『夫』を諦めた話を書いた。
諦めたら、仕方ないと思えるようになり前よりは腹が立たなくなった。
出来るだけ距離を取るようにして、必要な会話だけにするよう心がけたら、だいぶ心が楽になってきた。
最近感じたことは、
◯私は、夫や夫婦というものに『理想』や『期待』を持っていた為に過干渉気味になっていた!?
◯相手と自分を同一視(無境界)な状態だった
◯毒親育ち故、相手と適切な距離感を保って接することが出来ていなかった
相手の問題や、発達の問題ももちろんあるけれど、これらがあったから自分も相手も苦しかったのかな?と思う。
「おまえの言い方が悪いから(オレは怒る・暴力を奮うん)だ」
この言葉は、『俺は悪くないけどお前が全て悪い』
そう言われているようでものすごく心外だったし、そう言ってのける夫の人格を疑ったけれど、
でも、一理あるかもなとも…思う。
(けれど、どんな理由があろうとも暴力はダメだけど)
相手に必要以上に期待しないこと、適度な距離を取ること(夫といえども所詮は他人)、夫の発達や価値観、人間性などが私とは違うことを認める。
何か言われても同じ土俵に乗らない。
それから、きちんと〇〇〇なことを認めることで楽になれてきた。
〇〇〇なこととは、
つまりは
夫をキライになっていることを認めること(爆)
はっきり認めなたくなかったその事実を認めることで、夫に優しく出来ない自分を責めずにいられるし、対策が取れるから、認める(自己受容)は大切かと思う。
自分の心に嘘ついてはダメだな。
今までは自分のことが良くわかっていなかったし、薄々感じていても認めたくなかったから、なんで夫に優しくできないんだろうとか、夫に病気や不運なことがあった時に、妻なのになんで心から心配出来ないんだろうと自分を責めてしまったりモヤモヤしていた。
けれど、キライだからだとはっきり認識出来た今は、頭はスッキリしたし(謎が解けた)、心配出来ないのは私が冷たいからだとか人の気持ちがわからないからだとか悩む必要がないとわかった。
誰だって嫌いな人には心から心配出来ないと思うのだ。
最近この本を読んだ。
わかるわかる!とのめり込んで読んでしまった!
家事や育児は女の仕事という価値観で、ずっと妻に任せっきりで仕事人間だった常雄。
家事育児は女がすればいい、そんなことは女の仕事という価値観で生きてきた常雄は、妻(女性)の苦労や悩みやストレスなど考えもしなかった。
妻が体調が悪い時も自分の食事の心配しかしなかった。
そんな恒雄は定年を迎え、離婚の危機にある。
定年後は妻と海外旅行にあちこち行くことを考えていたのに、それが叶わなくなってしまった。
仕事人間の夫に、家庭のことは何でも押し付けられてきた妻が、『夫源病』で欝になってしまったのだ。
妻から避けられ、娘からも『アンタ』
呼ばわりして責められ、避けられる虚しい日々。
そんな日々の中、最初は嫌嫌だったが息子の孫の面倒をみることになったことがきっかけで、恒雄は価値観や意識を変えざるをえなくなり、徐々に家族の関係性も変わっていくというお話。
恒雄は離婚や孤独の危機に直面したからこそ、意識を変えることが出来た。
時代が変わっても、人々の価値観や仕組み・制度はなかなか変わらない日本。
女は家事育児をしろ=働くな という世の中は一変し、今は女も仕事をしろという風潮になっているのにも関わらず家事育児は相変わらず女性のやることという認識が根強く残っている。
それに、子育てしながらは働きづらい仕組みや制度が多数残っていると感じる。
3歳児神話を作り出し、経済状況が変われば簡単に撤回したりする政府の方針に振り回されてきた日本国民。
そのような政府の方針によって家庭に歪みが出ているようなことがこの本にも書かれているが、まさにだと思う。
だが、この本の恒雄のように、何かのきっかけでこのままではいけないと気づいてくれたら、妻や家族との関係も徐々に良くなっていけるのではと思う。
うちの夫も、昭和の仕事人間な父親の背中を見て育ってきたから恒雄と同じような【男は仕事、女は家事育児をやるもの】という昭和の価値観を持っていた。
私の訴えと説得によりだいぶ協力してくれるようにはなったけれど、まだこの【昭和の価値観】をアップデート出来ていないと感じる。
女を低くみており格下だと思っている、家事は女の仕事だと思っている節がある。
我が家は、まだ結婚12年くらいだが、もうこの老夫婦のようになってしまっている(笑)
夫がこの先変わることは望み薄だなあ…。
恒雄さんくらいの危機を本人が感じないと変わらないだろうな。