犬が「人類最古の友」と言われ、人間が積極的に家畜化し、共に歩んできた歴史があるのに対し、猫様と人間の関係は全く違う形で始まりました。人間が意図的に猫様を飼い慣らしたわけではなく、自らの意思で人間のそばに寄り添うことを選んだと言われています。

 

この不思議な共存関係が、古代エジプトにおいて頂点を迎えます。彼らにとって、猫様は人間とともに生きる家族であり、そして、人々が心から崇拝する神聖な存在だったのです。今回は、数千年の時を超え、古代エジプト人が猫様に捧げた深い敬意の歴史を、猫のミイラという確かな証拠とともに紐解いていきます。

実用性から始まった神格化

古代エジプトは、ナイル川の恵みを受けた農業社会でした。人々は穀物を栽培し、それを倉庫に貯蔵して生活の基盤を築いていましたが、この大切な食糧を狙ってネズミや蛇が大量に集まってきました。食糧が食い荒らされることは、文明の存続を脅かすほどの深刻な問題でした。

 

そこに現れたのが、野生のリビアヤマネコでした。(救世主現るって感じ(笑))彼らは、人間の集落に住み着いたネズミという豊富な獲物を求め、自然と人々のそばに寄り添うようになりました。優れた狩りの能力を持つ猫様たちは、害獣を駆除し、大切な食糧を守る、まさに「生きた守護神」だったのです。

人間は、この小さな協力者たちを歓迎し、大切にしました。彼らの存在は、実用的な利益を超え、人々にとっての安心と繁栄の象徴となっていきました。

女神バステトと猫崇拝

猫様に対する敬意は、やがて宗教的な信仰へと発展しました。エジプト神話に登場する豊穣、母性、そして家庭の守護神である女神「バステト」は、猫の姿で描かれています。

 

当初はライオンの頭を持つ勇猛な女神として描かれましたが、時代が下るにつれて、家猫の頭を持つ優雅で親しみやすい姿で表現されるようになりました。これは、猫様の二面性、つまり、獲物を仕留める獰猛さと、人間に甘える穏やかさを象徴しています。バステト信仰の中心地であるブバスティスでは、毎年盛大な祭りが開かれ、人々は猫を連れて集まり、女神に祈りを捧げました。何?私も参加したいって思っちゃいました(笑)

 

この信仰は非常に深く、猫様を傷つけることは厳しく禁じられていました。紀元前1世紀のギリシャの歴史家ディオドロス・シクロスは、ローマ人がエジプトに滞在中に誤って猫を殺してしまい、エジプト人の暴動によってリンチに遭い、死刑になったという記録を残しています。この逸話は、猫の命が人間の命よりも重んじられていたことを物語っています。

永遠の愛の証、猫のミイラ

古代エジプト人が猫様にどれほどの愛情を注いでいたかは、彼らが死後の世界に送られる際の儀式からも見て取れます。死んだ猫は、まるで人間のように丁寧に扱われました。

まず、遺体はミイラにされました。防腐処理が施された後、リネンの布で丁寧に巻かれ、小さな木製の棺に収められました。この際、ネズミのミイラが一緒に埋葬されることもありました。これは、猫様が来世でも獲物に困らないように、という願いが込められていたと言われています。

また、副葬品として、おもちゃや、魚、ミルク、鳥などの食料も一緒に埋葬されました。これらの埋葬品は、生前の猫様が愛したものを来世でも楽しんでほしいという、飼い主の深い愛情を示しています。エジプト各地には、数えきれないほどの猫の墓地が発見されており、特にブバスティスのバステト神殿の近くでは、数十万体もの猫のミイラが発掘されました。これらの大規模な共同墓地は、猫が単なるペットではなく、神聖な存在としてコミュニティ全体で大切にされてきた動かぬ証拠です。

世界で「猫のミイラ」に会える場所

古代エジプト人の猫様に対する敬意を物語る猫のミイラは、現在、世界中の主要な博物館で観ることができます。その神秘的な姿は、数千年の時を超えて、私たちに深い感動を与えてくれます。

 

大英博物館(ロンドン、イギリス): 世界最大級の古代エジプトコレクションを誇るこの博物館では、猫のミイラが収められた小さな木製の棺や、バステト神をかたどった像などを見ることができます。
ルーヴル美術館(パリ、フランス): ルーヴル美術館の古代エジプト部門にも、猫のミイラや猫をモチーフにした青銅製の像などが収蔵されています。特に、バステト神信仰の中心地であったブバスティスから発掘された貴重な品々が展示されています。
メトロポリタン美術館(ニューヨーク、アメリカ): メトロポリタン美術館のエジプト美術部門は、その規模と質の高さで知られています。ここでは、猫のミイラだけでなく、猫の姿をしたさまざまな副葬品や彫刻を見ることができ、古代エジプト人が猫に抱いていた深い愛情を感じることができます。
エジプト考古学博物館(カイロ、エジプト): 猫様が崇拝されていた本場、エジプトの博物館です。ここでは、他の博物館よりもさらに多くの、様々な猫のミイラや関連品が展示されており、より深く古代エジプトの猫文化に触れることができます。

