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昨日のブログで、やたらと私が「自己顕示欲」を連呼していました。
わかっていたのです。
絶対に私の中の根深い問題がこの「自己顕示欲」にあることを。
「自己顕示欲」という言葉に反応するけど、それの何が問題で何がきっかけなのかがわかってませんでした。
もちろん、「自己顕示欲」をばりばりに全面に出してる人にイラつくという問題もありますが
昨日のブログを読んでカウンセラーの方がコメントをくれました。
以前私の、やはり根深かった問題を癒してくれた方です。
「私を認めろー!って言えばいいのに。」
と、言うのです。
「え?自己顕示欲を出してくる人が嫌なのに、なぜ『私を認めろー!』なのかな?そんなこと思ってないのになぁ。」
と、思いました。
でも、私の心の傷を癒してくれた方なので、素直に従ってみることにしました。
さすがに家でそんなことを言えば子供たちに
「こっわ~引くわ~!」
って言われるのが目に見えてるので、旦那さんの迎えの車の中で一人で叫んでみることにしました。(いや、叫ばなくても(笑))
夜10時ちょっと前の道は真っ暗で、車の中で歌ったり叫んだりするのにうってつけで、たまに熱唱することはありましたが、
「私を認めろー!」
は、初めてです
「わたしをみとめろー!」
最初は大声が出ました。
何度か言ううちに落ち着いてきて、そのうちにある出来事が思い浮かんだのです。
それは、父方の祖母の葬儀。
(当時は)高速道路もなく、半日くらいかけて父親の運転する車で向かいました。
乗ってるだけでしたが、ヘトヘトでした。
父親の実家に着くと、家を継いでいる父親の姉である伯母とその旦那さんの伯父が迎えてくれました。
「nekonpas~良く来たなぁ」
と、いつも言ってくれた祖母。
もう二度とそんな言葉をかけてはくれません。
伯母は「みんな良く来たね。」と迎えてくれましたが、伯父は私の顔を全く見ないし声もかけてくれせん。
姉だけにニコニコして話しかけていました。
伯父にとっての姪は姉しかいなくて、完全に私は透明人間でした。
葬儀の日、両親や伯母たちは、祖母に死装束をさせ棺桶に入れました。
そして蓋を閉め、近い親戚はみな少しずつ釘を打っていきます。
私の番になり、棺桶に近づくと私の前に伯父だったと思いますが立ちふさがり、トンカチで全部打ちつけてしまったのです!
私も祖母のために送る支度をしたかったのに、まるでそこに私がいないかのような態度でした。
祖母が亡くなったのはもちろん悲しかったのですが、私のことを祖母の葬儀という大切なときに、終始空気扱いされた悔しくて悲しかったのです。
車の中で
「私を認めろー!」
と言うと伯父が目の前にいる気分になりました。(亡くなってますので本当にいたりして)
「私を見て!」
「私を認めて!」
「空気扱いしないで!」
「私を尊重して!」
どんどん思ってもなかった言葉が出てきて出てきて・・・。
思い付くまま自分のしてほしいことを言い続けました。
その夜はそんな感じで気が済んだのですが、今日は旦那さんを片道40分の会社まで送ったので、帰り道にまたやってみました。
「私を認めて!」
「私を無視しないで!」
「私を仲間はずれにしないで!」
「私を軽く扱わないで!」
そんな言葉が出てきたときに、私が悩んでいた過去の人間関係がワーッと思い出されました。
例えば
「花いちもんめ」で選ばれなかったこと。
3人でいると必ず私だけ仲間はずれにされたこと。
私に落ち度がなかったとしたら・・・ですが、この祖母の葬儀のことがあってから、そういう出来事を引き寄せていたのかもしれないと思いました。
車のフロントの窓の上の方を見ながら私は伯父に向かって文句を言いました。
「なんで、私を無視したの?」
「なんで棺桶に釘を打たせてくれなかったの?」
「なんで最後まで姉だけにまた来いよっていったの?」
「すごく傷ついたし悲しかったよ!」
思い付くまま気の済むまで言いました。
「そんなに悲しい思いをさせたなんて思ってなかった。ごめんな。」
「もっと話したらよかったな。良く来たなって言えばよかったな。」
そんな言葉が口から出てきたのです。
誰かが見て聞いてたら、間違いなく病院送りでしょう(笑)
しかし、私は真剣にこの「伯父」と会話をし続けました。
そして、最後に
「わかったよ。もう許します。もうこの話は永遠におしまい!握手!」
「ありがとう。」
そういうとなんとなく手がフワッと温かくなり、胸の辺りも温かくなりました。
生まれ変わったみたいに世の中の人が優しく感じます!
みんな私に優しいのです!(妄想だと言われてもいいっ!)
煽る車なんて全くいないし、譲ってくれたり
はじまりは電話線の故障の話だったのに、いつの間にか私のトラウマをあぶり出し癒してしまいました。
この「自己顕示欲」に関するいろんな問題が、今後どんな風になるか楽しみです!
何かあったらまたご報告します