◎番外◎ <随筆>珈琲あれこれ(其一) | ねこバナ。

◎番外◎ <随筆>珈琲あれこれ(其一)

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五月晴と言う形容が相応し過ぎる、或る日の午後のことである。

私はバスと電車を乗継いで、隣町まで所用を足しにやって来た。そのあと久々に一人でラーメンを食い、駅ビルの中の珈琲屋によろよろと入込み、さほど美味くもないアイスコーヒーを胃に送りながら、我身の不安をぼんやりと感じていたのである。
店内には高校生が多かった。テスト期間なのだろうか、問題集や辞書を積み上げて熱心に勉強しているものがある。かと思えば、ただ広げただけのノートでテーブルを占領し、同級生との他愛ない会話に余念のないものもある。そういえばこんな感じだったろうかと、自分の若い頃を想像しかけて、止めた。どうも卑屈になっているらしい。力に満ち溢れている彼等の姿と我が身を重ねるのは、些か現実離れしすぎている。
もやもやと頭の中に霞が蠢いて来たので、ストローで苦い液体を吸い込む。そうして、プラスチックのカップの中をじいと覗き込む。不思議なものだ。何時頃から私は、こんな苦い飲み物を平気で飲めるようになったのだろう。

いつのまにか私の妄想は、高校生の頃を飛び越えて、はるか昔へと、飛び立ってしまった。

  *   *   *   *   *

初めて珈琲なる飲み物を飲んだときのことは、実はあまり憶えていない。ただ、それにまつわる或道具についてなら、はっきりと思い出すことが出来る。所謂コーヒー・サイフォンである。
高度経済成長期を若者として過ごした人の多くがそうであるように、私の父もサイフォンで淹れる珈琲に憧れを抱いていたらしい。小学校低学年の頃だったと記憶するが、或る日、父がいそいそと私たち兄弟の前に、まるで化学の実験器具のようなガラス製品を披露した。珈琲といえばインスタントの粉末しか知らなかった私達は、その不思議な形の器具に驚き、興味津々で父の手つきを見守った。何処で覚えて来たのか、元来何事も器用にこなす父は、すいすいと器具の準備を終え、おもむろにアルコールランプに火を点けた。
興味深げにその揺らめく炎を、こぽこぽと音を立てながら湯が上がってゆくさまを、私達兄弟は文字通り固唾を呑んで見ていた。そして、次第に部屋に充満してゆく珈琲の香に鼻をひくつかせた。そんな子供等を見て、父はきっと得意満面であったに違いない。
果たして、我が家初のサイフォンで淹れた珈琲が出来上がった。父は満足そうにブラックでその味を楽しんでいたが、私達小さな子供にそんなことが出来るはずもない。ひと口啜っただけで口を曲げ舌を出して、お約束どおりに叫んだ。
「うぇー、にっがーい!」
間もなく私達のカップには、珈琲の五倍くらいの量のホットミルクが注がれ、砂糖もたっぷりと入れられた。それでも満足だったのであろう。少しばかり大人びた空気を、私などは大いに楽しんだように記憶している。
その後何度か、私達は父のご相伴に与って、たっぷりの「珈琲牛乳」を楽しむ権利を得た。しかし引越を繰返すうち、父にもそんな余裕がなくなったとみえて、サイフォンは段ボール箱の中に仕舞われたままになってしまった。
あのサイフォンはまだ実家に残っているだろうか。もしあったとしても、ランプのアルコールはとうに無くなっているだろうし、フィルターも使えなくなっているだろう。あの味と香りが、再び父と私達兄弟のあいだに満たされることは、もうないのかも知れない。

  *   *   *   *   *

$ねこバナ。

Photo by kennymatic (flickr/jumped from igosso)



サイフォンを使用する珈琲の抽出法は、バキューム法とも呼ばれ、意外にも「技術に頼らず美味い珈琲を淹れられる」方法なのだそうだ。フラスコに入れた水をアルコールランプなどで温め、沸騰させたところに珈琲豆の入ったフィルター付のロートを差し込む。沸騰して発生する蒸気の圧力で湯はロートへと上ってゆき、適温で珈琲豆に行き渡る。頃合いを見て火を消すと、急激にフラスコ内部の圧が下がって抽出された珈琲が落ちてくる、といった具合である。
確かに湯の温度管理は必要ないし、豆の挽き方、ロートの差し込みと火を消すタイミングさえ間違わなければ、失敗することはなさそうに思える。器具の管理を面倒臭がらなければ、なかなかに優秀な抽出法である。
ずらりとサイフォンが並ぶ喫茶店で、一杯ずつ丁寧に淹れているさまを見るのは、大人になった今でも楽しい。小さい頃の記憶が蘇るせいもあるし、なによりああした器具への憧れは、似非科学少年だった頃からずっと持ち続けているのだ。アルコールランプとフラスコ。このコンビだけでも、薄暗い実験室のなかで怪しげな実験をするマッド・サイエンティストの姿が浮かんでくるではないか。
…いや、マッド・サイエンティストの淹れる珈琲など、どう考えても身体には良くなさそうだ。せいぜい私は、某有名喫茶店のカウンターにでも座って、妄想欲を満たすことにしよう。

  *   *   *   *   *

はっと我に返る。相変わらず高校生達は、思い思いに勉強し、話し笑い合っている。幸せな光景だと思う。こうした瞬間を、彼等にはずっと憶えていて欲しいものだ。数十年後、それを懐かしむときが、きっと来るに違いないからだ。
次こそは、彼等と同じくらいの頃の妄想を楽しむことにしよう。そう思い直して、私はよろよろと立ち上がり、繁盛する珈琲屋をあとにした。
若者達の嬌声と珈琲の香りが、背中の向こうで、弾けていた。




おしまい







珈琲にまつわるあれこれ 今後しばらく綴ってまいります どうぞお楽しみに
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