軍事と感染症危機に不可欠な「有事の国家戦略」
磯部 晃一 : 第37代東部方面総監、元陸将
2021年09月02日
感染症対策は国家が「総力戦」で対応するべきだが、収束の気配は見えない……
新型コロナ危機を「有事」と捉えつつ、こうした感染症危機に際しては、国家が「総力戦」で対応するべきという理論を提示した書『感染症の国家戦略 日本の安全保障と危機管理』(阿部圭史著)が、このたび上梓された。
大震災と原発事故という未曽有の大災害に自衛隊は約10万人を動員し、米軍も最大時1万6000人、艦艇約15隻、航空機140機が参加した2011年の東日本大震災。平常の災害出動とは全く異なる「有事」ともいうべき際に、当時、防衛省統合幕僚監部の防衛計画部長の職にあり、日米両政府・軍の連携調整にあたった磯部晃一氏が、「有事」に対応するための「国家戦略」を解き明かす。
国家戦略を欠いていた戦後の日本
「国家戦略」とは取り扱いに難儀なものである。これを国民受けする簡単なワン・フレーズに落とし込み、勇ましく振りかざし始めれば、国の将来を誤るおそれがある。
しかし、「国家戦略」は国家の向かうべき方向を示すもので、国家としてなくてはならないものである。周辺地域の情勢や世界のトレンドを冷静かつ客観的に見つめ、自らの立ち位置を明らかにし、現実に即した国家の利益を見極めて、国家を経営していかねばならないからである。ここには、透徹したリアリズムと同時に、国民国家としてのイデアリズムも加わってくるので慎重な取り扱いが必要である。
戦後の日本においては、「国家戦略」を声高に主張することはあまりなかったし、政府も主導的に「国家戦略」を規定してこなかった。
戦後復興期の日本は、「国家戦略」などという大それたことを考える余裕もなく、今を生きるのに精一杯であったのが実態ではなかったか。高度経済成長を謳歌していた時代は、経済発展を第一義に考えて、安全保障面ではアメリカの庇護のもとに、最後はアメリカに助けを求めればよいではないか、といった風潮があったであろう。
戦後の日本は敗戦による廃墟から立ち上がる際に、“戦争はもうこりごりだ、戦争など見たくない”という気持ちが強かった。それが日本人の心理に折り重なっていき、戦争や災厄を見たくない、考えたくないとなっていった。半世紀以上も続くと、多くの国民がワーストケースや戦争に蓋をしてしまったと言えるのではないだろうか。
東日本大震災のインパクトと「国家安全保障戦略」の策定
こうした他力本願的な日本人の心理に衝撃を与えたのが、2011年3月の東日本大震災であった。あの時、多くの日本人は、千年に一度という未曽有の巨大地震の前に呆然と立ちすくみ、その直後に発生した全電源喪失という原発施設であってはならない深刻な事態に直面した。放射性物質の拡散により東日本は分断されるのではないかと多くの人が危惧した。
あの頃から、日本人は、もしかしてワーストケースという事態は我々の身近なところにも潜んでいるのではないかと感じ始めたように思う。
震災から1年余の2012年12月の総選挙によって、第2次安倍政権が発足した。震災による国民の潜在的な危機意識も深層にある中、当時の安倍首相の強いイニシアティブにより、2013年に「国家安全保障戦略」が策定された。この閣議決定文書「国家安全保障戦略」は、戦後初めての政府としての「国家戦略」である。日本の「国益」を明確に規定したところに大きな意義がある。その国益を擁護するためにいかなる戦略を構築するかといった、普通の国が考えているアプローチを、日本として初めて採用したのである。
この頃から、ビジネス界等で使用される経営戦略といった戦略とは、次元の異なる国家としての戦略が国内でも次第に語られるようになった。
新たな「国家戦略」策定の時
2013年の「国家安全保障戦略」策定から8年ほどの時を経た。この間、世界の情勢も一変した。アメリカの庇護の下に経済的な繁栄を享受できる時代はすでに過去のものとなった。日本周辺諸国は、自国の主権を真っ先に考えて軍事力の増強に余念がない。
特に、共産党一党支配による権威主義的な国家体制を持つ中国は、著しい経済成長と軍備の増強が相まって、戦後の国際秩序に挑戦し続けている。
他方、自由と民主主義の雄、アメリカは「世界の警察官」としての役割をオバマ政権時に放棄した。2017年に就任したトランプ前大統領は、「メイク・アメリカ・グレイト・アゲイン」のスローガンを掲げ、単独主義的な傾向を強め、NATOなどの同盟国との協調関係をないがしろにした。
