朗読会のお知らせ。

今日、午後二時から。


ガス燈朗読会vol.6 ~声で聴く文藝作品~ 

         第17回回遊展in八幡参加。 

 日時 2019年9月28日(土)14時~15時30分           

    場所  カフェガス燈

               (JR本八幡駅、都営新宿線本八幡駅、   京成八幡駅から歩いて5分)

      演目  谷崎潤一郎「細雪」「都わすれの記」などより  (主催 游の会 )

      入場料  1000円+ワンオーダードリンク


八幡の回遊展に毎年参加し続けて6年目。谷崎長編作品の朗読は、今年で三年目です。


もしお時間あるようでしたら、本八幡カフェガス燈へ遊びにいらっしゃいませんか?


「細雪」「都わすれの記」より、抜粋して朗読したいと思っております。


「都わすれの記」は、「細雪」の舞台となった阪神 住吉 倚松庵を、戦火に追われるように立ち退き、熱海、岡山と疎開して回り、やっとのことで都に戻った二年間を和歌と文で綴った記録です。日記、にも折々、和歌がおりこまれており、日常の中で歌を詠むことを続けてらしたことが伺えます。


二年前朗読した 谷崎「蘆刈」を契機に 和歌に惹かれ、 ここのところ、和歌を読む工夫を続けています。



昨日に続き、谷崎潤一郎 著 「都わすれの記」より 続きをご紹介。

これもまた春の一日

 

        熱海西山の小庵に至れば送り出しし家財道具は早やわれらより先に着きたり、

        手狭なる家のここかしこに荷を解き物を据えなどしてそこはかとなく日を送るほどに、

        おびただしき山の櫻もいつしか盛を過ぎて落花しきり也

 

        家人街に出でて花を購い来る、何といふ花ぞと問へばこれなん都わすれといふなりと聞きて

 

  花の名は都わすれと聞くからに

      身によそへてぞ侘びしかりける

  詫びぬれば都わすれの花にさへ

      おとれる我と思ひけるかな

  世を侘ぶる山のいほりの床に活けて

      みやこわすれの花をめでけり

  名にし負はば花よ都は忘るとも

      世を侘人のわれなわすれそ

           (谷崎潤一郎 著「都わすれの記」より)

 

この春、熱海西山の疎開先の家では 

 櫻花散る庭に桜の樹はなけれど 落花の様雪の如く 満庭に散り敷く

だったそうですが(「疎開日記」より一部引用)

熱海、という土地は、一家を養うにはとても良い土地だったようで、

魚の配給が豊富だった話が語られていました。

 

                  

 

 

 

 

         

 

9月の終わりの朗読会にて読む「都わすれの記」よりご紹介

 

   あり経なばまたもかへらん津の國の

        住吉川の松の木かげに   昭和甲申(きのえさる)のとしの春 

                谷崎潤一郎 著「都わすれの記」より

 

この歌を残して、

住み慣れた阪神 住吉の地を発ち、

谷崎潤一郎とその一家は爆撃を避け疎開のため熱海へと向かいました。

 

「都わすれの記」

始まりの歌、です。

 

あり経  という言葉が、生きてこの世を過ごす、という意味だそうです。

昭和甲申  は、昭和19年。

 

「都わすれの記」と同時期に書かれている「疎開日記」には、同じ年の元旦から終戦の日までの毎日の出来事が書かれているのですが、

この時期、毎日のように、「細雪」の執筆に取り組んでいた、ということがわかります。

 

 

今年の春
吉野山に登りました。

ちょうど桜の頃の西行庵をめざして。
西行が日々、眺め暮らした桜たちの姿を想像しながら。

これは、西行庵の近くの山頂付近から撮ったものです
山の緑に雲の影が落ちで、ゆっくりと移動してゆくさまが、
ひとを深呼吸させる。

外国人の方も時折リュックをしょって登っている狭い山道が、
西行はここに隠棲していたのだな、という感を、なぜか強く持たせてくれました。

桜は代変わりしても
吉野桜の幻の風景と、桜を咲かせる土壌は、変わらずに残る。

新しい、細い細い若木が風にしなう様子が、
かえって昔、ここに暮らした西行が、満開の桜を眺めていた様子を、強く想起させてくれました。

山道を歩いて降りる途中、
とある茶店で頂いた葛湯が、本当に美味しかった。
葛の土地は、いまだ健在です。

谷崎潤一郎の小説に「吉野葛」という作品がありますが、谷崎が歩いた昔の吉野と、南北朝時代から伝わる伝説や、歌舞伎や人形浄瑠璃の義経千本桜の舞台のイメージが重なって、
現実が物語を生むのか、物語が現実を作り変えてゆくのか、
よくわからないところにある物語の奥には、日本人の生活の歴史が深くかかわっているように思いました。

