前回の記事で、

「サラを信じない者は」

というメッセージを聞いたと書きましたが、

アブラハムの妻もサラという名前だったことを思い出しました。

そして、アブラハムとサラの子供がイサクという名前なのですが

去年「コウテイイサク」という文字がうとうとで

見えたのも思い出しました。

 

また主のメッセージとシンクロ、月暈と地震、記事のアクセス数

 

あとまた思い出したのが、

聖書の続編のトビト記にも、トビトの子トビアの妻がサラという名前でした。

 

トビト記を読むと涙が出て私は好きです。

 

 

今日は、去年わたしが封印を解いたと思われる日です。

(↑0時過ぎたので昨日)

その後、熊本地震が起きました。

 

涙が止まりません。主よ!あなたを賛美します。その他数字89の凄いところ

 

 

去年と同じように、ファブリーズの記事で主の祝福アクセスが4/11から続いています。

4/11が174アクセス

4/12が401アクセス

 

そして4/13のファブリーズのアクセスは、768アクセス

 

 

 

 

 

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このアクセスは、近いうちに何かが起こるしるしなのだろうか。

カレンダーには16日が復活祭と書いてありました。

 

わたしはこのままこうしていていいのだろうか…

 

 

 

 

トビト記の8章13章14章を以下に記します。

偶然なのかどうか、昨日ナホム書を載せましたが

以下のトビト記に

「ナホムが語ったニネベに対する神の警告はきっと実現する。」

とありました。

 

 

 

 

トビト記8.4-8

 

 

トビアとサラの祈り

 

人々は二人の部屋を出て戸を閉めた。
トビアは寝床から起き上がり、サラに言った。
「愛する者よ、起きなさい。二人で主に祈り、主がわたしたちを憐れんで救ってくださる
ように願い求めよう。」

 

そこで彼女も起き上り、二人は主の救いを求め始めた。
トビアは祈って言った。
「わたしたちの先祖の神よ、
あなたとあなたの御名は
世々限りなくたたえられますように。
天とあなたの造られたすべてのものは
あなたをとこしえにほめたたえますように。

 

あなたはアダムを造り、
また彼の助け手、支え手として
妻エバをお造りになりました。
そしてその二人から
人類が生まれて来たのです。
そのときあなたは仰せられました。
『人が一人でいるのはよくない。
彼のために、彼と同じような助け手を造ろう。』

 

今わたしは、このひとを
情欲にかられてではなく、
御旨に従ってめとります。
どうか、わたしとこのひとを憐れみ
わたしたちが共に年老いていくことが
できるようにしてください。」

 

二人は一緒に「アーメン、アーメン」と言った。
そしてその夜は眠りに就いた。

 

 

 

トビト記13.1-18

 

 

トビトの賛歌

 

トビトは賛美して言った。
「ほめたたえよ、
とこしえに生きておられる神とその支配を。

 

神は鞭打つ。しかしまた憐れまれる。
地の底、陰府に連れ行く。
しかしまた大いなる滅びより導き出される。
神の御手を逃れうるものは一つもない。

 

イスラエルの民よ、諸国の人々の前で
神に感謝をささげよ。
神はあなたがたを諸国に散らされたが、

 

そこにおいてさえ、御自分の偉大さを示された。
すべての人々の前で神を賛美せよ。
神はわたしたちの主であり、
わたしたちの父、
とこしえにわたしたちの神である。

 

あなたがたのもろもろの悪事のゆえに、
あなたがたを鞭打ち、諸国に散らされるが、
あなたがたを憐れみ、
すべての国々から救い出される。

 

心を尽くし、魂を尽くして神に向かい、
御前で真実を行え。
そうすれば、神もあなたがたに向かい、
もはやその御顔を隠すことはなさらない。
神があなたがたのためになされた業を見よ。
言葉を尽くして神に感謝せよ。
正義の主、とこしえの王である神を賛美せよ。
〔わたしは捕囚の地で神に感謝をささげ、
神の力と、その偉大さを罪深き民に示そう。
罪人たちよ、神に立ち帰り、
神の御前で正義を行え。
あなたがたは知らないのか。
神は、あなたがたを喜び迎え、
憐れんでくださるのだ。

 

わたしは神を賛美し、
わたしの魂は天の王をほめたたえ、
その偉大さを喜び歌う。

 

エルサレムのすべての人は口を開き、
神に感謝をささげよ。

 

聖なる都エルサレム、
神はお前の子らの悪事のゆえに
お前を鞭打たれる。
だが、正義を行うなら
再びその子らを憐れまれる。

 

主にふさわしく感謝をささげ、
とこしえの王をほめたたえよ。〕
そうすれば再び、お前の天幕は、
喜びのうちにお前のために建てられる。
神がすべての捕囚の民を、
お前のうちに住まわせて喜ばせ、
すべて苦しみ悩む者を、
お前の下でとこしえに愛してくださるように。

 

大いなる光が、地の隅々にまで、輝き渡る。
諸国の人々が遠くから、お前のもとにやって来る。
地の果てのすべての人々が、
聖なるお前の名を慕い、天の王のために、
もろもろの献げ物を携えてやって来る。
世々限りなく、人々はお前を喜び歌い、
選ばれた都であるお前の名をとこしえに歌う。

 

