静岡県熱海市
熱海駅には午前9時半ごろ到着。今回も独りで熱海入りでした。
台風の影響で何時雨に降られるかと・・・風も時々強くなってきて・・・
弟嫁のお見舞いにはちょっと早かったんで事前に予定していたコースをちゃっちゃと巡りました。
商店街はもう開いてます!浴衣を着た観光客も商店街に集まり出して来てました。
お客さん戻ってきたのかな・・・
先ずは昨年熱海へ訪れた時に気になっていた昔人力で走っていた鉄道「豆相人車鉄道」(ずそうじんしゃてつどう)の熱海駅舎跡のを探しに・・・
前回は何も下調べ無しだったので駅舎跡の石碑がある場所の特定は出来なかったです。
今回はしっかり地図とかネットで学習、グーグルマップのストリートビューでもバッチリ確認でした!
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/nekojarashik2/35/55/j/o0600045014444577524.jpg?caw=800)
熱海駅を出て熱海軽便鉄道7機関車の前を通って仲見世商店街を通り抜けます。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/nekojarashik2/2c/a5/j/o0700052514444577542.jpg?caw=800)
朝から商店街は全開です!
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/nekojarashik2/6f/cb/j/o0600045014444577557.jpg?caw=800)
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/nekojarashik2/ec/45/j/o0600045014444577582.jpg?caw=800)
古い建屋の旅館も健在です!
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/nekojarashik2/a1/75/j/o0600045014444577601.jpg?caw=800)
ここからは下り坂、道も狭く車の行き来も多いので結構怖いです!
通り沿いのお店を覗きながら熱海駅舎跡を目指します。
場所は地図の黄色い①の所で観光マップでは真っ直ぐですぐのようなんですが、結構な坂で見事に道がくねってます。
(実は最初の計画ではこの地図の中の番号の4カ所を予定していただけだったのですが、結局12カ所廻ってしまいました。)黄色い番号はわたしが後で入れたものです。
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/nekojarashik2/89/da/j/o1000075014444577616.jpg?caw=800)
ネットで調べた時は、南明ホテルの玄関先となっていましたが、その住所で調べたら今は「大江戸温泉物語あたみ」に変わっていることが分かりそのホテルを目指しました。
観えました観えました!矢印の所、結構大きい石碑のようです。
![イメージ 10](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/nekojarashik2/0e/5d/j/o0800060014444577638.jpg?caw=800)
大江戸温泉物語あたみの玄関前です。
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/nekojarashik2/31/ef/j/o0600045014444577651.jpg?caw=800)
ここが豆相人車鉄道熱海駅舎跡です。
ずっと悶々していたものがやっと晴れました!感激です!\(^o\) (/o^)/
![イメージ 8](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/nekojarashik2/32/67/j/o0700052514444577662.jpg?caw=800)
![イメージ 9](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/nekojarashik2/a1/19/j/o0876051014444577678.jpg?caw=800)
豆相(ずそう)人車鉄道
人車鉄道、小田原~熱海を走る
かつて、人間が客車を押すという世界的にも珍しい鉄道が、小田原~熱海間を走っていました。
明治28年7月に熱海~吉浜間で営業を開始し、翌29年3月に熱海~小田原間が開通しました。
当時、熱海は温泉宿約30軒ほどの保養地で、政財界の大物や文人が盛んに訪れていました。しかし、東京・横浜方面から熱海に至るには海沿いの険しい道(熱海街道)を歩くか、駕籠か人力車を利用していました。そこで、熱海の旅館業主を中心に地元有志や京浜の実業家等が小田原熱海間に鉄道計画を興し、経費も安価であったことから人車鉄道を建設しました。
豆相人車鉄道と呼ばれ、小田原熱海間25.6km。駕籠で約6時間かかっていたところを約4時間で走りました。
豆相人車鉄道は、1車両に客は平均6人、それを2~3人の車夫が押していました。6両編成で、小田原熱海間を日に約6往復し、急な上り坂になると、客も降りて一緒に押したというのどかな風景も見られました。雨宮敬次郎を社長とする豆相人車鉄道株式会社として事業に当たっていましたが、明治41年8月に軽便鉄道に転身し、約3時間の所要時間になりました。
しかし、大正12年に起きた関東大震災によって軌道は寸断され、復旧を断念。翌13年に鉄道事業の幕を閉じました。
(小田原市ホムペより)
(小田原市ホムペより)
![イメージ 11](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/nekojarashik2/9a/47/j/o0455038114444577696.jpg?caw=800)
![イメージ 12](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/nekojarashik2/c7/75/j/o0410024114444577708.jpg?caw=800)
(Wikiと和菓子処味楽庵さんホムペより画像拝借)
おまけ・・・ここまでに発見した蓋いろいろ・・・温泉地ならではですね。
![イメージ 13](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/nekojarashik2/4d/f1/j/o0600045014444577727.jpg?caw=800)
![イメージ 14](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/nekojarashik2/35/3d/j/o0600045014444577748.jpg?caw=800)
![イメージ 15](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/nekojarashik2/f1/f2/j/o0600045014444577775.jpg?caw=800)
次は地図の②「大湯間歇泉」に・・・
![イメージ 16](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/nekojarashik2/d2/18/j/o0600045014444577794.jpg?caw=800)
そそ、記事内の観光マップは巡回観光バス「湯~遊~バス」のルートマップで、後で弟に貰ったもの。病院に行くまではYahoo!マップを印刷したもののみを持参で臨んでます。(;^_^)