今日は大阪万博が開幕した日 | ねこじゃらし・Kの懐かし処

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ヤフブロ時代の過去記事

 
今日はホワイトディーですが、1970年に大阪で日本万国博覧会が開幕した日でもあります。
 
当時カメラで撮った太陽の塔です。
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以前ホムペのお友達から頂いたポストカード(拡大)
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仕事で納品中車中で、静岡のローカルラジオ放送局SBSラジオのコーナー「2時のうんちく劇場」でこんな事を話してました。
 
 
☆1970年03月14日:大阪万国博覧会が開幕しました。
 9月13日の閉幕まで183日間の入場者はのべ6421万8700人なので、
単純計算で1日35万人が訪れたという事になります。
ちなみにディズニーランドの最高の入場記録が1日7万人です。
大阪万博が開催された場所は、現在「万博記念公園」として
整備されていますが、開催される前は未開発の広大な土地だったのですが、
実はここ、大阪から見て俗に言う「鬼門の方向」で、
誰も手を付けていなかったのです。その自然が多かった森が
大阪万博の会場として開発が始まったのですが、工事が始まった
1967年に行われた新宿駅前広場のフォーク集会では
「おお牧場は緑」の替え歌で自然破壊を訴える「おお牧場は消えた」
という曲が歌われている。
大阪万博のテーマ曲『世界の国からこんにちわ』で、
この曲を三波春夫さんが歌っていたという印象が強いのですが、
実際には何人かが競作でレコードを出していて、その中で一番売れたのが
三波春夫さんのバージョンだったのです。
でも、万博広場のタイムカプセルに入れられたのは
吉永小百合さんが歌ったレコードで、その年の紅白歌合戦で歌ったのは
坂本九さん。テーマ曲というと「世界の国からこんにちわ」が有名なのですが、
実は複数の曲がテーマ曲として作られていて、
その中で一番有名になったのがその曲。
フォーク調の万博テーマ曲は「戦争を知らない子供たち」だったのです。
万博が開催された年は1945年に終わった第二次世界大戦後に
生まれてきた子供たちが25歳になり、日本をこれから動かしていくのは
新しい世代だと歌でした。
この当時、万博を開催するときに一番問題だったのが
アメリカとソ連が敵対している冷戦の時代だったという事だったのです。
それを考慮してアメリカ館は南ゲートの近く、ソ連館は北ゲート近く、
ともっとも離れた場所に設置された。
アメリカ館は「月の石」などアポロ計画の展示物があって
人気があったのですが、実はアメリカ館よりソ連館の方が
入場者数が多かったそうです。そのソ連館の入場者のかなりの数が多くが
実はアメリカ軍人。冷戦時代でアメリカ人はソ連の物に
触れる機会が無かったので。
ちなみにサザエさんのタラちゃんは大阪万博に行った事があります。
実はタラちゃん、15年後1985年のつくば博にも出かけており、
さらに15年後2000年の淡路島花博にも出かけています。
そして何故か必ず迷子になっています。
 
WWW!為になりました!?
 
わたし当時小学校6年生、その時買った雑誌「小学六年生7月号」の付録で付いていたソノシート。
開会式の模様が録音されてました。憧れの万博の中継ワクワクしながら聞いてました!
 
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以前発売されたタイムスリップグリコ大阪万博編
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集めたおまけコンプリートです!
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大阪万博のテーマ曲「世界の国からこんにちわ」は、三波春夫さんが歌ってたのしか知りませんでしたが、今も万博広場に埋まってるタイムカプセルの中には吉永小百合さんが歌った「世界の国からこんにちわ」のレコードが入ってるんですね!!
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・・・もう一度行ってみたい!!