発達障害の人の特徴などを解説している動画を見ていたら、自分にも当てはまることがままあった。
自分自身に対して、やっぱりかと納得する部分と、母に対してもやっぱりかと納得する部分があった。
あの人、やっぱりね、やっぱりそうか。
たからあの人は自分では一生懸命子育てしてがんばっていたつもりなんだろうけど、子供にとっては毒になる親になってしまったんだ。
母に対しては未消化な気持ちや怒りがものすごくあったが、発達障害ということにしたらものすごく納得して、もう本当にムリだと諦めがついたし腹落ちした。
(診断したわけではないから実のところはわからない)
あの人は発達障害だから、こちらの辛さをわかってもらうことも、あの人が自分自身を客観視したり理解することも、子供(他人)の気持ちを理解することも、みんなみんな、何もかも無理なんだ。
あの人にそういうことを求めても、元々そういう能力が欠如しているから無理なんだ。
なんでそういう解釈になるの?ってことも多々あって不思議だったが、脳の特性で解釈が書き換えられてしまったりするんだ。
生まれつきの脳の機能障害なんだ。
それに加えて時代や家庭環境も相まって、あのような人格になってしまったんだ…。
ない能力を出せと要求しても、ないから出せないんだ。変えろと言われても変えられないんだ。
無い袖は振れないんだ…。
ネズミからイヌになれと言っても、ハイエナからウサギになれと言ってもムリなんだ。
ところで発達障害は遺伝するらしい。
私も発達障害に当てはまることが数々ある。
子供時代は特に苦労した。
今まで生きづらかった。
周りの話していることが聞こえなかったり、聞こえても理解出来なかったり、みんながついていけている会話についていけなかったり、あることに気を取られれて他の会話が頭に入って来なかったり、興味のない話は全く興味が持てなくて友達が出来ずらかったり、クラスに馴染めなかったり…。
親が発達障害だとしたら、自分自身にも合点が行く。
夫も、注意散漫、忘れっぽいなど色々当てはまる部分があり発達障害の要素があると感じている。
世の中を見回しても、みんながみんなではないけれど、普通にそのへんや会社にいる人でも特徴が当てはまる人や、変わり者扱いされている人っている。
他人に言わないだけで、実は苦労していたり気にしている人も多いのかも。
今回思ったことは、程度こそ色々あるけれど、みんなどこかしら発達に凸凹があったり、生育環境に難があったり、親の影響を受けて人格が少しアレだったりするもんなんじゃないかと思った。
だから、もし本当に自分が発達障害だったとしても、発達障害だから自分はおかしいとか普通じゃないみたいに、自分を特別視して過度に落ち込む必要はないんじゃないかと思った。
みんなどこかしら何かしらおかしな部分はあるし、
完全なロボットのような真人間などいない。
どこかおかしく変わっている部分がその人の個性と言われる部分になるんだろうし。
(本人や周りが困っていたら改善や対策は必要だろうけど)
それに、発達障害の人はデメリットだけでなく、メリットもちゃんとあるらしい。
生きづらく感じている人が多いけれど、自分に合う環境で生きられたり働けると、その人の能力が発揮されるらしい。
好きや得意なことにのめり込みやすいから上達しやすいし、集中力を発揮すると普通の人より爆発的に稼げたりするポテンシャルを秘めているらしい。
だから、自分に合う環境を見つけてそこで生きること。
これが大事らしい。
今まで毒母のことが憎らしく怒りを感じていたが、発達障害で色々な能力が欠如しているせいだとしたら、仕方ないことなのかなと思えた。
特性を理解したら、前よりは許せるようになった。
あの人はあの人で一生懸命、あの人なりにきっとがんばって生きているんだろう。
しかしいくら許せるようになったからと言っても、あの人とこれからも付き合いたいか、面倒みたいかと言われれば答えはNOだ。
それはそれ、これはこれ。
あの人の事情は理解出来ても、私は私の気持ちを大事にしたいし、自分を優先してあげたい。
発達の凸凹や背景を理解した上で、その上でもその人と関わりたいかどうか、どうしていきたいかだと思う。
母に関わると実害を被るし不快な気持ちにもなる。
だから関わりたくない。
関わりたくないと感じる人とはこれからもなるべく関わらなくていいと思う。
自分の身は自分で守ってあげたい。
私のことを守れるのは、私しかいないから。
自分自身が、一番の見方でいてあげたいから。