小夜の中山「夜泣き石」① | ねこじゃらし・Kの懐かし処

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遠州浜松発、懐かし探しの近場のお散歩
ヤフブロ時代の過去記事

静岡県掛川市
 
日坂宿から旧東海道を登っていくと広重の版画で有名な遠州七不思議の一つ小夜の中山峠の「夜泣き石」があったとされる所に出ます。
 
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ハイキングコースなっていますが徒歩は勘弁なんで、途中の道から車で夜泣き石の伝説にまつわる峠にある久延寺へ向かいます。
 
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茶畑のある山道を登ります、向こうに観える粟ヶ岳にはお茶畑で描かれた「茶」の文字が浮かんでます。
富士山静岡空港からよく観える「茶」文字です。
 
峠の茶屋「扇屋」
 
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江戸時代から続く由緒あるお店で、夜泣き石にちなんだ「子育て飴」が売られてます。
大麦もち米だけで作られたです。
当時はここには何軒もお茶屋が有ったそうですが、今はここ一軒だけだそうです。
 
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扇屋のすぐ横に久延寺が・・・
 
 
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夜泣き石伝説に深い関わりを持つ久延寺は、当時の掛川城主だった山内一豊徳川家康をもてなした寺としても有名です。
 
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本堂の横に「久延寺の夜泣き石」があります。
 
この石は夜泣き石物語の殺された妊婦を弔うために建てられた供養塔だそうです。
昭和三十年代に峠の人たちが石の段(夜泣き石があったところ)で見つけて、寺へ運んできたものだそうで、広重の版画に描かれえている本物?の夜泣き石は少し離れた所に今はあります。
 
 
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その昔、小夜の中山に住むお石という女が菊川の里へ働きに行っての帰り中山の丸石の松の根元でお腹が痛くなり、苦しんでいる所へ、轟業右衛門と云う者が通りかかり介抱していたが、お石が金を持っていることを知り殺して金を奪い逃げ去った。
 その時お石は懐妊していたので傷口より子供が生れ、お石の魂魄がそばにあった丸石にのりうつり、夜毎に泣いた。里人はおそれ、誰と言うことはなく、その石を『夜泣き石』と言った。
 傷口から生まれた子供は音八と名付けられ、久延寺の和尚に飴で育てられ立派な若者となり大和の国の刃研師の弟子となった。
そこへ轟業右衛門が刃研に来たおり刃こぼれがあるので聞いたところ、『去る十数年前小夜の中山の丸石の附近で妊婦を切り捨てた時に石にあたったのだ』と言ったので、母の仇とわかり名乗りをあげ、恨みをはらしたということである。
 その後弘法大師がこの話を聞き、お石に同情し石に仏号をきざみ、立ち去ったと言う。
文化元年滝沢馬琴の『石言遺響』より
 
 
そして、ここから少し離れた所にある本物?の「夜泣き石」へ・・・