ウルタールの路地裏から。 -109ページ目

みょん×ソード ep.Ⅲ 届かず、遠く②

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「あぁ……死ぬぅ~」
 ダウンし、情けない声を上げる萃香。
 妖夢は桶に水を満たして持ってくると、柄杓ですくって手渡してやった。
「もう、飲んですぐ動くからですよ。幻想郷はただでさえ酒飲みが多いんですから自重してください」
「んぐぐ……っぷぁ。ごめんごめん、今度はこっちが説教されるとは……さっきとは立場が逆だねぇ」
 ぽりぽりと頬を掻いて照れながらも素直に反省する萃香。その幼い姿には先ほどの凶暴さは微塵も感じられず、微笑ましくすらあった。
 しかし先ほどの戦いの通り、彼女が強大な力を持った鬼であることは紛れもない事実である。
 妖夢は萃香のそんなところに紫や幽々子といった幻想郷の強者に通じるものを感じた。
 底の見えない、得体の知れない強さを。
 水を飲んで落ち着いたのか萃香はゆっくりと身を起こす。
「さて、お礼というわけじゃないけど、紫について一つ心当たりを教えてやろうかね」
「え、あるんですか? さっきは……」
「あるというか、今できたというか」
「?」
 妖夢には訳が分からなかった。
 幻想郷の強者に共通する要素に、分かりづらい言い回しや言葉遊びを多用するというものもがある。
 しかしこれはどうにも違うような、本人でさえも困惑しているような様子を見せていた。
「後ろ見てみな」
 言われるまま後ろを向く妖夢。
 そこには紫の能力が生み出す空間の境界、複数の空間をつなぐ門の機能を持つ『スキマ』がその口を開けていた。
「これは……!」
 何の前触れもなく現れ、だがついに掴んだ手がかり。
 妖夢はすぐに拝殿に目をやり、橙の姿を探した。
 伝えなければ。
 しかし、先ほどまであった姿は見あたらず。
「橙!? どこに…?」
 動揺し駆け出そうとする妖夢を萃香が遮る。
「通してください!」
「そいつはできない。紫とはつき合いが長いんだ、何をしたいかだいたいわかった。だから行かせられない」
 立ちふさがる萃香。
 身体から立ち上る鬼神のごとき気勢は、先ほどまでダウンしていたとは思えないほどだった。
「それにいいのかい? これをほっといて。やっと掴んだ手がかりなんだろ?」
「……!」
 妖夢は一瞬、スキマに目をやって戸惑う。
 萃香はその一瞬の隙を見逃さなかった。
「だ~か~ら」
 妖夢に組み付くと、
「っそりゃあ! 行ってこ~い!」
と、そのまま勢いよくスキマに放り投げる。
「ちょ、うわぁぁあああ!」
 一直線にスキマに向かって吸い込まれていく妖夢。
 スキマはそれを待っていたかのように閉じ始めた。
『世話かけるわね』
 萃香一人になり静けさが戻った境内。そこに響く声。
 それは紛れもなく紫の声だった。
「別に、いつものことだしね。まぁ私に下手な芝居打たせたのにはムカついてるけど」
『あら、悪くはなかったわよ』
「で、今日はいつから見てたのさ」
『ひ・み・つ。まぁ、もう少しだけ留守番頼むわね?』
「わかったよ。でもおみやげ持ってこなかったら本気でシバくかんね」
 すねたように口をとがらせる萃香。その顔が見えているかのように紫の声に含み笑いが混じる。
『ふふふ……期待しないで待っててね』
「はいよ」
 完全にスキマが閉じる。
 それとともに、神社は再び静寂を取り戻した。
「ン……」
 一人残された萃香は軽く伸びをすると、おぼつかない足取りで拝殿へ歩みを進める。
 そして、おもむろにひょうたんを取り出すと一口。
「っかー! やっぱ、悪酔いには迎え酒だぁね」
 全く懲りていない様子。
 酒飲みとは往々にしてこういった生き物なのである。
 しかし、その瞳の奥には、どこか愉しそうな光が宿っていた。
 本殿にたどり着き、その床にどかっと座る。
「いいねぇ、祭りの匂いがしてきた」
 言いながら新しい御神酒の瓶を開け、一気にあおる。
 口角からこぼれようとかまわず飲み干す。
 それでも笑みが収まらない。
 鬼の本能がひどく疼く。
 祭りだ。
 今までになく混沌とした、それこそ宵越しの銭も持てないほどに楽しい祭りが。
 近づいている。確実に。
「ははっ。それじゃ、太鼓が鳴るまではせいぜいゆっくりさせてもらうかね」
 言って、萃香は新しい瓶に手をかけた。
「それも一つの楽しみ方ってやつさ」




