静岡県磐田市
久しぶりの廃線ネタです・・・
先日ブログのお知り合いの方の記事情報で隣市の磐田市歴史文書館で光明電鉄の企画展のことを知ったのですがすでに終わって・・・
しかし、つづきの情報で磐田市中央図書館でもう一度この企画展をやるとの事だったんで今日早速観に行ってきました。
久しぶりの廃線展、胸が躍ります!\(^o\) (/o^)/
磐田市中央図書館
「歴史文書館第17回企画展 光明電鉄の消長(しょう ちょう)~大正期前後の地域開発構想~」9月3日~9月11日の開催です。
テーマ「光明電鉄の消長~大正期前後の地域開発構想~」
(主な展示資料:設立趣意書、営業報告書、契約書、沿線案内、株券、時刻表等)
大正期は、蒸気機関や電力などの動力が導入され、産業や運輸交通などは大きな変化の時代を迎えていました。磐田地域の人々も、舟運に頼っていた物資輸送を、天竜川の水力による電力を利用した鉄道に切り変え、同時にその水を灌漑などにも利用しようという壮大な計画を立てました。
その中心となるのが光明電気鉄道で、中泉から当時の光明村船明までの26.6kmを敷設する計画でした。昭和3年に新中泉と田川の間が完成し、開業となりましたが、経済不況の影響で思うように資金が集まらず、また、資金を提供した北越の資本家とも対立して、船明までの開通を見る前に鉄道は運行停止となりました。7年ほどで沿線住民の夢ははかなく消えましたが、その盛衰の跡を当時の記録や写真、パンフレットなどを通して振り返ります。入場無料。
(磐田市歴史文書館より)
(主な展示資料:設立趣意書、営業報告書、契約書、沿線案内、株券、時刻表等)
大正期は、蒸気機関や電力などの動力が導入され、産業や運輸交通などは大きな変化の時代を迎えていました。磐田地域の人々も、舟運に頼っていた物資輸送を、天竜川の水力による電力を利用した鉄道に切り変え、同時にその水を灌漑などにも利用しようという壮大な計画を立てました。
その中心となるのが光明電気鉄道で、中泉から当時の光明村船明までの26.6kmを敷設する計画でした。昭和3年に新中泉と田川の間が完成し、開業となりましたが、経済不況の影響で思うように資金が集まらず、また、資金を提供した北越の資本家とも対立して、船明までの開通を見る前に鉄道は運行停止となりました。7年ほどで沿線住民の夢ははかなく消えましたが、その盛衰の跡を当時の記録や写真、パンフレットなどを通して振り返ります。入場無料。
(磐田市歴史文書館より)
記名をして許可を頂いての撮影です。
貴重な資料も頂きました。
廃線巡りには欠かせない地図です。
短い営業だったので貴重な写真です。
阿蔵隧道の開鑿工事風景と今も残る阿蔵隧道。
数少ない写真です。
そして今回一番気になっていたものを・・・磐田市歴史文書館で行われた時には展示されてなかったもののようです。
以前JR磐田駅前に昔から残っていたとみられる光明電鉄のマンホールの蓋です。
最近駅前開発で撤去されてから磐田市教育委員会で保存となったようです。
光明電鉄のシンボルマーク
レールの断面マーク、周りの円形の線は「光明」と書かれています。
なかなか厚い鉄板です。
以前磐田駅を訪れた時の在りし日のマンホール・・・残念です。
いつまでも残して置いてもらいたい資料です。
ブログ記事情報で短い期間の企画展を何とか観行くことが出来てほんと良かったです。充実の企画展でした。
ありがとうございました。