お前をあしざまに語る者は、すべて呪われる。
お前を滅ぼし、城壁を取り壊し、塔を破壊し、
家々に火を放つ者も、すべて呪われる。
しかし、お前を畏れ敬う者は皆、祝福される。

 

行って、正義を行う者たちのために喜び歌え。
彼らはすべて、お前のもとに集められ、
とこしえの主をほめたたえるのだから。

 

お前を愛する者たちは幸いだ。
お前の平和を喜ぶ者たちは幸いだ。
お前の苦難のために心を痛める者は幸いだ。
彼らはお前のゆえに喜び、
お前のすべての喜びをとこしえに見る。

 

わたしの魂よ、偉大な王、主をほめたたえよ。

 

エルサレムは建てられ、
神がとこしえに住まわれる都となる。
わたしは幸せな者となる。
もしわたしの子孫の中で、選ばれ残った者が、
エルサレムの栄光を見、天の王、神を、
ほめたたえることができるならば。
エルサレムのどの門も、
サファイアとエメラルドで、
そのすべての城壁は、
高価な宝石で造られる。
エルサレムのもろもろの塔は、黄金で、
その胸壁は、純金で造られる。

 

エルサレムの通りは、
ルビーや、オフィルの石でちりばめられる。

 

エルサレムのどの門も、喜びの歌をうたい、
エルサレムの家々は唱える。
『ハレルヤ。ほめたたえよ。イスラエルの神を』と。
神の聖なる御名を、
とこしえにいつまでもほめたたえる者は
祝福される。」

 

 

トビト記14.1-11

 

トビトの最後の勧め

 

こうしてトビトは賛美の祈りを終えた。
彼は百十二歳で安らかに息を引き取り、
ニネベで手厚く葬られた。

 

目が見えなくなったのは六十二歳のときだったが、視力を回復した後は、
恵まれた生活を送り、慈善の業を続けた。
彼は神をほめたたえ、神の偉大さのゆえに、感謝をささげることをやめなかった。

 

死に臨んで、トビトは息子トビアを呼び、次のように諭して言った。
「トビア、お前の子供たちを連れ、

メディアの地方に逃れなさい。
ナホムが語ったニネベに対する神の警告はきっと実現する。
アッシリアとニネベに対しては、すべて言われたとおりになる。
神の遣わされたイスラエルの預言者たちが語った事は、ことごとく成就する。
神の警告のうち一つとして成就しないものはなく、すべて定められた時に成就する。

メディアにいる方が、アッシリアやバビロンにいるよりも安全だ。
わたしは確信しているが、神の語られる事はみな成就し、神の言葉は一つとして無駄になることはない。
イスラエルの地に住むわたしたちの同胞は一人残らず散らされ、その恵まれた地から捕囚の身となって連れ去られる。
イスラエルの地はことごとく荒れ地となり、サマリアもエルサレムも荒れ果ててしまう。
神の家も焼き払われ、しばらくは悲しみに包まれる。

 

しかし神は再び彼らを憐れみ、イスラエルの地に連れ帰り、御自分の家を再建される。
しかし、再建されても、定められた時が来るまでは、元どおりにはならない
その時が来れば、すべての人々は捕囚の地から立ち戻り、エルサレムを輝かしく再建し、
イスラエルの預言者たちが語ったように、神の家もエルサレムに再築される。

 

世界のあらゆる国とその人々は主に立ち帰り、心から神を畏れ、偽りをもって彼らを欺き惑わす偶像をすべて捨て去る。

 

そしてとこしえの神を正しくほめたたえる。
心から神に従うイスラエルの民は、その日救われてエルサレムに集められ、アブラハムの地でいつまでも住み、平穏無事な生活を送り、その地は彼らのものとなる。
神を心から愛する者は喜び、罪を犯し不正を行う者は地のすべての場所から消えうせる。

 

さあイスラエルの民よ、あなたがたに命じる。
心から神に仕え、神が望まれる事を行いなさい。
あなたがたの子供たちがいつも正義を行い、慈善の業に励み、神に従い、どんなときでも力を尽くして心から神の御名をほめたたえるように教えなさい。
さあわが子トビア、ニネベから出て行くのだ。いつまでもとどまろうとしてはならない。

 

母親をわたしの傍らに葬ってしまったら、その日のうちにニネベの町を後にしなさい。
わたしの見るところ、この町では多くの不正が行われ、もろもろの偽りがはびこっているのに、人々は恥とも思っていない。

トビア、育ての親アヒカルにナダブが何をしたかよく考えてみなさい。
アヒカルは生きながら地下の墓に閉じ込められたのではなかったか。
しかし神はナダブが御前で行った卑劣な行為に罰を与えられた。
すなわち、アヒカルは再び日の目を見たが、ナダブは永遠の暗闇に落ちてしまった。
アヒカルを殺そうとしたからである。
アヒカルは慈善の業に励んでいたので、ナダブが掛けた死の罠を逃れることができ、
逆にナダブ自身は死の罠に落ち込み、命を落としたのだった。

 

トビア、よく考えてみなさい。
慈善の業をすることがどんな利益を生み、不正を行うことがどんな害をもたらすか。
不正を行うことは死にほかならないのである。
わたしの命ももう終わりだ。」
人々がトビトを床に寝かせると彼は息を引き取った。そして手厚く葬られた。