 神社の裏側、普段は霊夢が住居にしている区画。
 その縁側に藍と橙は腰を下ろしていた。
「すみません、泣き出しちゃって」
 橙はまだ赤い目を擦りながら言った。
「いいさ、寂しかったんだろう?」
 藍はそれに母親のように優しく返す。
 藍の橙の頭に手をのばすと、ゆっくりと撫で始める。
 愛情を込めて、慈しむように。
 橙もその感触と暖かさに身をゆだね、目を細めてのどを鳴らしていた。
 暖かい春の午後の日差しの中、二人の間に優しい時間が流れる。
 言葉はなかったが、愛情がそこにはあった。
 主と式という関係を越えた、まるで母子のような暖かなつながり。
 しばらく時に身を任せていた二人。
 それからどれだけの時間がたったろうか。
 ふいに橙が口を開く。
「藍さま」
「何だ?」
 呼ばれ、返す藍。
 上目遣いの瞳が彼女を見つめている。
「今までどうしていたんですか?」
「……」
 投げかけられた当然の問いに、藍はしばし逡巡する。
 しかし、決心したように一つ頷くと撫でていた手を橙の肩に乗せ、その瞳を見つめて口を開いた。
「お前も知っての通り、今、幻想郷には未知の機械が流入を始めている」
「はい」
 今までの戦いのこと、ダンのこと等が橙の頭をよぎる。
 一息置いて藍は話を続けた。
「私は紫様とともにその流入を止めるために動いていたんだ。最初はいつも通り結界の修復だけですぐに済むものと思っていたのだが……それは思ったよりも深刻な事態だった。屋敷に帰れなくなるほどにな」
 藍の口調には苦さがにじみ出ていた。
「それでも事態はまだ終わりそうにない。それどころか夏からはさらに厳しくなるだろう」
 言葉を紡いでいく度に、その表情に重さと険しさがこもっていく。

