次郎柿(治郎柿)の原木と一木系早生次郎柿原木 | ねこじゃらし・Kの懐かし処

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遠州浜松発、懐かし探しの近場のお散歩
ヤフブロ時代の過去記事

 
静岡県周智郡森町森
 
先日行った遠州森町「第17回 町並みと蔵展」の今回のテーマだった「森の治郎柿 献上百回記念」治郎柿展へ・・・蔵の中での展示でした。
 
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いつもテーマ展が展示される蔵です。
 
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皇室献上
森町は、次郎柿を毎年陛下に献上しています。
明治41年、明治天皇が静岡市にお泊まりの折、向天方(むかいあまがた)の鈴木藤太郎が、自家の次郎柿を周智郡長を通じて献上し、知事は県下の名産として次郎柿をお菓子がわりにお出ししたところ、陛下はことのほか喜ばれました。
以後、柿の献上は、明治41年以降、44年と大正2年に続き、ほぼ毎年行われています。
(静岡県森町ホムペより)
 
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この後ここから少し離れた所にある次郎柿の原木へ・・・矢印のところのカーブミラーに看板が・・・
 
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あは・・・
 
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ここへは何度も訪れていますが、今回はだいぶ綺麗に整備されてるように思われました。
 
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次郎柿原木
甘柿の代表種「次郎柿(治郎柿)」は、当地遠州森町原産で、その原木は町民をはじめ多くの方々に可愛がられ、今も大切に守り育てられています。
 次郎柿の誕生は、江戸末期の 弘化 ( こうか ) 年代(1844~47)に 森町村 ( もりまちむら ) 五軒丁 ( ごけんちょう ) の百姓「治郎(松本)」が太田川の川原で柿の幼木を見つけ、これを持ち帰り自宅に植えたのがはじまりです。その後、明治2年(1869)の火事により焼失。しかし、翌年に芽を出し成長して、数年後には再び実をつけました。ところが、その実は焼失前に比べて肉質はきめ細やかで 甘味 ( あまみ ) も 豊潤 ( ほうじゅん ) 、加えて種も少なくとてもおいしい柿でした。他に比類無き卓絶する良品種であったと伝えています。
 当時人々は、「治郎さの柿・じんろうさの柿・じん郎柿・治郎柿」と呼称し、戦後は「次郎柿」と書かれるようになりました。
 これが、町自慢の次郎柿原木です。
(静岡県森町ホムペより)
 
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そしてこの奥にもう一本柵に囲まれた柿の木があります・・・
 
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一木系(いちきけい)早生(わせ)次郎柿原木と言います。
 
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一木系(いちきけい)早生(わせ)次郎柿原木
周智郡農会の指導者 一木(いっき)藤太郎(とうたろう)(上(かみ)飯田(いいだ))は、より良い献上柿をつくろうと努力を重ねました。生産農家の中から改良するにふさわしい枝を探しだし、自分の家の柿木に接ぎ木して工夫を繰り返した結果、大正10年頃、その中から形状がよく、しかも色づきの早い柿を発見しました。これが、一木系早生次郎柿で、全国で生産されている早生系次郎柿の原木です。
一木系早生次郎柿原木は、一木(いっき)賀文(よしふみ)氏から町に寄附され、平成17年12月20日に次郎柿原木の隣に移植されました。
(静岡県森町ホムペより)
 
この次郎柿の木が全国に広まったのです!
 
 
そそ、以前静岡鉄道秋葉線廃線跡を散策中に偶然観つけたものを・・・
 
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静岡県周智郡森町飯田
 
この道が秋葉線廃線跡で、矢印の所に・・・
「一木系早生次郎柿選抜発見の地」の石碑が建ってました。
 
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石碑に付いている次郎柿のレリーフは、創作森焼陶芸工房の仲田康生氏の作品です。
この事はたまたまネット検索でHITして知りました。
我が家でよく訪れる森のお茶屋さんのおさだ苑さんのマスコット「いし松くん」もこの方の作品です。
 
 
もう一つ最近出来た次郎柿の原木ネタで・・・
 
新東名高速遠州森町PAの敷地内に・・・
 
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矢印のネットが掛かってる所・・・
 
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次郎柿原木の子が植えられていました! お立ち寄りの折には是非覗いてみて下さい。
 
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以上、次郎柿(治郎柿)三昧でした。
 
 
次郎柿、ここ森町では「治郎柿」の名前の方をを推奨しているそうです。