虎松が養子に入った松下家・・・松下屋敷跡 | ねこじゃらし・Kの懐かし処

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遠州浜松発、懐かし探しの近場のお散歩
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静岡県浜松市南区頭陀寺町

先週の大河ドラマで虎松(後の井伊直政)が養子に入った松下家・・・
以前、遠州の七不思議で記事にした「藤吉郎鎌研池の片葉の葦」頭陀寺城跡松下屋敷跡だったとこの前知り、本日早速行ってみました。

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わたしの好きな回るお寿司屋さんの裏の木々の所です。早速直虎の幟が目に入ります。

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この公園が目的地の頭陀寺第一公園

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北側にはここの地名にもなっている頭陀寺(ずだじ)が観えます。

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参拝は後程で、先ずは「松下屋敷跡」(頭陀寺城跡)へ・・・

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木立の中の休憩所手前に石碑が観えます。

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この碑があるだけで普通の公園になってます・・・ひと気は無かったですが・・・

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ここはすごい所だったのです・・・

秀吉公・家康公・直政公 養育の里
頭陀寺はかつて天竜川下流にあった広大な「川匂荘(かわわのしょう)」の現地荘官として、四十六所明神 [ 現在は津毛利(つもり)神社と改称 ] とともに荘園の中核をなしました。
 荘園管理、役所(群代)として発展した屋敷が松下屋敷と思われます。
 往時には多くの塔頭(たっちゅう)寺院をかかえ、寺域も広く、門前には市場もたちました。
当時の境内には戦国大名今川氏に仕えた武将松下之綱の屋敷があり、ここ一帯は別名頭陀寺城とも呼ばれました。
 松下屋敷には、少年時代の豊臣秀吉が天文 20 年(1551)から三年にわたり奉公していたと記録にあり、
この寺の付近には鎌砥池(かまとぎいけ)や目刺橋(めざしはし)など秀吉にかかわる伝承地も残っています。
 竹千代(家康幼少期の代、今川家の捕虜となっていた頃、雄踏の中村代官屋敷より馬にて度々頭陀寺を訪れていました。
 次女(三女?)は三方原合戦で戦死した夏目次郎三衛門に嫁ぎ、子孫には文豪 夏目漱石がいます。  
なお松下氏の一族は井伊氏とも近く、父・直親(なおちか)を殺された幼少の井伊直政を匿い、母の再婚相手となった松下源太郎 [ 清景 ] が直政(なおまさ)を養子として、今川氏の追手から保護しました。
また、松下之綱の長女は柳生宗矩に嫁ぎ、剣聖 柳生十兵衛を生んでいます。
 その後今川氏に反攻した松下氏や飯尾氏らとの攻防で、永禄 7 年(1564)頭陀寺は炎上してしまいましたが、
 後年、縁のあった豊臣秀吉、徳川家康の寄進により復興しました。
(頭陀寺ホムペより)

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早々に頭陀寺へ参拝です。

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台風だいぶ気になってきましたが、お天気何とか持ちました。