのは、平凡社、東洋文庫の『五雑組』全5巻。


五雑俎

南方熊楠の随筆:十二支考 虎に関する史話と伝説民俗(その12)
五雑俎』巻九に虎地に拠りて一たび吼ゆれば屋瓦皆震う、予黄山の雪峰にあって常に虎を聞く、黄山やや近し、時に坐客数人まさに満を引く、※(「九+虎」、第4水準2-87-25)こうぜんの声左右にあるごとく酒几上きじょうに傾かざる者なしとあって、虎の声は随分大きいが獅に劣る事遠しだ、
南方熊楠の随筆:十二支考 兎に関する民俗と伝説(その7)
五雑俎』九に〈狡兎は鷹来りつに遇えばすなわち仰ぎ臥し足を以てその爪をはくしてこれを裂く、鷹すなわち死す云々、また鷹石に遇えばすなわち撲つあたわず、兎これを見てすなわち巌石の傍に依って旋転す、鷹これを如何いかんともするなし云々〉、
南方熊楠の随筆:十二支考 田原藤太竜宮入りの話(その6)
ただ恨むらくはその米俵巻絹世に存せざるなり〉という事は、『質屋庫』に引いた『五雑俎』四に、〈蘇州東海に入って五、六日ほど、小島あり、ひろさ百里余、四面海水皆濁るに、独りこの水清し、風なくして浪高きこと数丈、常に水上紅光あらわれ日のごとし、舟人あえて近づかず、いわくこれ竜王宮なり、而して西北塞外人跡到らざるの処、不時数千人樹を□木を※(「てへん+曳」、第4水準2-13-5)くの声を聞く、明くるに及んで遠く視るに山木一空、いわく海竜王宮を造るなり、余おもえらく竜水を以て居と為す、あにまた宮あらん、たといこれあるもまたまさに鮫宇貝闕なるべし、必ずしも人間じんかんの木殖をらざるなり、愚俗不経一にここに至る〉とあるより翻案したのだろう。

http://minakatella.net/shoko/gozasso.html

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ほか、日本書紀などの歴史もの。

松平定信の随筆(原本を見ても仮名の崩し文字で読めない・・)

月次消息って何だろう?

口癖って・・

 

哲学とファンタジックな民間伝承と上田秋声が同居する、

一葉の関心は、

「英雄豪傑、仁侠義人の勇ましく華やかな行為を好んで、

7歳から、手毬・羽子板を投げ捨てて草双紙に読みふけった」 という、

一葉自身の日記での回想からも、よくわかります。

 

一葉の書く仮名文字の流麗さに見惚れて数か月。

仮名文字だけでなく、漢文の素養もあったのではないかと、

「たけくらべ」を語りながら思いました。

見事な文体!!

 

鴎外、露伴、緑雨、と共に「めさまし草」という雑誌で合作を、

という話は有名ですが、

それに先立って、一葉は露伴の「風流仏」などの影響を受けていたのではないか・・と、

いうことだそうです。

 

 

 


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