第二百九十六話 オーバー・ザ・トップ
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「社長、おつかれさまです」
「ああ」
居並ぶ社員の挨拶に軽く手を振り、私はリムジンへと乗り込んだ。
今や日本のIT企業のトップに躍り出た我が社は、他の追随を許さぬ勢いで成長し続けている。近い将来、私はあのビル・ゲ◎ツやスティーブ・ジョ◎スに劣らぬ、いやそれ以上の成功者として名を馳せるだろう。
高速道路を抜け、東京の郊外に構えた豪邸へとリムジンは滑り込む。執事がドアを開け、メイドが鞄を持って従う。
「パパ、おかえり」
「おかえりなさい」
そして愛らしい娘と美しい妻。私はこの世の全てを手に入れたような気分だ。
食事を終えてリビングで寛ぐ。ブランデーを傾けて葉巻をくゆらせる極上の時間。
今までの道程は平坦ではなかった。しかし私は手に入れたのだ。経済界の大物や政治家すら私に媚びへつらうこの地位を。
もはや、私の上に立つ者などいない。そう、私は...。
「みゃあ」
妙な鳴き声がした。
ふと背後の書棚に目を遣る。すると、その上には、
「みゃあう」
一匹の、黒猫がいた。
「おい」
傍らで本を読んでいた妻に訊く。
「あれは何だ」
「何って、あれは猫でしょ」
「そうじゃない。どうしてあんなところにいるんだ」
「あら、きのう話したじゃないの。メグミが拾って来たんだって。飼ってもいいでしょって」
「そ、そうか」
「そうよ。まさか酔っぱらってて覚えてないなんて言わないでしょうね」
「うっ」
昨日は確かに、某ミュージシャンのパーティーに呼ばれて、ぐでんぐでんになって帰ってきたのだった。私としたことが。
可愛い娘の頼みなら、しょうがない。
それにしても。
「みゃあう」
本棚の上で、私を見下ろしている。
あの猫、いけすかない。
「みゃあう」
たまらず私は立ち上がった。
「おいこらっ、そこに登るな」
「みゃあう」
「さっさと降りろ」
「みゃあーう」
猫はするすると逃げるが、いっこうに本棚から降りようとしない。私はだんだん意固地になってきた。
「おい降りろったらっ」
「みゃっ」
「こらまてっ」
「ちょっとどうしたの、いいじゃないの放っておけば」
妻が口を挟むが、私は聞き入れない。
「冗談じゃない。こんな動物に見下されてるなんて、堪えられるか」
「あなたって変なところに拘るのねえ。猫は高いところが好きなのよ」
「なにいっ、ゆっ、許さん私より高みに昇るなど」
「みゃーあう」
「およしなさいってば、大人げないわねえ」
そう言われると身も蓋もない。しかし気分が悪いのも事実だ。私はリビングを出て、最上階のテラスで休むことにした。
涼しい風が吹くテラスで、極上のウィスキーを開け、琥珀色の液体を月にかざして見る。そしてその香りを楽しむ。いい気分だ。最高だ。
そして、月に乾杯し、ぐいっとひと口飲み干そうとした、その時、
「なあお」
「ぶはっ」
吹いた。
また猫か。何処だ。
「なああおう」
振り向くと、屋根のてっぺんには猫が。
黒い猫が、ちょこんと座って、私を見ていた。
高いところで。
私を。
見下ろしている。
「くっそおおう」
私はぐいと口を拭い、呼び鈴を鳴らした。急いで執事が飛んで来る。
「なんでございましょう旦那様」
「あれは何だ」
「何って、猫ですな」
「なんであんなところに」
「お嬢様が拾って来られた猫では」
「さっきまで下にいたじゃないか」
「猫は高いところが好きですからなあ」
「何を落ち着いてるんだ! さっさと降ろせ」
「とおっしゃいましても、相手は猫ですから」
「なにいい、じゃあハシゴを持って来い! 私がとっつかまえてやる」
「ちょっ、旦那様、危ないからおよしください」
執事は慌てて私を制止するが、どうにも怒りがおさまらない。
「離せはなせええ」
「落ち着いてくださいませ旦那様。旦那様は、もっと高いところでお仕事なすってるじゃあありませんか」
「うぬ」
「そうでございましょう。会社は東京で一番高いビルの最上階にあるんでございましょう」
「ぬぬぬ、そ、それもそうだな」
「たかが猫のすることですから。今日のところは、もうお休みくださいまし」
「…ぬうう、そ、そうしよう」
執事に説得され、私は我に返った。そうだ私は、日本一高いオフィスで仕事をしているのだった。
あんな猫に負けるわけがない。優越感が怒りを若干上回り、私は寝室で休むことにした。しかし。
「なあーおう」
時折聞こえる猫の鳴き声に、私は苛立った。
私より高いところで鳴きやがって。ゆるさん。
* * * * *
翌日、私は朝食もそこそこに、自家用ヘリでオフィスへと向かった。
