第二十六話 黒猫ムーの正体(25歳 男 公務員) | ねこバナ。

第二十六話 黒猫ムーの正体(25歳 男 公務員)

本当なんですよ。信じてください。
事の起こりは、そう、猫です。
僕のうちに突然やってきた黒猫なんです。

玄関の前で、そいつは瀕死の重傷でした。真っ黒な毛が血にまみれて、とても痛そうでした。
ケンカに負けたのか、車に轢かれたのかはわかりません。とにかくひどい怪我で、急いで獣医さんに連れて行きました。
出血がひどいので、助からないかもしれないと言われたんです。
ところが、そいつは三日目にはほとんど回復して、ケージを叩いて餌をねだるくらいになっていました。獣医さんは信じられないと言っていました。
これも何かの縁と思い、僕はその猫、黒い雌猫を飼うことにしました。
野良猫にしてはトイレもすぐ覚えたし、よくなついたので、たぶん何処かの家で飼われていたのだろうと思いました。
家の中だけで飼っていて、とてもおとなしく、いたずらも全くしませんでした。
毎日餌の時間になると、自分で餌の皿を前足で叩いて知らせるので、利口な猫だなあと思っていました。

僕はその猫に「ムーンヌ」という名前を付けました。フィリップ・ラグノーのエッセイを読んだことありますか? ないんですか? それに出てくる黒猫の名前ですよ。もっとも、「ムーンヌ」なんて呼びにくいので、もっぱら「ムー」とだけ呼んでいましたけどね。
ムーは、包帯がとれてしばらくしてから、突然家からいなくなるようになりました。窓を閉め忘れたわけでもないし、外出するときに一緒に出てしまうわけでもないんです。
最初は、僕も家の何処か、例えばタンスの裏とか押入の中とか、そんなところに隠れているだけなのではないかと思いました。でも、やはりムーは外に出ているのです。なぜって、家の中にはない鳥の羽や、何かの虫の足のようなもの、果てはペンキやら奇妙な臭いのする薬品やらを身体につけてくるからです。
何度も戸締まりを確認しても、やはりムーは外出しているようでした。それでも僕は、不思議とムーを怖がったり、嫌ったりすることはありませんでした。もともと猫って動物はミステリアスで、何か人間の考えの及ばない世界を知っているように思われたからです。
僕の信頼が伝わったのか、ムーは外出していたとしても、必ず決まって、僕が仕事から帰ってくるとすぐに現れました。そして何事もなかったかのように身繕いをし、餌を食べ、僕の傍らで伸びをして眠るのです。
だから僕は何の心配もしていませんでした。

ある日、パソコンを開いてネットの記事検索をしていて、異変に気が付きました。
履歴の中に、今までアクセスしたことのない海外のサイトや、図書館、大学の蔵書検索の記録が残っているのです。
誰かが僕のパソコンを不正に遠隔操作しているのではないかと疑い、ウィルスチェックをし、プロバイダにも調べてもらいましたが、そういう不正なアクセス記録はないようでした。
また不正アクセスなら、クレジットカードや個人情報が危ないと思いましたが、そういう被害もありません。どうも奇妙なのです。
そんなことが一週間ほど続き、さすがにもうパソコンを買い換えるか、プロバイダを換えるかと思って帰宅した時です。
信じられない光景を僕は目にしました。

あのムーが、僕のパソコンを操作しているのです。
僕の机に向かって、椅子に腰掛けて、かちゃかちゃとキーボードを叩いて、マウスを操作して、鮮やかな手つきで。
まるで僕には無関心のまま、ムーは操作を続けていました。僕はただそれを呆然と眺めるしかありませんでした。

すると、ムーの手が止まり、僕の方を振り向きました。
「今日は早かったのね」

なんと、ムーは言葉を喋ったのです。
「驚かせてごめんなさい、少しずつ慣れてもらったほうがいいかと思って」

ムーはそう言うと椅子から降り、まるで人間のように、後ろ足で立ちました。
すらりと伸びた美しい肢体は、まるで映画に出てくる名女優のようでした。緑の大きな目は、魅力的で、じっと僕を見つめています。
僕は言葉も出ずに、その場にへたりこんでしまいました。

「今日で私の任務は終わり。これから母船に帰らなければならないわ」

僕はムーの言うことが全く理解できませんでした。母船って何だ?
「ああ、順序だてて話したほうがいいわね。私はこの星の生物ではないの。植民星を探す開拓団の工作員として派遣されたのよ。私達の外見が、この星の生物、あなたたちが呼ぶ「ネコ」に似ているから、潜入には好都合だったわ」
つまり、ムーは、彼女は宇宙人だというのです。
「私の他に工作員は多数展開して、この星に関する生態系や資源、生物の文化・技術レヴェルの情報を調べていたの。分析の結果、この星の植民星としての価値はあまり高いものではないけれど、生物実験には適しているわ。だから地上の生物数をある程度制限した上で利用することにしたの」
どういうことか僕には全くわからないまま、彼女の説明は続きます。
「あなたの情報端末を使って、この星にある大量破壊兵器や迎撃システムを全て操作不能にしたの。どうせたいした物ではないだろうけど、被害は最小限に食い止めないとね。で、近々母船から、生物を処理するための作業艇がこの星に向かってくるわ」
つまり、彼女らは、地球の生物を抹殺して、植民地にしようとしているというのです。
僕はまだ口もきけずにいました。ムーの顔を見つめたまま。

「母船の首脳部の決定では、ニンゲンは全て殺処分することになっているわ。でも、あなたは私に協力してくれたし、何より命を助けてくれたものね。だからあなたは生かしておいてあげる」
そう言ってムーは、僕の目の前まで歩いてきて、僕の胸のあたりを、ぽん、と叩きました。
「ここ、心臓の大動脈付近に識別ユニットを埋め込んでおいたの。だから作業艇の攻撃も、あなたを避けてくれるはず。明後日には生物処理作業が始まるでしょう。作業が全て終わったら、私がシャトルで迎えに来るから」
ムーは僕に顔を近づけ、目を細めました。そして恐怖と驚きで硬直した僕の顎を手で持ち上げ、
「じゃあね、私のおバカさん」
そう言って、瞬く間に消えてしまいました。

そうなんです。今日がその、処理作業の日なんです。嘘なんかじゃありません。夢でもないんですってば。
嘘だと思うなら、僕の身体を調べてみてください。ムーが僕の身体に仕込んだ識別ユニットがあるはずです。早くしないと、みんな殺される.....

  *   *   *   *   *

「どうだい、警察から回されてきた患者は」
「どうもこうもない。ただの誇大妄想としか思えないね。もっとも、会話に破綻がないところは注目すべきだが」
「しつこく、胸のあたりを検査しろと言ってたんだろ?」
「もちろんMRで検査してみたさ。何もないよ。ま、大動脈にくっつくように小さな嚢腫が見つかったがね。胸部専門のドクターに診てもらったが、ただの水ぶくれだ」
「そうか。じゃあD病棟で様子を見ることになるかな」
「そういうことだ。全くやっかいなものを...」
「どれ、遅めの昼飯でも食べにいくか」

「空がやけに暗いな...雨でも降りそうだ」
「向こうは晴れてるぞ」
「おい、何だあれ?」
「ん?」
「上だよ」
「雲じゃねえの?」
「違う...もっとでっかい....塊だ」
「鳥の大群...いやもっと、もっと多いぞ...な、なんなんだ一体」
「塊に...空が...覆われていく....」



おしまい





人気ブログランキングへ

にほんブログ村 小説ブログ ショートショートへ
にほんブログ村

いつもありがとうございます




トップにもどる