僕が会社に入って二年目のことだった。重要な開発案件を任されたのはいいけれども、どうすればいいのかちっともわからない。とりあえず、計画日程を作成したままで途方に暮れていた。
それでも、毎日は無情に過ぎていくから、予定はお構いなしに遅れていく。
計画依頼から一か月後、東京の本社で部長、課長と一緒に計画の説明をさせられたのは辛かった。経理部門から、フルボッコを喰らうし、営業は、他社との比較はどうなってるんだ? と文句を言ってくるし(ちょっと待て、マーケティングはお前らの仕事だろ)、散々だった。
ヘロヘロになりながら、昼休みに休憩室でおにぎりを食べていた。
もう、泣きそうだったのをひたすら堪えていた。
「なぐ君、久しぶり。元気った?」
声の方を振り向くと、ショートヘアの女性が立っていた。同期の佐久間智香だ。鮮やかなカーキ色のスーツを着ている。花柄のネクタイに真新しいズボン。営業っぽさがにじみ出ていた。
「もう、駄目かもしれんね俺」
「まあ、あれじゃ駄目だよ」
「――っ、お前、駄目だしにきたの?」
睨みつけると智香は、その場でくるっと一回転してから人差し指を立てた。
「誰に向かって口をきいているか判ってる?」
「佐久間だけど?」
「だーーーっ、そういうことじゃない。なぐ君は私が何処に配属されているか知らないの?」
「一般産業営業部だろ?」
「で、私が、何の仕事をしているかって言うと、ね」
ゆっくりと顔を近づけてくる。
これって、もしかして……、いや、何もないとは解っているけど、妙に心臓が速く動いている。口の中に唾液が溜まり、思わずゴクリと嚥下した。
「どう?」
「いや、マジわかんね。お前の存在自体が」
強気で応えるものの、潤んだ眸に自分の存在が映し出されて、パニックに陥りそう。女性にはあまり免疫が無いんだこっちは。柑橘系の香水の匂いに思考を破壊されそうになりながらも、頭をフル回転させる。
「わ、た、し、スパイなの」
囁く同時に身を引いた。
内緒だぞ。と言わんばかりに人差し指を軽く振る。
「はぁ」
俺は疑問の様な、溜息の様な声を出す。意味が理解できなかった。ちょっと可愛い系だけど、頭は良くないのかな? などと考えてしまう。
「ねぇ、なぐ君、私のこと馬鹿にしたでしょ」
「んなことないって。意味が理解できなかっただけだって」
「そう。なら説明してあげる」
ドヤ顔して仁王立ち。コーヒー牛乳を飲むかのように両手を腰に当てて胸を突き出している。もしかして、大きい胸を強調している?
「いや、面倒だからいいや」
「そう、訊きたいの。聴きたいんだ。わかったわかった」
智香は自分勝手に説明を開始した。ホント、面倒な奴。
で、その説明によると、智香は、一般産業営業部の中でも特殊な仕事をしていて、コンペティタの調査を行うのが本分らしい。時には保険のおばちゃんに化けて、平然と他社に潜りこんで試作品を盗み出したり、設計図をコピーしたりするそうだ。
「欲しいでしょ。情報が……」
「ああ、欲しいよ。こんなん、良くないって判るけど欲しいよ」
ダメ人間だ。犯罪者だと思ったが甘い誘惑には勝てそうになかった。
「なら、売ってあげる。そのデータはね、丸い奴に保存されているの」
「CDだろ?」
「金色で真ん中に穴が開いていてね」
「CDだろ?」
「RとかWとかあるの」
「CDだろ?」
「DVDかもしんないじゃん。売らないよっ」
腕組みをしながら頬を膨らませて横を向く。意外とこういう顔も悪くない。とか思いながらも機嫌を損なわれては困る。と考えながら、財布を取り出す。
千円くらいで十分かな。と漱石先生を取り出そうとしたら、横から手が伸びてきて諭吉さんを掴んでいく。
「ちょっと待てよ!」
「首になるよりましでしょ」
そう言いながら、智香はビニール袋に入ったCDを懐から取り出して突き出した。
おいおい、どうしてスーパーで生鮮食品を入れるようなビニール袋にCDが入っているんだよ。と思いながら受け取った。一万円分の価値のある重要なCDだ。大事に扱わなければならない。傷つかないようにCDをビニールから取り出して、袋の方は尻のポケットにしまう。
これ、どうやって扱えばいいんだろう。
そう考えていると、ふと、あることが思い浮かんだ。
「ところで、これ、どんな情報が入ってるんだ?」
質問すると智香の口元が怪しく歪んだ。
「あのね。ネットで手に入れた他社情報、十社分が書きこまれているの。凄いでしょ」
言ってはいけないことを口走ってしまった。そんな不気味さがあったが、俺には言っている意味が理解できなかった。
「全部、WEBで入手できる情報?」
「そう」
「設計図とか機密情報は無いの?」
「うん」
「誰でも入手可能なもの?」
「まぁ」
……………………。
「んなの、いるかっ!!」
CDを智香に投げつけると、彼女は瞬時に反応して口で受け取る。
「お前は、フリスビー犬かよっ!」
「怖いね。スパイって」
智香はCDをペッと吐いてから呟いた。だが、怖いのはスパイではない。お前の存在だ。
怒ろうとした俺は、智香にCDを突き出された。
「一万円返してくれよ」
「文句を言うのはCDを見てからにして」
智香の強い視線に負けて、仕方なしにCDを受け取った。
実は、これが、人生初めて購入したCDだった。
自宅に戻ってからパソコンにCDを入れてファイルを確認すると他社情報などどこにも保存されていなかった。