爆音をたてて舞い上がるヘリから自宅の屋根が見える。そこにはまだあの猫がいた。
ざまあみろ。私のほうが見下ろしてやったぞ。どういうわけか、このうえない優越感に、私は浸っていたのだった。
数十分でヘリはビルのヘリポートに到着し、私は颯爽と社長室へ向かった。
「おはようございます社長」
秘書が私を笑顔で出迎える。私も笑顔を返す、はずだった。
しかし。
「ぬあっ」
秘書の背面にある洒落た棚の一番上に、猫が。
黒猫の人形が、置いてあった。
「ななななっ、なんだあれは」
私はおののいて猫を指差した。
「何って、あれは提携先のマスコットです。昨日あちらの社長が置いてらしたんですよ。かわいいし協力関係のアピールにもなるので、見えるところに飾っておこうかと思って」
「あんな高いところじゃなくてもいいだろう」
「は、あの、社長、どうかなすったんですか」
「どうもこうもない! さっさと降ろしておけっ」
「はっ、はい、すみません」
一気に不機嫌になった私は、踵を返してヘリポートへと戻った。深呼吸をして頭を冷やそうと思ったからだ。
どうしてこう猫づいてるんだ。しかも、あらゆる猫が俺を見下している。気分が悪い。
たかが猫のくせに。そうだ、たかが猫…。
そう考えると、私も大人げない。ヘリポートで風に吹かれているうち、だんだんと気分が落ち着いてきた。
秘書には謝っておこう。そしてあの猫の人形も、ちょうど目線の高さくらい、いやもちょっと下なら置いてやってもいいだろう。
うーん、と私は背伸びをした。風が心地よい。
ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ
ローターの音がする。飛行船が飛んでいるんだな。
ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ
ビルの下から、ゆっくりと飛行船が浮上してきた。
ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ
真っ白なその機体には。
ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ
「なああああああああっ」
黒い猫が。
くっきりはっきりと、プリントされていた。
「うわあああああああっ」
飛行船はずんずん浮上する。
黒猫もずんずん高みに昇る。
そして金色の眼で。
私を。
ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ
見下している。
「くっそおおおおおお猫めええええええ」
私は携帯電話でヘリを呼んだ。
「そうだ。飛行場に、自家用ジェットを用意しろっ」
もう負けてなるものか。
私はヘリで空港へ向かい、自慢の自家用ジェット機へと乗り込んだ。
* * * * *
最新鋭の自家用ジェット機は、私を乗せてすぐに離陸した。
ずんずん地表が遠くなる。そして、あっというまに高度一万メートルだ。
ここまでなら飛行船も追いつくまい。ふん。勝った。
そうだ私にはこんなに力があるのだ。たかが猫など、足元にも及ばない。
しばらくフライトを楽しもう。そうして気分が落ち着いたら、仕事に取りかかるとしようか。
私は機内にしつらえたホームバーからブランデーを取り出し、グラスに注いだ。たまには空の上で飲むのもいいだろう。
そうして、なにげなく衛星テレビのスイッチを入れた。
「…では次のニュースです。
世界初の超低コストロケットの打ち上げが、これからギアナ宇宙センターにて行われます。カウントダウンが始まっております。
5・4・3…」
ロケットの打ち上げか。我が社もビジネスに参入すべきだろうか。
「2・1・イグニッション、リフトオフ」
轟音とともにロケットが浮き上がり、ゆっくりと昇ってゆく。
どんどん高く、高く。
「成功です。シャ・ノワール号、通称黒猫号、宇宙に向けて出発です」
なにっ
「大きな黒猫がペイントされた機体が、ずんずん宇宙へ」
なああっ
「飛んでゆきます」
ロケットの猫は。
超高速で飛びながら。
私を。
「なあおう」
見下している。
「うわあああああああああああああああっ」
「どっ、どうしたんですか社長」
「ねこ、猫がねこがねこがあああああああ」
「猫なんてどこにもいませんよ」
「おいっ、ロケット持ってこい」
「は?」
「行くんだっ、俺も宇宙にいくんだっ」
「なにを言い出すんですか」
「負けちまうねこにまけちまうじゃないかあああ」
「うわあぶないからちょっとおちついてしゃちょう」
まけちまう
ねこ
ねこに
ばたり。
おしまい
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