まとめ

古代エジプトにおける猫様は、人間社会を支え、守ってくれる「共存者」であり、崇拝すべき「神聖な存在」でした。特に、猫崇拝の話とミイラの話(副葬品におもちゃを入れたり、ネズミのミイラを入れたりって)はちょっとワクワクしました。間違いなく猫を崇拝する宗教、入っちゃいそうですもん(笑)私の前世に古代エジプト人が居そうな気がします。今日のお話は、共感しかありませんでした。皆様はいかがでしょうか?

 

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誰もが一度は目にしたことが「フミフミ」。あなたの膝の上やベッドの上で、猫様が前足を交互に動かし、まるでパンをこねるかのようにフミフミする姿を。この愛らしい行動には、猫様たちの秘められた感情が隠されていることをご存知でしょうか?

 

今回は、猫様が「フミフミ」する理由を徹底的に解明し、それが私たちに何を伝えようとしているのかを紐解いていきます。

フミフミのルーツは子猫時代にあり

「フミフミ」行動は、学術的には「ニードリング」と呼ばれています。その起源は、子猫だった頃に遡ります。

 

子猫が母猫のおっぱいを飲むとき、前足で母猫のお腹を交互に押す仕草をします。これは、母猫の乳腺を刺激し、ミルクの出を良くするための本能的な行動です。この時、子猫は温かい母猫に包まれ、お腹を満たし、最高の安心感と幸福感を味わいます。

フミフミは、この「ミルクを飲む→お腹がいっぱいになる→安心する」という、子猫にとって至福の記憶と深く結びついています。したがって、大人になった猫様がフミフミをするときは、子猫時代に感じた、あの究極の安心感や幸福感を呼び起こしているのです。

 

特に、保護猫様や、幼い頃に母猫から離れてしまった猫様がフミフミを続ける傾向があると言われます。これは、彼らが母猫との温かい絆を求めている、あるいは、その記憶を大切にしている証拠かもしれません。

 

我が家は普通に立っている時も、床をフミフミ。指というか手を開いたり閉じたりしながら床をフミフミしてくれたりもします。くもがよくやりますね。

フミフミは最高の愛のサイン

フミフミは、単なる本能的な行動の残りではありません。それは、飼い主であるあなたに贈る、特別な愛のメッセージなのです。

 

まず、猫様がフミフミをするのは、心からリラックスし、安心している時だけです。警戒心やストレスを感じている状態では、フミフミのような無防備な行動はとりません。あなたが猫様にとって、敵に襲われる心配のない、完全に安全な場所だと認識しているからこそ、フミフミをしてくれるのです。これは、あなたを心から信頼している、何よりの証拠と言えるでしょう。

 

また、フミフミは、猫様があなたのことを「まるで自分の母親のように慕っている」という深い感情の表れでもあります。猫様は、人間を自分より大きな「母猫」として認識することがあります。あなたの膝の上でフミフミするのは、「あなたが僕の安全で温かい場所だよ」と、全身で愛を伝えているのです。

 

フミフミをしながら、目を細め、喉を「ゴロゴロ」と鳴らします。これらの行動は、猫様自身が至福の気持ちで満たされていることを示しています。あなたが猫様にとって、かけがえのない、特別な存在である証なのですよ。

フミフミに隠された多様なメッセージ

フミフミ行動は、様々なシチュエーションで見られますが、それぞれに異なる意味が隠されていることがあります。

 

柔らかい場所でフミフミ:
布団や毛布、クッションの上でフミフミするのは、母猫のお腹の柔らかさを思い出しているからと考えられています。これらの場所は、猫様にとって最高のくつろぎの場所であり、安心感を与えてくれるのです。

特定の物に対してフミフミ:
特定の毛布やぬいぐるみ、時には別の猫様に対してフミフミすることがあります。これは、その物や猫様が、フミフミする猫様にとって安心感や心地よさを与える「特別な存在」になっている証拠です。

くもがもちの上に乗ってフミフミするのは、こういうことなのかな?自分が大きくなったことを忘れて、子猫の頃みたいに上に乗っかってフミフミしてもちに怒られてます(笑)

「発情期」のフミフミ:
オス猫が発情期に、メス猫に対してフミフミに似た行動をすることがあります。これは、交尾前の準備行動であり、愛情表現としてのフミフミとは目的が異なります。ただし、去勢手術をしたオス猫やメス猫がこの行動をすることは稀です。

