X時代のプロデューサーでYOSHIKIさんを高く評価している津田直士氏は、2000年頃にYOSHIKIさんと一緒に仕事していた立場から、こう言っていました。

 

その時によっちゃん(YOSHIKI)がどういう風にToshlを見てたか分かるんだけど、何にも無理をしてないの。

ただ黙って待ってる。

ただ黙って見守ってるから。

それはね、もうやっぱりほら、2人の関係だからさ、何ももうできないよね。

 

その時にToshlのほうから動くからあれは成立するのよ。

で、要するに何でもかんでも全部攻撃してくれるYOSHIKIが、ずっとただ待ってる訳じゃん。

あの曲だけ用意して。

で、Toshlが来た時ですら、ただその曲があるだけな訳じゃない?

そこに本当の真実があるよね。

 

いやだからそれをさ、あの映画であの会話で見せて貰えるとさ、僕なんかみたいに内側にいた人間ですら、本当皆と一緒でファンと一緒でさ、よくあれを映画にしてくれたなと思うよね。

あの2人の会話をね

 

(某動画サイトの「【Toshl君は天使 & YoshikiはToshlを待っていた(X JAPAN)】by 津田直士氏」より。

ソースは2017年3月25日のニコ生?)

 

 

 しかし、この発言はYOSHIKIさんや『We Are X』(津田氏も出演)を美化しすぎというものでしょう。

「よっちゃんがどういう風にToshlを見てたか分かる」であって、「よっちゃんがどういう風にToshlについて話していたか知ってる」ではないところからしても、基本は津田氏の想像なのでしょうか。

 

いずれにせよ、YOSHIKIさんはToshlさんに対して特に何もしていなかったようだ、ということは分かります。

津田氏は「Toshlが来た時ですら、ただその曲があるだけ」だったことに、表に出ていないYOSHIKIさんのToshlさんへの想いを見出したのかもしれませんが、現実は文字通り「ただその曲があるだけ」だったのでしょう。

 

「ただ黙って待って」いたのではなく、(特に2004年の児童虐待疑惑報道の後は)完全に見放して放置していた、滅多に思い出すことすらなかったがゆえに。

単に喧嘩した相手が歩み寄ってくるのを待つのとは違うのですから、無理があるフォローと言えます。

 

津田氏に限らず、YOSHIKIさんが「Without You」を他のボーカルで発表しなかったことを以て、「YOSHIKIはToshlを待っていた」と言う人は多いです。

(2005年3月23日リリースの『ETERNAL MELODY Ⅱ』には、ボーカルなしのクラシック・アレンジバージョンが収録)

 

『We Are X』でのYOSHIKIさんの発言「この曲は一旦葬っちゃったんだよね。二度と会わないんだと思っていたから。Toshlが戻ってきたとしたら歌って貰おうと思って。Toshlしか歌う人がいないんだと思ってた」や、

 

「YOSHIKIシンフォニックコンサート2002 with 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 featuring VIOLET UK」2日目(2002年12月4日)で、観客のリクエストに答えて「Without You」を少しだけ弾いた後、

「この曲はToshlが戻ってきたらやります。いつまでも気長に待ってましょう」と言ったらしいことを踏まえているのでしょう。

 

(後者の発言は、2005年3月30日リリースのDVDではカットされているそうで、確認できません)

 

しかし、Toshlさんの声をイメージして作られた曲であることや、HIDEさんと関係が薄い人には歌わせにくいなどの点を考えれば、発表できなかったのは自然です。
 

元々YOSHIKIさんは未発表曲が多いのですし、自分の曲は歌なしでも成立すると考えていたのなら、無理にボーカル有りバージョンを発表する必要性も感じなかったのでしょう。

 

(現にToshlさんの「Without You」も、ライブ音源の円盤化は2014年6月(『THE WORLD 〜X JAPAN 初の全世界ベスト〜』)、アコースティックバージョンの円盤化は2017年3月(『WE ARE X オリジナル・サウンドトラック』)で、バンドバージョンは未発売です)

 

