豊川稲荷門前商店街界隈の弘法大師伝説 | ねこじゃらし・Kの懐かし処

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ヤフブロ時代の過去記事

 
愛知県豊川市
 
豊川稲荷門前の「なつかし青春商店街」をいつものように歩いていると、ここの「いっぷく亭」の二階より落語が聞えてきました。
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・・・と横の北方向に向かった通り道入り口に何やら看板が・・・以前は無かったような・・・気付かなかっただけかもですが・・・郵便車が入っていくこの通りはまだ一度も通ったことが無かったです。
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WWW!全国あちらこちらにある弘法大師の伝説がココにも?!
 
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早速進んでみます・・・時期に神社の横にお寺らしき建物が・・・
 
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看板に矢印が・・・
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祇園山 徳城寺(とくじょうじ)
豊川進雄神社に沿った道の南側にあるのが徳城寺の境内です。大きなケヤキが数本茂った一隅に小さなお堂が建てられ、その中に深さ1mほどの井戸があります。洪積台地の豊川町では、粘土層にたまった水を得るこのような浅い井戸はとてもめずらしいです。人々は、不思議な自然現象のこの井戸を弘法大師の掘った「錫杖井戸」として大切にしてきました。
「参河國准四國(13番)」「東三河四国(87番)」「豊鳳大師(7番)」「穂の国観音(28番)」の札所となっています。
(豊川観光協会ホムペより)
 
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小さなお堂には本堂の左手から入っていきます。
 
四国八十八ヶ所巡りが出来るようです。そこを通っていきます。
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突き当たり・・・このお堂のようです。
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錫杖井戸(しゃくじょういど) 「とよかわむかしばなし」より
昔、高野山金剛峯寺を建てられた弘法大師(空海)という偉いお坊さんが、旅の途中、徳城寺に立ち寄りました。のどがかわいた大師は「水を一杯ください」と寺僧に頼みました。「しばらくお待ちください」と、寺僧は答えたが、なかなか水を持って現れませんでした。
やっとのことで、水のいっぱい入った手おけを持った寺僧が出てきました。寺僧が持ってきたその水は、冷たくとてもおいしかった。
聞くところによると、寺僧は、大師に一杯の水を頼まれたものの汲み置きの水がなかったので、急いで崖下の清水まで水を汲みに行っていたことがわかったのです。
大師は、この辺りは井戸がなく、飲み水にたいへん不便をしていることを知り、そこで「ここを掘れば、水が出ます」と、錫杖で地面を示されました。そこを掘るときれいな水が出てきたのです。これよりこの井戸から絶えず水がわき出し、いくら汲んでも水のなくなることはありませんでした。
人々は、この井戸を「錫杖井戸」と呼びました。                   (豊川観光協会ホムペより)
 
お堂の格子の間から中を覗きます・・・
 
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格子の戸を開けることが出来たんで中へ・・・
 
これが弘法大師伝説錫杖井戸です!蓋を開ける勇気はありませんでした・・・と云うか開けてはいけませんですよね・・・見事に手が届く目の前にありますんで・・・
 
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弘法大師の伝説
各地に残る「弘法大師」伝説は「空海」個人のとった足跡とは必ずしも一致しない。弘法大師に関する伝説は、北海道を除く日本各地に5,000以上あるといわれ、歴史上の空海の足跡をはるかに越えている。柳田国男は大子(オオゴ、神の長男を意味)伝説が大師伝説に転化したという説を提出しているが、ほかに中世、日本全国を勧進して廻った遊行僧である高野聖の存在もある。ただ、闇雲に多くの事象と弘法大師が結び付けられたわけではなく、やはり空海の幅広い分野での活躍、そして空海への尊崇がその伝説形成の底辺にあると考えられる。
弘法大師にまつわる伝説は寺院の建立や仏像などの彫刻、あるいは聖水、岩石、動植物など多岐にわたるが、特に弘法水に関する伝説は日本各地に残っている。弘法大師が杖をつくと泉が湧き井戸や池となった、といった弘法水の伝承をもつ場所は日本全国で千数百件にのぼるといわれている[13]。弘法水は、場所やそのいわれによって、「独鈷水」「御加持水」などと呼ばれている。
(Wikipediaより)
 
この後少し商店街を覗いて歩いてたら・・・新しいコーナーでも作ろうかと思い立つものが・・・