近くの町には、昔からの紙屋さんが店を開いていました。
美しい細工物が並んでいる様子に、豊かな文化が息づいていることを感じました。





合唱曲 安積黎明高校「静かな雨の夜に」

高校生女子の合唱はいいですね。
天使の声。



この高校、福島県内では最強でして、
全国大会常連、セミプロの合唱団です。
合唱コンは、Nコン、朝日コンとありますが、
この曲は朝日コンの課題曲だとのことです。
どなたの作曲だったのでしょうか。
高校生の合唱曲の作曲とあなどることなかれ、
本当に素晴らしい曲が目白押しです。
きっと、これからもずっと、こういう曲を、折に触れて聞き続けてゆくのだと思います。

高校生の頃は合唱部で、オケラの定演ではかりだされて歌っていました。音楽を教えて下さったK先生、懐かしいです。

ところで、福島県の高校は確か昔、公立でも男女別学だったように思いますが、もう今では変わっているでしょうか。

追悼 星野彼方

「LIFE」の作者、星野彼方さんが一週間ほど前、お亡くなりになりました。

急性心筋梗塞とのことでした。

 

数年前に、神奈川の地域FMナパサで、5人での「LIFE」を企画、録音した時以降、

お会いしていなかったのですが、

その後もウェブ上では、お書きになったものを時々拝見していました。

 

メッセージを時々頂いて、その様子からは

お元気そうだなあ・・

としか思っていなかったのですが、

こんなに急にいなくなるとは

なんだか現実とは思えなくて、

しばらくは信じられない思いでした。

 

星野さん(これ、ペンネームです。本名は別。)の熱、というか、勢い、というか、

ご自分の書いた作品に対する熱情、というか。

それがいちばんよく現れていたのが、

舞台で星野さんの作品を朗読したい、という方が出るたびに、必ずと言っていいほど駆けつけてくださっていたこと。

忙しい仕事の合間に、仲間と飲み、語り、歌い、そして朗読会に駆けつけて朗読者を励まし、

そして、ご自分の原稿に手を入れ、

なんてタフで情熱的な人なんだろう・・というのが、星野さんの印象でした。

 

そう、何人かの朗読家が、星野さんの他の作品を舞台で朗読させて頂いていたのを覚えています。

 

最初に「LIFE」をお預かりした時には、他の朗読家さんも舞台にかけていた、ということで、

その方ともお話をしながら進めていった、という思い出もあります。

 

最初の自己紹介の時に、「故郷は福島です」とおっしゃっていた通り、

数年前からは福島に移住なさっていたそうですが、

都内で生まれ育った方らしい都会的なセンスも持ち合わせていた方でした。

 

この三月にメッセージを頂いた時には、

福島のご親戚のお話をなさっていました。

昔からの付き合いを、とても大切にされる方でした。

 

満60歳でこの世に別れを告げた星野彼方さん

本当に、まだまだこれから沢山、いろんな、かっこいいショートエッセイが書けるんじゃないかと思ってたんだけど・・

89歳の星野さんのショートエッセイを読んでみたかった、

とても残念です。

ご冥福をお祈りいたします。


なよたけ朗読LIVE「いのちのものがたり~LIFE」    2014年3月22日

https://ameblo.jp/nekopho/entry-11801921643.html?frm=theme

 

いのちのものがたり「LIFE」  ~東日本大震災に寄せて   2015年3月19日

https://ameblo.jp/nekopho/entry-12003414521.html?frm=theme

 

 

 

 

 

 

『春と修羅』補遺  の、最後に収められていたこの詩をご紹介♡

サハリンへの旅を描いた一連の補遺稿の次に収められています。サハリンへの旅の締めくくり?


