「問題な日本語」って表現は問題?
今「問題な日本語」という本を読んでいます。
これは、タイトルからもお分かりかもしれませんが、最近よく使い方が乱れていると言われている、どこかおかしな日本語の表現について、これでもかこれでもかと例を挙げて紹介している本です。
この本が、最近流行りの日本語について書かれた本とは、一風変わった趣を醸し出しているのは、単におかしな表現をおかしいというだけではなく、そのような使い方が広まったのには、必ず何か理由があるはずだということで、その背景にある考え方などを探ろうと試みている点にあると思います。
例えば「~じゃないですか」という表現に違和感を持ったり、失礼に感じる理由として2種類あることを指摘されています。すなわち1つめは「これって最近流行っているじゃないですか?」などに代表されるような、自明なことを「ご存じないかもしれませんが」と控えめな感じを装って言う場合で、この使い方には、不愉快に感じる人と感じない人がいて、前者は「そんなことは言われなくても分かっている」と思う人で、後者は話し手の「~じゃないですか」という言い回しを単なる情報確認と捉えている人ということになります。
2つめの「~じゃないですか」の使い方は「私って最近引っ越してきたばかりじゃないですか」といった他人が知るはずのないプライベートなことを知っていて当然といわんばかりに共感を求めた言い方で、これについては、より多くの方が不快感を示す場合が多いそうです。
そのほかには「こんにちは」と「こんにちわ」の問題で、元々助詞の「は」(「私は」の「は」のことです)は、「わ」と読むのに「は」と書くという決まりに基づいて「こんにちは」と書く(つまり「こんにちは」は「今日は~」の省略ということ)のですが、同様の「は」が「わ」転じてしまった例として「いまわの際」「すわ一大事」「きれいだわ」など、既に助詞としての形骸さえ意識されなくなったものや終助詞と化してしまった言葉を挙げられ、近いうちに「こんにちわ」というのが認められる日が来るのではないか、と推測されています。
このように、従来の感覚ではおかしいと思われる表現を「けしからん」と怒ったり嘆いたりするだけではなく、言葉というのは時代とともに変わっていくという前提のもと、なぜこのような表現が生まれたのか、そしてそれは今後どうなっていくのか、といったところまで言及しているところに、この本の新鮮さを感じるとともに、正しい日本語についても大変勉強になりました。(といってもまだ途中までしか読んでませんが)
この本を書かれている方(編者)は国語辞典の編者をされている日本語の専門家なので大丈夫なのでしょうが、この本に少しでも変な表現が出てきたら、それこそ抗議のはがきが殺到しそうなので、一字一句にまで気を使って書かれるんだろうなあ、などと、この文章もほとんど勢いだけで書いてしまった私は思いを巡らすのでした。
(以上の文章で一体いくつくらいおかしな表現があるのでしょうか?)
これは、タイトルからもお分かりかもしれませんが、最近よく使い方が乱れていると言われている、どこかおかしな日本語の表現について、これでもかこれでもかと例を挙げて紹介している本です。
この本が、最近流行りの日本語について書かれた本とは、一風変わった趣を醸し出しているのは、単におかしな表現をおかしいというだけではなく、そのような使い方が広まったのには、必ず何か理由があるはずだということで、その背景にある考え方などを探ろうと試みている点にあると思います。
例えば「~じゃないですか」という表現に違和感を持ったり、失礼に感じる理由として2種類あることを指摘されています。すなわち1つめは「これって最近流行っているじゃないですか?」などに代表されるような、自明なことを「ご存じないかもしれませんが」と控えめな感じを装って言う場合で、この使い方には、不愉快に感じる人と感じない人がいて、前者は「そんなことは言われなくても分かっている」と思う人で、後者は話し手の「~じゃないですか」という言い回しを単なる情報確認と捉えている人ということになります。
2つめの「~じゃないですか」の使い方は「私って最近引っ越してきたばかりじゃないですか」といった他人が知るはずのないプライベートなことを知っていて当然といわんばかりに共感を求めた言い方で、これについては、より多くの方が不快感を示す場合が多いそうです。
そのほかには「こんにちは」と「こんにちわ」の問題で、元々助詞の「は」(「私は」の「は」のことです)は、「わ」と読むのに「は」と書くという決まりに基づいて「こんにちは」と書く(つまり「こんにちは」は「今日は~」の省略ということ)のですが、同様の「は」が「わ」転じてしまった例として「いまわの際」「すわ一大事」「きれいだわ」など、既に助詞としての形骸さえ意識されなくなったものや終助詞と化してしまった言葉を挙げられ、近いうちに「こんにちわ」というのが認められる日が来るのではないか、と推測されています。
このように、従来の感覚ではおかしいと思われる表現を「けしからん」と怒ったり嘆いたりするだけではなく、言葉というのは時代とともに変わっていくという前提のもと、なぜこのような表現が生まれたのか、そしてそれは今後どうなっていくのか、といったところまで言及しているところに、この本の新鮮さを感じるとともに、正しい日本語についても大変勉強になりました。(といってもまだ途中までしか読んでませんが)
この本を書かれている方(編者)は国語辞典の編者をされている日本語の専門家なので大丈夫なのでしょうが、この本に少しでも変な表現が出てきたら、それこそ抗議のはがきが殺到しそうなので、一字一句にまで気を使って書かれるんだろうなあ、などと、この文章もほとんど勢いだけで書いてしまった私は思いを巡らすのでした。
(以上の文章で一体いくつくらいおかしな表現があるのでしょうか?)