こんばんは、ねこあしです(*・∀・*)ノ
本日ご紹介させて頂くのは、1981年にベトナムで結合双生児として生まれ、1988年に双子の兄ベトさんとの分離手術に成功したグエン・ドクさん
が、リハビリなどを経て自立した生活を送り、結婚して妻と双子の子供たちと暮らす様子などが映し出したドキュメンタリー「ドクちゃん フジとサクラにつなぐ愛」
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「僕にとって足が1本ないことは大したことじゃない。亡くなった僕の兄の血液は僕の中に流れていて、兄は今でも僕の中で生きている。精一杯頑張って物事に取り組もうと思っているが、充分にできなかったときには兄に申し訳ないと思う」
ポスターの笑顔からも見てとれるように、日常生活を難なくこなしているかのようにさえ見えるドクさんだが、当然のように不便なことは沢山ある筈なのに▪︎▪︎▪︎
家族と過ごす様子などを見ていると、本当にどこにでもある家庭の和やかなやり取りでしかない👨👩👧👦
そこには(家族の理解や協力は勿論)ドクさん自身の生きるための覚悟がある筈なのだが、そうしたシビアさはほぼ感じさせない笑顔に驚く。
松葉杖で身軽に移動し、時にはバイクにも乗り、サッカーさえする(o゚Д゚ノ)ノ
ボーリングだって、私よりうまい🎳
そして、亡くなった兄への思い。
70ー80年代生まれの方は、リアルタイムでニュースを見ていた記憶があるだろう。
半身が繋がった兄。
自分のカラダの半分だった兄を亡くす経験は、我々には想像できない痛みだと思う。
兄のベトさんは、元々ドクさんよりも弱かったのだろう。
当時の映像を見ていると、常に元気で上体を起こしてニコニコ笑顔であちこちに興味を示すドクさんとは対照的に、ベトさんはベッドに横になったままでいることが多い。
オペ前に高熱で昏睡状態になってしまうが、同じ血液が巡っている筈のドクさんはどういうわけか、まるで元気でいた。
基本的には誰にでも笑顔で接するドクさんだが、両親とのシーンだけは頑なな表情だった。
出産後、病院から逃げた父。
出産直後に気絶し、やはり産院からいなくなった母。
メディアの力で探しだされたのだろう、その後面会こそはしているようだが、特に父親には怒りを隠せない様子で、途中で席を立っていた(尤も、ベトさんの墓参りに一緒にいくかというドクさんの提案に対し、「家族に聞いてみないとわからない」とのらくらした回答をしながらも、のうのうと「俺は息子を愛しているが、息子は俺を愛していないようだ」と、ぬけぬけと言う父親には私自身、見ていて腹が立った😠)
一方で、彼の妻はもとより、彼の子どもたちが自然にドクさんに寄り添い、サポートしながらも、父親としても敬っている様子は、ドクさんの人間力の高さを思いしらされた(ちなみに、広島国際大学で客員教授を勤める彼は、非常に親日家でもあり、自宅には日本の国旗が置かれていた🇯🇵 作品サブタイトルのフジとサクラは、人工受精で授かった彼の双子の子どもたちだが、子どもたちの名前にも親日家ぶりが伺える)
今回評価は、⭐⭐⭐⭐★の3.6
2024.5.4鑑賞