直親死す・・・渋川井伊家墓所へお参り | ねこじゃらし・Kの懐かし処

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浜松市北区引佐町渋川

本日の大河ドラマ、とうとう直虎さんの元許嫁の井伊直親さんが討死してしまいましたね・・・(T_T)・・・討死と云うより暗殺された・・・

・・・

今日、独りでわくわくしてあるものを探しにまたまた直虎ゆかりの地「蜂前神社」を訪れたのですが・・・あるものはすでに無くがっかり・・・

で、わくわく感が消化不良だったのでそのまま井伊谷を通って渋川へ向かいました。
途中こんな所も・・・

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渋川には今日大河ドラマで討死してしまう井伊直親さんのお墓がもう2つあるそうなのでお参りに行ってみようかと・・・ドラマで討死してしまう今日が!と急に思い立ちで急きょ・・・

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ここには以前何度か訪れたことがありますが、まさかお墓巡りにくるとは思ってもみませんでした。

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途中雨も降ってきましたがこのルートを歩いてきました。

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先ずは1ヶ所目渋川井伊家墓所へ・・・静かな山間の古い町並みを歩きます。
しばらく進んで渋川駐在所を過ぎた辺り・・・右手の坂を・・・

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すぐに「渋川井伊家墓所」がありました。

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渋川井伊家墓所
井伊氏一族の居館跡で、北側にある墓石群には、井伊氏(直之・直貞・直秀・直幸・直親 他)の名前が残っている。
(「おんな城主 直虎」推進協議会より)

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左から4番目が井伊直親さんのお墓です。

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四角い石塔の右のかと。お参りさせて頂きました。南無・・・

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井伊谷井伊家に並ぶ力を持っていたもうひとつの井伊家の墓所
渋川村には、山里に居城を構えた井伊庶家、渋川井伊氏がありました。井伊谷井伊家八代目泰直の子の直助が上野左衛門次郎を名乗って分家し、直助の子の直貞が渋川太郎二郎を名乗り、この地に移り住んだことが、始まりといわれています。
 一方、徳川家康の家臣として出世し彦根藩主を務め、幕末には大老を輩出する名家となった直虎らの筋とは、根本からまったく別の家系という説も。戦国時代、今川氏と斯波氏の戦いの際に、渋川井伊氏は斯波氏について敗れたため散り散りになり、その後、井伊谷の井伊家が台頭したともいわれています。
いずれにせよ、直貞のあと、直秀、直幸と代を重ね、井伊谷井伊家に匹敵する力を持っていたことは間違いないようです。
 渋川井伊家の居城跡は、いまは長閑な農地になっています。目立った遺構はなく、緑濃い地を縫う堀跡と思われる窪みだけが、当時の名残り。
 北側にある墓所に並ぶ墓は八基。井伊直之、直貞、直秀、直幸、直親などの名前が刻まれていますが、中には苔むし崩れ落ちそうなものもあります。
 江戸時代の末期に、同じ敷地内から墓を移したときに植えられたと言われる菩提樹の木が、いまは静かに墓守をしています。
(浜松・浜名湖観光情報サイトより)

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この後、矢印と同じ方向へ・・・もう一つ井伊直親さんのお墓がある東光院 (とうこういん)へ向かいました。


おまけ・・・古い道標「右 秋葉街道」「左 鳳来寺道」

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大河ドラマほんと毎回泣かせて頂いてます・・・(T_T)
つづく・・・