「自由画検定委員」       宮沢賢治

どうだここはカムチャッカだな
家の柱ものきもみんなピンクに染めてある
渡り鳥はごみのやうにそらに舞ひあがるし
電線はごく大たんにとほっている
ひはいろの山をかけあるく子どもらよ
緑青の松も丘にはせる

こいつはもうほんもののグランド電柱で
碍子もごろごろ鳴ってるし
赤いぼやけた駒鳥もとまっている
月には地球照(アースシャイン)があり
くゎくこうが飛び過ぎると
家のえんとつは黒いけむりをあげる

おいおいおいおい
とてもすてきなトンネルだぜ
けむって平和な群青の山から
いきなりガアッと線路がでてきて
まるで眼のまへまで一ぺんにひろがってくる
鳥もたくさん飛んでいるし
野はらにはたんぽぽやれんげさうや
じゅうたんをしいたやうです

お月さまからアニリン色素がながれて
そらはへんにあかくなっている
黒い三つの岩頸は
もう日も暮れたのでさびしくめいめいの錆をはく
田圃の中には小松がいっぱいに生えて
黄いろな丁字の大街道を
黒いひとは髪をぱちゃぱちゃして大手をふってあるく

鳥ががあがあとんでいるとき
またまっしろに雪がふっているとき
みんなはおもての氷の上にでて
遊戯をするのはだいすきです
鳥ががあがあとんでいるとき
またまっしろに雪がふっているとき

青ざめたそらの夕がたは
みんなはいちれつ青ざめたうさぎうまにのり
きらきら金のばらのひかるのはらを
犬といっしょによこぎって行く
青ざめたそらの夕がたは
みんなはいちれつ青ざめたうさぎうまにのり
        『春と修羅』補遺より「自由画検定委員」



この詩には日付が書かれていません。
旅が終わってすぐ書いたのか、
それともまた別の時期に書いたのか。

最後の数行にとても惹かれました。

日は金のばら

というフレーズが頭に浮かびます。
この世のものならぬ風景。

朝陽のあたる部屋は
例えどんな部屋だろうと
極上の時間を住人にくれる。

そんな感慨が浮かびます。

『春と修羅』本編はこの後一転して、明るく溌剌とした宮沢賢治28歳の青春の詩群『風景とオルゴール』へ。命のエネルギーが溢れ出すような生き生きとした詩の言葉は、ほんの少し唇に乗せるだけでも不思議な風景をイメージできるのではないかと思います。


花巻にて






〜イーハトーブの風をもらって〜   

7月例会が終わりました。

今回は、

詩集『春と修羅 第1集』より「噴火湾 (ノクターン) 」

『春と修羅  補遺』 より「青森挽歌」

を、朗読 させて頂きました。


宮沢賢治の妹、とし子さんが亡くなったのが、この詩が書かれた前の年の11月。

約6ヶ月の空白を経て書いた二篇の詩「風林」「白い鳥」で『無声慟哭』を終え、7月末にオホーツク海へと旅立った彼は、その約二週間の夏の旅の間に『オホーツク挽歌』五篇を含む約十篇の詩を書き上げました。


この旅は、宮沢賢治が農学校に勤めていた1923年の夏休み、731日〜812日の間の旅でしたが、主には生徒の就職活動のため、だったそうです。


農学校に赴任してから、教師として日々の授業に全力投球し、同僚や友人たち、生徒たちと笑い合い、語らい合い、学校生活を謳歌しながら、それでも少しずつ衰えて行く妹の病状に心を痛め続けていた様子が、詩だけではなく、その時期書かれた他の文章からも伺うことが出来る。


新しいユニークな授業を夢中なって考案、実践し、戯曲やオペレッタを書き、生徒たちと上演しながら、彼はその内面では何を感じ続けていたのでしょうか。

『オホーツク挽歌』で書かれた詩たちの持つ勢いは、堰き止められていた心の痛みと、繰り返し自分自身に問いかける答えの出ない問いを、それでも詩として、言葉で全てを書き留めておこうという意志で、描ききっていた ように思います。


ぜひとも「青森挽歌」を読んでみてください。

そして「噴火湾(ノクターン)」の透明さを味わってみてください。


人ひとり   の存在の大きさは、居なくなって初めてわかる。


約一年かけて喪の儀式を通過した宮沢賢治の魂の履歴を、彼の書いた詩と童話から追体験する試みでした。

聴いてくださった方々、ありがとうございました。


夜の公園にて。



雁の童子を語り込む。

 

最初に惹きつけられたのは。


登場人物の人格設定。

巡礼の老人とは何者か?