※参考※

【Special Front 32pages Edition!! Session#4 YOSHIKI Latest Interview】

大島暁美

「SHOXX」2007年10月号増刊「SHOCK WAVE 4号」2007年8月25日発行(2007年6月30日取材)

 

YOSHIKI:「僕はVIOLET UKとかやりたいことがたくさんあるから、正直いって『何でこの時期に?』っていう気持ちはあった。でも、hideのために作った曲があるから、ピアノを弾いて歌ってもらったら、スパーンとハマったんだよね。もともとあの曲はTOSHIの声をイメージして書いたから当然なんだけど」

 

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TAKUROさんは、GLAYのFC会報「HAPPY SWING vol.77」(2015年6月下旬発行)でのYOSHIKIさんとの対談で、こう語っています。

 

「去年のMSGを観た時に(略)YOSHIKIさんはこれがやりたかったんだ、このためにTOSHIさんをずっと待ってたんじゃないか、と思って。だからその間、TOSHIさんがいつ帰ってきてもいいようにずっと準備だけをしてきて、いろんな仕事を引き受けながらも、練習もするし、曲も書くし……。そんなこと考えながら観てたら、なんか泣けて泣けて」

 

それに対してYOSHIKIさんは、

「TOSHIと僕にとってのこの10年も大きかった。その間、自分がずっと待ってたのかどうかは分からないですけど(後略)」

と返しています。

 

近年のYOSHIKIさんは、X JAPAN再結成はToshlさんを救うためだったかのように喧伝し、称賛を得ています。

NHK「SONGS」(2015年10月24日放送)での

 

「まだ僕の知ってるToshlじゃない、と。でも何か一緒にやっていけば、知っているToshlが戻ってくるんじゃないかなという風に思い始めまして」

「歌ってる瞬間は昔のToshlだという風になってきて。これは再結成したらまた何かが変わるかなっていう、思いまして」

 

の他にも、『We Are X』本編(こちらは「Without You」を用意して待っていたというニュアンスが強い)、映画のプロモーションで出演したバラエティ番組などにおいてですね。

 

【YOSHIKIがX JAPAN再結成秘話を激白 「Toshiが目覚めるチャンスだと思った」】

「しらべぇ」(2018年1月13日)

実際、YOSHIKIさんの言葉を信じた人々が、現在のToshlさんを恩知らずであるかのように非難するケースは珍しくないと言えます。
 

YOSHIKIさんの発言には、自らのイメージアップや感動を煽るための演出、X JAPANを独断で動かすことの正当化(特に「ToshlはYOSHIKIに助けられたのだから尽くすのは当然」という声が上がるのは予想できますし、現にそうなりました)という狙いがあったのでしょうか。

 

更には自分の事情──既に過去の人として見られていたことや経済的な問題などで再結成したと思われたくない、真下幸孝氏や暴力団関係者のK氏らといった、ダーティーな人たちとの繋がりを伏せたい意図もあったのかもしれませんね。

 

(本当かどうかは別として、K氏は匿名のTwitterアカウントで、過去のYOSHIKIさんと暴力団との関係を暴露しています。

例えば、YOSHIKIさんと西城秀樹さんを引き合わせたのは、住吉会系右翼団体・日本青年社の元会長・衛藤豊久氏山口組の若頭で宅見組組長だった宅見勝氏元稲川会系の箱屋一家とも親交があったなど。

名前は伏せますが、西城さんの甥で宅見氏の息子である作曲家兼プロデューサーの方が、今でもYOSHIKIさんを師匠と呼んで慕っていることは事実です。

また、真下氏のバックは住吉会系暴力団だと言われていますが、Toshlさんを訴えた旧運営側事務所に花を贈っていたのも住吉会系です

 

ソースはサイゾーですが、こうした記事もあります。

(竹田氏が事件を起こして外された件など、再結成にまつわる過去記事にはToshlさんの『洗脳』と一致しているものもありますし、中にはある程度信用できる報道も存在するのでしょう)

 

