こんばんは、ねこあしです🐱


本日ご紹介させて頂くのは、日本赤十字社の看護師たちが被爆から35年後に記した手記を原案に、原爆投下直後の長崎を舞台に、被爆者救護にあたった看護学生たちの1か月を映し出したヒューマンドラマ「長崎―閃光の影で―」




1945年、看護師を目指して勉強中のスミ(菊池日菜子)、アツ子(小野花梨)、ミサヲ(川床明日香)は空襲による休校のため、長崎に一時帰郷していた。


彼女たちが家族や恋人と久しぶりに過ごす中、8月9日11時2分、アメリカ軍が投下した原子爆弾が爆発し、一瞬にして多くの人の命を奪う😱❗


看護師の卵である3人は、被爆した人々の命を救おうと駆けずり回るが・・・。


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「あ、晴れてきた」

冒頭のミサヲの発言に、直後の出来事を知っている身としては胸が締め付けられた。


もし、などと考えるのがいかに無意味であるのかをわかっていても・・・

つい、考えてしまう。

もし、「晴れてさえ」いなければ。

本当に、何という皮肉。


「あと、7日早く負けていれば、みんな生きてた」

玉音放送の日、亡くなった患者の布団を拭きながらアツ子が呟いた台詞が刺さる😢

昨日まで、国民一致団結で必ず勝つ!と言われて戦ってきたのだ。

大事な人たちを失いながら。

どんな思いで、この言葉を呟いたのだろう。


スミの幼なじみで恋人の勝(田中偉登)が終戦後、「良かったな」と言ってスミに「なんでそんなことが言えるの?」と叱られているが、間違ってなんかいない。

「俺だって、わざわざ死にに行きとうなか」 

「何てこと言うとね」 スミは即座に勝に反撃するが、赤紙が来ていた彼からしたら、それこそすんでのところでの終戦宣言だったのだ。

当たり前の思いだ。

誰が死ぬとわかっている場所へ、わざわざ行きたいと願うものか。 


もはや、みんなうっすら敗戦の色には気づいていたのだろう。

だけど、戦時中はそれを口に出すことは許されなかった。


日本が戦争に負けて、やっとそれを口にすることができるようになったのに(それでもまだ非国民と言われることもあったが、少なくともだからといって警察にとらわれることはなくなった)


けれど。

熊本へとスミと共に疎開する途中で、彼は吐血する。

「赤痢かもしれん、赤痢なら治療すれば治る・・・」

言いかけるスミを制して、勝が言う。

「どこに歯が抜ける赤痢がある?離れろ。手をよく洗って、うがいをしろ」

せっかく思いが通じ、2人での生活を始めようとした矢先だったのに。 

若い2人にあった将来も、消えた。


日々、なすすべもないまま、遺体を火にくべる生活(背中で既に死後硬直を起こしている妹を背負った少年も、焼却所に並んでいるシーンは痛々しかった)

薬も不足し、ただ、傷口に湧く蛆を除去する日々。

看護師たちもみんな、いっぱいいっぱいだった。


「私の両親は黒焦げだった。スミのご両親は生きてる。生きてるのに、マサオさんと出ていこうとした。そんなスミを許せない。それを許せない曲がった心の私も許せない」と、アツ子が言う。

曲がってなんかいない。

誰も、間違ってなんかいなかったのに。


広島の死者の半分の長崎でさえ、この惨状なのだ。

広島は、どれほどだっただろう。

(ちなみに、長崎の爆弾の威力自体は広島の1.3倍だったらしいが、山に囲まれ、熱線や爆風が遮断されたため、被害が食い止められたらしい)


戦争は、良くない。

子どもにだって分かる、こんな単純なことを人類はいつまで続け、そのための殺戮兵器を開発し続けるのか。


今回評価は、✩✩✩✩★の3.5

2025.8.5鑑賞