青木章は宮沢賢治の別人格としても

この物語のほとんどを語る巡礼の老人の体格や風貌、声質や衣装、人生など、

何も書かれていないところから 全てを想像で作るのはちょっと大変・・

 

と思い、井上靖の「楼蘭」を参考に、人物設定をしました。

井上先生、ありがとうございました。

(あの後もう少し読みたかった・・・「天平の甍」の鑑真は、終生私のアイドルかも ) 

 

物語の中で現実の登場人物と定められている人物の人格設定を固め 語り込んでいった時に

巡礼の語る 登場人物の感情が ふと動き 心が通い始め

父が子に託したもの

母が悟ったもの

子が望んだもの

が、生きた感情の表れた会話となって、

すべての台詞が一切の無駄なく書かれていることを体感しました。

 

本当に

削れるところなどひとつもない物語。

 

宮澤賢治は西域に行きたかったのだろう

英国にも行きたかったのだろう

風景描写の美しさに それを感じます。

 

天山、コンロン、パミール高原の三山脈に挟まれたタリム盆地にタリム河は流れ、

その中央にはタクラマカン砂漠。

そして移動する湖 ロブ湖。

砂に埋もれた楼蘭。

 

前漢時代の西域はタクラマカン砂漠の周辺に存在するいくつもの城が一つ一つの国で、

そこにそれぞれ異なった民族が住んでいた、といいます

 

砂漠の中に突如現れる豊かな耕地と水路。

その国々には豊かな生活があり、屈強の砂漠を駆ける駿馬がいた。

 

そして 砂漠に点在する小城郭国家は、砂漠の海に浮かぶ島々のようだと。

 

風景描写の美しさを損なうことなく

台詞による物語の生命を活かして

最後まで語れたように思いました。


 

 

少し時間が経ってしまいましたが

書き留めておきます

 

2018年10月某日

「雁の童子」の稽古に入りました。


一読した印象です。


*********

タクラマカン砂漠の流沙のオアシスに表れるひとりの老人は撃ち落とされた天の眷属の物語を語りきかせてくれる

 

…どんな老人だったのか…。


撃ち落とされた雁が人の形に変わり 赤い焔に包まれる

燃え尽き、影も形もない残らない、

小さな童子がひとり、立って泣く



いつも、そうなのですが。

 はじめは


言葉や場面の持つ意味をあまり考えすぎないで声にしていこうと思っています。

浅黄の瑪瑙の、しづかな夕もやの中で、

言葉の 響き と リズム から 現れる世界を 

意味と同じ重さで 声に乗せてゆく


というのが、私の稽古法です。


語りながら聴き取る。

といったところでしょうか。

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少々  雑感。


西洋には妖精の取り替え子の物語がありますが、

7歳までは神のうち、という言葉が生きていたのはアジア圏全域だったのかな?

 (^^) いや、でも、日本や中国以外の他の地方がどうだったのかは、よくわかりません

「雁の童子」は仏教説話を題材にしているそうです。宮沢賢治の作品にはそれが多いようです。

 

国立博物館で、大谷探検隊が西域から持ち帰った招来品の展示を見ました。

雁の童子のモデルとなった、と言われている

有翼天使像が描かれた壺(でしたっけ?箱?)は、

ちょっと不思議なアンバランスさで。

奇妙、という言葉がぴったり な 天使像。

  (その前に西洋美術館で西洋の天使の姿を浴びるほど見てきたこともあり)

この表情の多様さは 

シルクロードに点在する街が

それぞれで機能していたことの証なのか、と、

 

小さなテラコッタの表情や仏像の表情を見ながら

地図と想像力とで、

巡礼の旅した跡を追うように

背景となる土地と風景のイメージを 原文の言葉から構成してゆくのでした。  つづく