【「“芸能界のドン”は宅見組長が育てた」バーニング周防郁雄社長と暴力団“黒い交際”暴く衝撃ブログ】

(2015年4月12日)

 

「筆者は、宅見組長と日本青年社の衛藤会長が存命だった頃、六本木の全日空ホテルでこの2人が周防氏と一緒にいるところを目撃したことがあった。芸能関係者からも3人の目撃談が寄せられたが、その席にロックバンドX JAPANのYOSHIKIもたびたび同席していたという情報があったため、そのことを筆者は『ジャニーズ帝国崩壊』(鹿砦社)で書いたところ、衛藤会長に呼び出されて「このヤロー、右翼、右翼と書きやがって」と恫喝されたことはいまだに忘れない。」

 

 

【バーニング銃撃事件12年目の真相!! GLAYをめぐる金銭トラブルと"銃弾"】

(2013年10月18日)

 

「話はさかのぼる事20数年前。当時、「プロダクション尾木」に所属していた工藤静香が充電期間と称して、ロスに留学するんですが、約束の期日を過ぎても帰国しない。実際には、ロスを拠点に活動していたYOSHIKIと同棲していたんです。

結果、多くの関係者に迷惑をかけ、そうした行動が軽率だとして住吉会系民族派団体「日本青年社」がYOSHIKIの事務所に街宣車で抗議行動を起こしたんです。

その時に仲介に入ったのは、青年社の衛藤豊久会長(07年逝去)と懇意だった周防社長ここでYOSHIKIは、周防社長に大きな借りができた。GLAYの権利をバーニングに渡したのには、こんな背景があったからでしょう。

 

 

https://ameblo.jp/sapporo-mm/entry-11662820537.html

 

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Toshlさん救出のための再結成だったかのように言うYOSHIKIさんですが、一方で「再結成前もずっとToshlを心配して待っていた」といった類の発言は、HOHについて語れるようになった後でも見当たりません。

 

『We Are X』では「二度と会わないんだと思っていた」、2017年11月20日のYOSHIKI CHANNEL(ToshlさんからのBirthdayメッセージ有り)では「Toshlと一回決別したでしょ。あの時はもう二度と会わないと思っていたので」「マツコの知らない世界」(2018年1月9日放送)で「一生会わないんだなって思ってました、当時は」でした。

 

産経新聞での小松成美氏の連載「【彼らの心が折れない理由】ミュージシャン・YOSHIKI(4)」(2011年8月28日)では、

 

「新しい音楽を作りながら、Xがどんなに凄(すご)いバンドだったかを改めて感じていたんです」

「会うことはなかったけれど、いつの日かToshiが戻ってきたなら、もう一度Xを復活させたい。自然とそんなふうに思えるようになったんです」

 

とのYOSHIKIさんの言葉がありますが、後付けの臭いが濃厚で信憑性は薄いです。

ワールドツアーの最中で、YOSHIKIさんがバンド活動に意欲的だった時期ですので、X JAPANのストーリーを盛り上げたい狙いがあったのでしょう。

 


「YOSHIKIもToshlに会えるものなら会いたかったが、現実的には拒否されるだろうから会えないと諦めていたんだ」と無理に解釈したとしても、Toshlさんが置かれていた状況を調べるほどの関心はなかったということは否定できません。

 

先ほどのTAKUROさんへの返答も、「TAKUROの言う通りで、自分はずっとToshlのことが心配で戻ってくるのを待っていたんだ」とでも言っていれば、YOSHIKIさんの株は上がったはずです。
 

しかしそう言わなかったのは、話を盛るのも躊躇するくらい実態とは懸け離れていたからなのでしょう。

 

また、YOSHIKIさんがToshlさんを待っていたということにするためには、「Without You」 の件だけで事足りるとも言えます。

再結成を美談化することでYOSHIKIさんの目的は達成可能であり、更に話を膨らませる必要性は薄かったという理由もありそうです。

 

「YOSHIKIは自分でも気付いていなかっただけで、無意識にToshlを待っていたのだ」という主張も予想できますが、そこまでいくとただの願望の投影としか言えません。