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38歳・82kgからあすけんと宅トレのみで25kgやせた主婦がインスタやったりYouTubeやったりvoicyやったり本を出したりしています。
「身も心も軽やかなご機嫌おばさんライフ」を目指し遠慮なく書きつづっています!


 

\ストーリーズでダイエットライフ毎日更新/



わたくしごとですが、

そして、あんまり大きな声では言えないんですが


40歳を迎えるか迎えないかくらいに

そこそこ自分を悩ませたことがありました。




それは、


 



なんでか母親とめっちゃ険悪。




険悪といっても、母親は従来通りでしたし

言ってみれば母は母の個性

オリジナルを生きているというだけなのです。




ただそれを娘として分かりきってるはずのわたしが

「母のそういうところがほんと許せない…!キィー!」

となってしまい

穏やかな会話が難しくなってしまったんです。



それが40歳前後から2年ほど続きました。



なぜこうも母に怒りが湧くのか。



それについては実は、もうすでに自己分析済で

過去のvoicyで詳細をお話しています。








かなりパーソナルな部分に踏み込んだ話なので

今は有料放送とさせていただいていますが

この月は「母との確執」について何度もお話させていただいて

リスナーさんのコメントや友人の助言などもあり、自分と向き合い

癒やしていってる過程がそのまま残ってます。



もし気になる方は、月ごとのバックナンバー購入で

聴いてみていただければと思います。

※1ヶ月すべての放送が聞ける買い切りとなります。




さて、そんなふうにここ数年間は

母と娘として時にぶつかり

無関経の夫の前でボエ〜!!と泣きながら母への怒りを吐き出し

(夫は何も言わず、鼻水垂らして泣く女房へティッシュを渡すマシーンと化していた)




感情を散らかすだけ散らかした後、最終的には

「とは言え、母親が大好きだったんである。」

というところへ穏やかにゆっくり還っていった娘心。



それでもいつ、また母がのんきにわたしの地雷をぶち抜き

「優しくなれない酷い娘ザウルス」

に変身してしまうかわからない恐怖と、

多忙さもあって両親と会う機会が減っていたのも事実です。



両親へのお土産や贈り物を用意する気持ちはあるけど

渡しに行くのはなんとなく避けてしまい


夫が代わりに渡しに行ってくれては、

実家でお茶を飲んで帰ってくるというパターンも増えていました。


「一緒に行ったらお父さんもお母さんも喜ぶよ?」と言いつつ、一人で実の娘の代わりに

実家へ行ってくれた夫には、この先死ぬまで感謝。




それが、2023年の年末頃から自然に

それはもうものすごく自然に「実家に顔出すかな」となり



2024年になってからは

「雪かきの疲れもあるし久しぶりにうちの親か、義父を誘って日帰り温泉行こうか。」

という提案を夫にするくらい心境が変化しました。



その提案には夫もすぐに賛同してくれて

先日日曜日に、すすきのに昔からあるジャスマックプラザホテルというところへ

中華料理の個室宴会つきプランで両親を連れて行ってきました。





お昼に到着し、まずは先に温泉に入り

その後に宴会場へ入ります。

予約の際に、膝が悪い年寄りが行くので

椅子席にして欲しいと伝えていたら

希望通りの個室を用意してくださいました。感謝。




そして乾杯。








飾り付けの人参のバラを

どうにか食べようとする父。







運ばれてくる中華料理はどれも美味しかったー!


温泉と美味しいごはんとお酒を堪能できて

市内のすすきのだから、明るいうちに家に帰れる

いい日程だったと両親も喜んでくれました。



入浴料と食事(1ドリンク付)で

一人5000円也。




若いときにはよく飲みに来ていたすすきのに

久しぶりに来られたことで父も喜んでいたし

普段は来ない場所で、母も楽しそうでした。




そしてわたしも、酷い娘ザウルスになることなく

のんびりと過ごすことができました。




今回感じたのは、

あの2年に渡る母との冷戦期間は

もしかしたら、母の娘離れ、わたしの母離れに

とても大切な時間だったのかも知れません。



貧しく苦しい生活の中でも、3人の子供を産み育てたことがとても誇りである母。

穏やかな結婚生活ではあれど子供がおらず、自分の生き方を模索していた娘。



女性同士だけれども、与えられ、選んだ人生の景色が違った母と娘。

自立した別の人生を歩む、全く別の存在であると理解するために

必要な時間だったのではないかと思います。





なにはともあれ、この事でわたしが一番感謝すべきは、事の成り行きを一歩も二歩も引いて

口出しせずにサポートしてくれた夫だなと思います。





わたしとわたしの両親の間をわざわざ取り持つような

自己満足的な目立った動きは一切せずに

あくまで夫は夫の意志でやってますという風に

淡々と個人的に、わたしの両親と関わってくれていました。



それが間接的に、母と娘が国交断絶に至らず

冷戦を経てゆるやかに関係回復できた大きな要因だと思います。



まるで中立国、スイス。



ありがとう夫。ありがとうスイス。



ちなみに今日の投稿のカバー写真は

娘ザウルスが爆誕する少し前、

2019年に母とふたりで参加した南九州ツアーの

阿蘇山でのツーショットです。



そろそろまた母とふたりで和やかに旅行に行けるかな。

母が元気なうちにまた旅行にでも行こうと思います。



それでは今日はこの辺で。





今日もうちらは生き方をダイエットする。





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