まとめ

「フミフミ」する行動は、単なる癖や習慣ではなく、子猫時代の幸せな記憶と結びついた、猫様からの深い信頼、愛情、そして感謝の気持ちが込められた特別なメッセージでしたね。猫様がフミフミをしてくれたら、それはあなたが猫様にとってかけがえのない存在だという証です。その尊い愛のメッセージを、どうか大切に受け取ってくださいね。

 

 

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古代エジプトでは神聖な存在として崇拝されていた猫様。穀物を守る守護神として大切にされ、その死は盛大な葬儀で悼まれました。しかし、中世ヨーロッパでは、猫様の運命は一転します。

 

中世ヨーロッパにおいて、猫様は「魔女の使い魔」や「悪魔の眷属(けんぞく)」として徹底的に迫害されました。無数の猫様たちが人々の手によって虐殺され、その結果、人類史上最悪の悲劇を招くことになります。

 

なぜ、これほどまでに残酷な扱いを受けることになったのでしょうか。今回は、猫様にとっての暗黒の時代を紐解き、その背景や歴史をみてみましょう。

信仰の変遷と猫への偏見

中世ヨーロッパは、キリスト教が社会の中心を支配する時代でした。教会は、それまで各地に残っていた土着の自然崇拝や異教的な信仰を「異端」として徹底的に排斥しました。この流れが、猫に対する偏見を生む大きな原因となったのです。

 

猫は、古代ローマやゲルマン民族の多神教において、豊穣や自由を象徴する女神たちと結びつけられていました。例えば、北欧神話の愛と豊穣の女神フレイヤは、猫が引く二輪戦車に乗っていると描かれています。これらの信仰は、キリスト教の教義とは相容れないものであり、猫は異教徒のシンボルとして見なされるようになりました。

さらに、魔女狩りが盛んになると、猫への疑いは決定的になります。当時の人々は、魔女が動物の姿を借りて悪事を働くと信じており、猫は魔女の「使い魔(familiar)」として、悪魔の力を借りて変身した姿だと考えられました。特に、黒猫は不吉な存在の象徴とされ、魔女の集会に現れる動物として、最も忌み嫌われたのです。

 

人々は、猫を捕まえては火祭りの焚き火で焼き殺したり、悪魔を追い払うという名目で建物の壁に生きたまま塗り込めたりする、残酷な慣習を繰り返しました。猫の鳴き声は、苦しみの叫びではなく、悪魔の呪いの声だと信じられていたのです。

迫害が招いた悲劇

猫への根拠のない迷信と憎悪は、大規模な虐殺へと発展しました。ヨーロッパ各地で、無数の猫たちが無慈悲に殺されました。

その結果、猫という天敵がいなくなったことで、ネズミが異常な速度で繁殖し始めました。ネズミは、食料を食い荒らすだけでなく、人間の暮らしに忍び寄り、病原菌を運ぶ存在でもありました。そして、ネズミの体についたノミこそが、人類史上最悪のパンデミックを引き起こす媒介者だったのです。

 

14世紀、ヨーロッパ全土でペスト(黒死病)が大流行しました。これは、ノミが媒介するペスト菌によって引き起こされる感染症です。当時、人口の3分の1から、地域によっては3分の2が命を落としたと言われるほど、その被害は甚大でした。人々はペストの原因を「神の怒り」や「魔女の呪い」だと信じましたが、その真の犯人は、人間が自らの手で滅ぼした猫という守護神の不在だったのです。

 

人間は、迷信のために自然の摂理を無視し、自らが生態系のバランスを崩してしまったのです。猫を殺した結果、ネズミが蔓延し、ペストという悲劇が起こるという、皮肉で悲しい歴史がそこにはありました。

近代における名誉回復と復活

中世の暗黒時代は、永遠に続くものではありませんでした。15世紀以降、ルネサンスが始まり、科学や理性の重要性が増すにつれて、猫への偏見は徐々に薄れていきました。

 

18世紀になると、猫は再び人々の生活に受け入れられ始め、愛玩動物としての地位を確立し始めます。特に、イギリスのヴィクトリア女王が猫を愛し、宮廷に迎え入れたことは、猫の名誉回復に大きく貢献しました。女王が猫を飼い始めたことで、猫は上流階級の間で再び愛される存在となり、やがて一般市民にも広まっていきました。

ヴィクトリア朝時代には、猫の品評会や愛好家団体が設立され、猫は再び人間にとっての良きパートナーとして市民権を得たのです。

まとめ

中世ヨーロッパにおける猫様の暗黒史は、人間がいかに迷信や偏見に囚われやすかったかを示しています。この悲しい歴史を経て、猫様が実用的な存在というだけではなく、私たちの心を癒し、暮らしを豊かにしてくれる存在になってくれています。

二度とこのような悲しい歴史を繰り返してはいけませんね。

 

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