 それは憂いと使命感のこもった、果たすべき責務に生きる者の顔だった。
「そうだったんですか……」
「だから、迎えに来たんだ」
「え……?」
 藍の表情が柔らぎ、優しいものに戻る。
「何が起こるかわからない中で、お前を一人にはしておけないだろう? これからは私がお前を守る。安心して良い」
 言いながら、藍は橙を抱きしめる。
「私と一緒にいれば何も怖いことはない。危ない思いも、寂しい思いもしなくて済むんだ」
 愛おしむように強く抱きしめる。
「だから……」
「藍さま」
 突然、橙が藍の言葉を遮った。
 俯いたまま藍の体をゆっくりと押し、抱擁から逃れる。
「どうした?」
 藍は橙の様子をいぶかしんだ。
 顔を上げる橙。
 その瞳には、真剣な色が宿っていた。
「守ってくれるのも、大切にしてくれるのも嬉しいです。でも」
 ここまで言って橙は一つ区切った。
 息を吸って、心を落ち着ける。
「私にもお手伝いさせて下さい。見ているだけ、守られるだけは嫌なんです。藍さまが紫さまのために働くように、私も藍さまのために働きたいんです!」
 小さな胸に蓄積し続けていた想い。
 橙はそれをぶつけていた。
 大好きな主たちのため、役に立ちたい。弱い自分なりにできることをしたい。
 そんな切実な願い。
 彼女はその願いために主たちを追い続けていたのだ。
 一度あふれだした想いは止まらない。
「私は藍さまの式神です。藍さまのためにある存在です。でも、私は守られて、危険から遠ざけられて……それなら一体、私は何のためにいるんですか?」
 いつのまにか橙の目からはまた涙がこぼれ始めていた。
『守られるもの』でしかない自分の無力が悔しくて、それを少しでも変えたかった。そんな想いのこもった涙。
「………」
 藍は黙り込んだまま、泣きながら話し続ける橙の顔を見つめていた。
「お願いです……私にも、手伝わせて下さい。『式』としての私を、信じて下さい……」
 橙の言葉は最期の辺りになると涙声でかすれていた。
 橙は俯いて目を擦る。それでも涙は止まることなく、縁側の床にぽたぽたとこぼれ落ちていった。
 橙は返事を待つ。主の返事を。
 しかしその顔を見るのが怖かった。
 とても優しい顔で、絶対に聞きたくない返事が返ってくるようで。 
 小さな肩を震わせて、橙はただ待っていた。
「──橙」
 優しい声で呼ばれる。
 手が、肩に触れる。
「藍さま……」
 一縷の望みを胸に顔を上げる橙。
 しかし、そのために見てしまった。
 とても優しく、哀しげなあの顔を。
 聞いてしまった。
 聞きたくなかった言葉を。
「これは『お前のため』なんだ」
「っ……!!」
 二人の間に、ひどく冷たい風が吹いた。春も半ばだというのに、空気を丸ごと持っていってしまうような、強く冷たい風が。
 どこからか現れたまばらな雲が、神社に影を落としていく。
 砕かれる望み。届かなかった想い。
 真っ白になった頭に響く主の言葉。
 それは『私のため』だと。
 主は言う。
「本当に何が起こるかわからないんだ」
 しかし橙には見えていた。
 見えてしまっていた。
「何かあってからでは遅い」
 主の手に握られた『首輪』が。
「分かってくれ、橙……」
「嫌!!」
 橙は叫んでいた。
 ここまで明確な主への反抗は初めてかもしれない。
 しかし、叫ばずに入られなかったのだ。
「わがままはやめるんだ!」
「嫌です!!」
 肩を掴もうとする藍から、身を引いて逃れる。
 涙が止まらない。
(藍さまは分かってくれると思ってた)
 でも違った。
 橙には、それが。
 悲しくて、
 哀しくて、
 耐えられなかった。
 だから、
「いや……!」
「橙……?」
 逃げ出した。
 主と、悲しさと、自分の無力から。
 わがままだと分かっていても、主の想いは分かっていても、受け入れることが出来なかった。
 どこへとも知れず走っていく。
 制止する藍の声が聞こえるが、もはや橙の耳には入らない。
 大好きな主、追い続けていた主に橙は今背を向ける。
 とめどなく流れ尾を引いていく涙。
 彼女の旅は今、この瞬間に終わりを告げた



 一人縁側に残された藍。
 彼女はあまりの衝撃に呆然としていた。
 そして、追うことが出来なかった。
「は…はは」
 自嘲的な笑いがこぼれる。
 橙が私を拒絶した。
 いや、私が橙を拒絶してしまったんだ。
 守るつもりがこの様か。
 心まで冷やすような冷たい風に、藍は己の肩を抱く。
「少しの間に、ずいぶん寒くなったものだ……な」
 その呟きは、いつの間にか暗みはじめた空に吸い込まれ、消えていった。
 




「がっ!」
 妖夢は投げ飛ばされた勢いのままスキマの出口から吐き出され、地面を転がる。
「痛たた……」
 腕をさすり立ち上がる妖夢。
 そこにかけられる声。
「相変わらずね、貴女も翠香も」
「ッ!」
 顔を上げた先、その瞳に映るもの。
それはウェーブのかかった金髪にドレス、白手袋に日傘という格好をした妙齢の女性。
 妖夢と橙が追い続けていた八雲紫がそこにいた。
「少し、歩きましょうか。積もる話もあるでしょう?」
 いつも通りの、含みのある口調と怪しげな微笑。
 暗み始めた空に季節外れの冷たい風が流れる。

 それは、ちりん、と妖夢のリングを鳴らした。

 響き渡る軽妙な音。


 その音が記憶を呼び覚ます。

 白玉楼を追い出され旅に出た、あの日のことを。




MYON×SWORD



ep.Ⅲ③に続く