その代わりに、俺の人事考察のデータファイルが記録されていて……、一緒に転職情報もたんまりと保存されていた。
それでも、毎日は無情に過ぎていくから、予定はお構いなしに遅れていく。
計画依頼から一か月後、東京の本社で部長、課長と一緒に計画の説明をさせられたのは辛かった。経理部門から、フルボッコを喰らうし、営業は、他社との比較はどうなってるんだ? と文句を言ってくるし(ちょっと待て、マーケティングはお前らの仕事だろ)、散々だった。
ヘロヘロになりながら、昼休みに休憩室でおにぎりを食べていた。
もう、泣きそうだったのをひたすら堪えていた。
「なぐ君、久しぶり。元気った?」
声の方を振り向くと、ショートヘアの女性が立っていた。同期の佐久間智香だ。鮮やかなカーキ色のスーツを着ている。花柄のネクタイに真新しいズボン。営業っぽさがにじみ出ていた。
「もう、駄目かもしれんね俺」
「まあ、あれじゃ駄目だよ」
「――っ、お前、駄目だしにきたの?」
睨みつけると智香は、その場でくるっと一回転してから人差し指を立てた。
「誰に向かって口をきいているか判ってる?」
「佐久間だけど?」
「だーーーっ、そういうことじゃない。なぐ君は私が何処に配属されているか知らないの?」
「一般産業営業部だろ?」
「で、私が、何の仕事をしているかって言うと、ね」
ゆっくりと顔を近づけてくる。
これって、もしかして……、いや、何もないとは解っているけど、妙に心臓が速く動いている。口の中に唾液が溜まり、思わずゴクリと嚥下した。
「どう?」
「いや、マジわかんね。お前の存在自体が」
強気で応えるものの、潤んだ眸に自分の存在が映し出されて、パニックに陥りそう。女性にはあまり免疫が無いんだこっちは。柑橘系の香水の匂いに思考を破壊されそうになりながらも、頭をフル回転させる。
「わ、た、し、スパイなの」
囁く同時に身を引いた。
内緒だぞ。と言わんばかりに人差し指を軽く振る。
「はぁ」
俺は疑問の様な、溜息の様な声を出す。意味が理解できなかった。ちょっと可愛い系だけど、頭は良くないのかな? などと考えてしまう。
「ねぇ、なぐ君、私のこと馬鹿にしたでしょ」
「んなことないって。意味が理解できなかっただけだって」
「そう。なら説明してあげる」
ドヤ顔して仁王立ち。コーヒー牛乳を飲むかのように両手を腰に当てて胸を突き出している。もしかして、大きい胸を強調している?
「いや、面倒だからいいや」
「そう、訊きたいの。聴きたいんだ。わかったわかった」
智香は自分勝手に説明を開始した。ホント、面倒な奴。
で、その説明によると、智香は、一般産業営業部の中でも特殊な仕事をしていて、コンペティタの調査を行うのが本分らしい。時には保険のおばちゃんに化けて、平然と他社に潜りこんで試作品を盗み出したり、設計図をコピーしたりするそうだ。
「欲しいでしょ。情報が……」
「ああ、欲しいよ。こんなん、良くないって判るけど欲しいよ」
ダメ人間だ。犯罪者だと思ったが甘い誘惑には勝てそうになかった。
「なら、売ってあげる。そのデータはね、丸い奴に保存されているの」
「CDだろ?」
「金色で真ん中に穴が開いていてね」
「CDだろ?」
「RとかWとかあるの」
「CDだろ?」
「DVDかもしんないじゃん。売らないよっ」
腕組みをしながら頬を膨らませて横を向く。意外とこういう顔も悪くない。とか思いながらも機嫌を損なわれては困る。と考えながら、財布を取り出す。
千円くらいで十分かな。と漱石先生を取り出そうとしたら、横から手が伸びてきて諭吉さんを掴んでいく。
「ちょっと待てよ!」
「首になるよりましでしょ」
そう言いながら、智香はビニール袋に入ったCDを懐から取り出して突き出した。
おいおい、どうしてスーパーで生鮮食品を入れるようなビニール袋にCDが入っているんだよ。と思いながら受け取った。一万円分の価値のある重要なCDだ。大事に扱わなければならない。傷つかないようにCDをビニールから取り出して、袋の方は尻のポケットにしまう。
これ、どうやって扱えばいいんだろう。
そう考えていると、ふと、あることが思い浮かんだ。
「ところで、これ、どんな情報が入ってるんだ?」
質問すると智香の口元が怪しく歪んだ。
「あのね。ネットで手に入れた他社情報、十社分が書きこまれているの。凄いでしょ」
言ってはいけないことを口走ってしまった。そんな不気味さがあったが、俺には言っている意味が理解できなかった。
「全部、WEBで入手できる情報?」
「そう」
「設計図とか機密情報は無いの?」
「うん」
「誰でも入手可能なもの?」
「まぁ」
……………………。
「んなの、いるかっ!!」
CDを智香に投げつけると、彼女は瞬時に反応して口で受け取る。
「お前は、フリスビー犬かよっ!」
「怖いね。スパイって」
智香はCDをペッと吐いてから呟いた。だが、怖いのはスパイではない。お前の存在だ。
怒ろうとした俺は、智香にCDを突き出された。
「一万円返してくれよ」
「文句を言うのはCDを見てからにして」
智香の強い視線に負けて、仕方なしにCDを受け取った。
実は、これが、人生初めて購入したCDだった。
自宅に戻ってからパソコンにCDを入れてファイルを確認すると他社情報などどこにも保存されていなかった。
その代わりに、俺の人事考察のデータファイルが記録されていて……、一緒に転職情報もたんまりと保存されていた。