志貴皇子の
「石(いわ)ばしる垂水の上の早蕨の
萌え出づる春に なりにけるかも」 と
柿本人麻呂の
「東の野にかぎろひの立つ見えて
かへり見すれば 月傾(かたぶ)きぬ」
を読みました

折しも、宮中では歌会始があり
受講生さんも話題にされていましたが
“読み方” としては別次元で・・・


「東の・・・」は、万葉集の詞書きにもあるように
軽皇子(のちの文武天皇)が大和の阿騎野に
狩りにお出かけになった折に
お供として従った柿本人麻呂が
皇子のお父上、草壁皇子もかつてここで
狩りをされたことを偲んで詠んだ・・・と
解釈されています

様々な研究から、その日時が推定され
阿騎野では、毎年その日(旧暦11月17日)に
「かぎろひを観る会」が催されているとのこと・・・

(真冬の夜明け前はかなり寒そう・・・


それはともかく・・・私は今回
「返り見すれば 月傾きぬ」に注目しました

日本語は、原則として文末に結論がある言語です。
ということは・・・
間もなく日の出であることを表す “かぎろひ” よりも
間もなく沈もうとしている、傾いた“月” に
ひときわ深い感慨を抱いているのではないかしら・・・
その“月” とは、既に沈んでしまった草壁皇子ではなく
後事を託そうと思っていた子(草壁皇子)に早世され
その子(つまり孫、軽皇子)がようやく成長し
あと一息・・・と思っている持統天皇のことでは・・・
と思った次第です

ですから、軽皇子の心情を思いやった歌というより
人麻呂自身の感慨ではないかしら・・・

ただ、私の調べた限りでは、
そうした解釈は見当たりませんでした

今更、賀茂真淵センセイに
異を唱えるつもりはありませんので・・・
