第17回 町並みと蔵展 | ねこじゃらし・Kの懐かし処

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遠州浜松発、懐かし探しの近場のお散歩
ヤフブロ時代の過去記事

 
静岡県周智群森町
 
先週の土曜日、遠州森町「町並みと蔵展」へ行ってきました。
 
森町役場の無料駐車場に車を停めて町中へ・・・
 
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ぽかぽか陽気で気持ちがイイです。
 
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今回は以前より骨董屋さんが増えていたかと・・・わくわく・・・
 
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骨董屋さんいろいろ・・・
 
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ケロリンの桶も・・・ここにはだいぶ古い雑誌や紙ものがたくさん・・・
 
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ケースの中を隈なく物色していたらこんなもの発見!
 
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お店の方に封されていた中身を聞いてみたところ・・・「まっ、中身は帰ってからのお楽しみと言う事で、どう?」
¥200だったんで即買いでしたが・・・
 
町並みの中には、氷砂糖の製法の発明で有名な発明王「鈴木籐三郎」の生家も残されえいて公開されてました。
 
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生家の中にはいろいろな写真などが展示されてました。
 
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鈴木藤三郎【すずき・とうざぶろう】
 
生年: 安政2.11.18 (1855.12.26)
没年: 大正2.9.4 (1913)
明治時代の実業家。精糖事業創業者。古着商の次男として遠江国(静岡県)に生まれ,菓子商鈴木伊三郎の嗣子となる。
当時砂糖は大半を輸入に頼っていたので,菓子用砂糖の国産化を計画,精製事業を志した。ABCから始めて外国文献に学び,苦心惨憺,試行錯誤の末に砂糖の精製に成功,明治26(1893)年には精糖用機械も開発した。
これに力を得て28年日本精製糖を創立,専務取締役技師長となった。
34年創立された台湾製糖の社長も兼任,35年には静岡県に100町歩(99ha)の鈴木農場を設立した。
39年日本製糖との合併問題を機に日本精製糖を退社,製塩や製茶,醤油製造など食品関連機械,装置の発明,事業化に熱中した。40年日本醤油を設立したが,サッカリン使用が裏目に出て失敗,全財産を失い,失意のうちに癌で死亡した。
発明特許が百数十件といわれ,経営者というよりは発明家,企業家だったが,独自技術で近代産業を育成した数少ない人物である。  <参考文献>鈴木五郎『鈴木藤三郎』
                                         Kotobankより
 
生家より離れた所に、当時の氷砂糖工場だった鈴木藤三郎記念館があります。
 
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ちょうど小笠高校の生徒さん達がサトウキビの絞り体験をやってました。
 
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「どうぞ!」と気さくに誘って頂いたんで、早速、絞らせて頂きました。
 
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小笠高校で栽培されたサトウキビだそうで・・・WOW!見事に育ってる!!
バケツに溜まった甘~い汁、舐めさせて頂きました。ありがとうございました。
良い生徒さん達でした!
 
この後、今回のテーマだった「森の治郎柿 献上百回記念」治郎柿展へ・・・
 
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骨董屋さんで手に入れた「帰ってからのお楽しみ!」開封・・・
 
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’64オリンピック東京大会のポストカード4枚・・・当時¥60(4枚1組)
 
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なかなか状態が良かったです!7年後に向かってこれから値が出るかな!!