十四歳の井伊直政像・・・頭陀寺 | ねこじゃらし・Kの懐かし処

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遠州浜松発、懐かし探しの近場のお散歩
ヤフブロ時代の過去記事


静岡県浜松市南区頭陀寺町

日曜日、松下屋敷跡を覗いた後、青林山頭陀寺へ・・・

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頭陀寺(ずだじ)
真言宗の名刹、青林山頭陀寺は、国の重要文化財に指定されている不動明王二童子像や、静岡県最古の鰐口が蔵されていた(現在はそれぞれ浜松市美術館・博物館蔵)など、価値ある美術工芸品を蔵していた歴史のある寺である。
また、鴨江寺、龍禅寺と共に浜松の真言三ヶ寺といわれる。寺史は古く、鎌倉時代から江戸時代にかけて人々の苦病を癒し、内面の苦悩を除いてくれる仏様として厚い信仰を集めるようになり、江戸時代のベストセラー(?)『東海道名所図会』にもエントリーされている。
頭陀寺の山門前に移設されている高さ1.2m、20cm四方の柱状碑は、正面に「頭陀寺薬師堂」、裏面に「正徳元龍辛卯九月十二日」とあり、約300年間、浜松の盛衰を見守り続けた浜松最古の道標である。
多くの歴史的遺産に囲まれた名刹は、変わりゆく頭陀寺町界隈の中で今でも庶民の薬師信仰として生き続ける。
(Do浜松より)

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門前にはこの看板が・・・

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頭陀寺城(ずだじじょう)
頭陀寺城は、現在の静岡県浜松市南区頭陀寺町にある高野山真言宗の古刹・頭陀寺の門前にあった戦国時代の日本の城。
地元の伝承では別名市場城とも云う。引間城主・飯尾氏を寄親とする寄子の土豪・近江源氏の松下氏の居城で、松下氏は頭陀寺の寺侍であった可能性が強い。川匂(かわわ)庄の領家は頭陀寺であった。
天文20年(1551年)頃から約3年間、まだ無名の豊臣秀吉が松下之綱(松下加兵衛)に仕えたと『太閤素生記』に記されている。
永禄6年(1563年)遠州?劇(今川氏と飯尾氏の争乱)で焼き討ちに遭い、炎上する。
江戸時代は、松下之綱の長男暁綱の家系が、松下屋敷の当主となって明治38年(1905年)まで居住した。
(Wikiより)

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先ずは本堂に上がって参拝。
その後、最近何かの情報で知った若き日の井伊直政の像を探しに裏へ回ります。

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お寺の裏に真新しい像が三体!

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右から若き日の井伊直政公徳川家康公豊臣秀吉公

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次回の大河ドラマ、いよいよ大きくなった虎松(直政)が現れるかな?!・・・

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〆は寺務所で御朱印を・・・

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残念ながらお昼時だったため人は居らず、置いてあった出来上がりの御朱印を頂いてくることに・・・自分で押した朱色のゴム印の日付で我慢でした。(ー'`ー;)
ご本尊の「薬師如来」と「難除大師(弘法大師)」

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ご利益あるとイイな~~( ⌒ ー ⌒;)

この後、巷で話題のここからすぐの所でやっている田んぼアートを観に!
台風が来る前にと急いで行きました。