それは・・・1989年7月10日
デザイン博覧会 (通称「デ博」・・・懐かし~ )の
プレイベントで、名古屋へ出張
雨でもあり、名古屋特有の蒸し暑さにぐったり気味で帰って来ると・・・
おや? ネコの声がしない
そう・・・その1週間ほど前から、近所に
どうやら捨てられてしまったらしい子猫の姿があり
私はもちろん飼いたかったのですが
オット君が「ダメ 」というので、しかたなく・・・
駐車場でミルクをあげたりしていたのでした
その仔の声がしない・・・
どこかの奇特なかたに拾って頂いたのね
良かった、良かった ・・・と、家に入り
2階の居間のドアを開けると・・・
じゃ~~ん (みっともない姿はお許しあれ
)
この写真は8月なので、ネコはだいぶ成長していますが・・・
こんな感じで、オット君のお腹の上に、例の仔猫
ゆ「ちょっとぉ 何よ、どういうこと
」
オ「だってさぁ・・・雨降ってるしさぁ・・・かわいそうだから・・・」
かくして、息子クンに弟が出来まして
(友人から 「ユーコさん、いつネコ産んだの 」 と 言われましたワ)
次男だから「ジロー」と命名 (単純
)
元は犬派だったオット君ですが、私以上にメロメロになり
ジローもすくすくと育ちました
(おとーさんの真似?)
その2年後、1991年4月
息子クンの保育園時代に親しかったかたから連絡
お嬢ちゃんが飼いたいと言うので、知り合いから2匹もらい受けたが
2匹は大変 なので、1匹もらってくれないかと
は そうすると、ウチが2匹に・・・
まぁ、頼まれたらイヤとは言えない
で、やって来ました三男
ちょっとシャムの血が入っているみたいな
「サブロー」「シロー」ともに、近い知り合いにいらっしゃるので
一気に「ゴロー」となりました
一旦複数になると、まぁ・・・あとからあとから・・・
「6」は、初めてのおんにゃの仔
これ以降の仔については、またいずれ
で・・・このゴローを、私たちの無知から
尿路結石で早世させることになってしまいました
(結石は、ご飯が原因のことが多いのです。
また男の仔は、尿路が細いので結石が大きな障害になりやすいとのこと)
異変に気付いたのは、翌年初夏
通院だけでは足りず入院することに
でも、病院側の都合で、どうしても1日だけ帰宅となり
8月2日(日)帰って来ました
実はそれまで、オット君と二人で会社を設立するための準備を
進めておりまして、翌月曜日には法務局に書類提出の予定でした。
また、当時は葉書の宛名も手書きで、2日の夜は
せっせと挨拶状の宛名書き
その足元では、ゴローがつらそうに横たわって・・・
あの光景は今もありありと目に浮かびます
翌朝、一番に動物病院へ
最悪のことも覚悟して。。。と言われましたが
それが現実になってしまいました。
病院ではきっと最善の手を尽くしてくださったと思うので
感謝こそすれ恨みはありませんが、残念だったのは
最期のときを、家族が一緒に過ごしてやれなかったこと
たとえ自宅でなくても、せめて一緒にいたかった
声をかけてあげたかった
そのことがあったので、オット君とも話し合って
ジローのときは自宅で看取ることに決めました
ジローは晩年、少々厄介な病気になりまして・・・
はい、これについても、またいずれ
ともあれ、ネコとの暮らしは
大変だけど、幸せもいっぱい
感謝です