後を継いだバイデン政権は、国際協調を取り戻したかに見えるが、アメリカ国内の分断の傷は深い。加えて、アフガニスタンからの米軍撤退をめぐる混乱は、同盟・友好国に動揺を与え、中露などにはつけ入る隙を見せた。アメリカが今後どこまで国際問題にコミットするかは未知数になりつつある。
さらに、深刻化する地球環境問題や新型コロナウイルスに見られるパンデミックの発生は、人類共通の課題になりつつある。加えて、人工知能(AI)、量子コンピューター、5・6Gなどの先端技術をめぐる各国の熾烈な競争は激化する一方である。安全保障をめぐる状況は一層、複雑かつ複合的な様相を見せている。
戦略と言えば、外交、防衛を主体に策定するのが伝統的な考えであった。しかし、今や戦略は外交、防衛のみにとどまらず、経済・金融、先端科学技術、医療(パンデミック含む)、インフラストラクチャー、サイバー、宇宙など安全保障に密接に関連する機能が複雑に絡み合っている。かかる多くの機能を取り込んで「国家戦略」を考察すべき時代に入っている。策定からすでに8年が経とうとしている「国家安全保障戦略」は、国民的な議論を経て、総合的な視点で見直すべき時期を迎えている。
有事に例えられるパンデミック
一昨年から世界を席捲している新型コロナウイルスによる猛威について、これは有事だと例える評者が多い。仮にこのパンデミックを有事と捉えるならば、感染症の専門家や医療従事者は実際の有事における軍隊に当てはまる。
緊急事態宣言発出の際に、首相の記者会見に陪席する感染症対策分科会の尾身茂会長を見て、10年前を思い起こした。東日本大震災の際、北澤俊美防衛大臣の記者会見に陪席した折木良一統幕長の姿と尾身会長がダブって見えたからだ。折木統幕長は軍事専門家として北澤大臣を補佐した。同じく尾身会長は感染症対策専門家として首相を補佐している。
こうしてみると、感染症対策にもシビリアン・コントロールの原則が適用されていると感じる。軍事に優先して最終的には政治が判断するというのがシビリアン・コントロールの神髄だ。感染症対策においても、最終的に政治が責任を取るという原則が確立しているように思える。当然ながら、国家のリーダーは、感染症対策のみならず、医療全般、経済・景気、さらに外交や防衛などにも目を配らなければならない。最後に“こうする”という判断は国民の負託を受けた政治家が採るべきものである。
この政治が優先するというシビリアン・コントロールの原則は、実際の有事でも、パンデミックでも最も重要な肝となる。振り返ってみると、果たしてこれがどうであったのか。私は感染症の専門家ではないが、自衛隊の大部隊の運用や日米共同に携わった経験から見ると、2つの課題が浮かび上がってくる。1つは、このパンデミック対応にキャンペーン・プランはあるのか、という点、もう1つは、パンデミック全体を補佐できる体制はとれているのか、という点である。
「キャンペーン・プラン(全般作戦計画)」の必要性
キャンペーン・プランとは、何か商品などの売り出しの計画を指すのではなく、軍事作戦としての全般作戦計画を指している。そこでは、軍事的な観点で幾通りものシナリオを分析して、まずワーストケースに如何に備えるか、ということを考える。
パンデミック対応に適用するなら、医療崩壊に至る状況や新型コロナウイルスが市中に蔓延し制御不能に陥る状況がワーストケースに該当するであろう。それを如何に抑え込むか、そして万が一、そうなった場合に国として如何に対応するのかをベースにして対策を講じていくことがカギとなる。
そのためには、ワーストケースを見据えて重症者用の病床を如何に確保していくかの計画がまず必要である。2番目の制御不能に陥るワーストケースに対しては、全国知事会の提言にもあるように、「更に強い措置となるロックダウンのような手法のあり方についても検討すること」も含めて人流を徹底的に抑制することが必要になる。こうした法的な問題に関しては、細谷雄一慶応義塾大学教授が「『非軍事』の非常事態対処の法制がないこと」が課題であるとブログで指摘している。“備えあれば患いなし”の態勢を整備することが必要である。
次に、パンデミックの常として、数次にわたって感染の波が襲う長い戦いとなることに対して如何に備えるかである。第1波が収束すればそれで任務終了とはならない。次の波に備えて、第1波の対応を迅速に検証して、対策を講じていくことが重要である。キャンペーン・プランは、一度策定して終わりではなく、つねに検証され見直しを継続して作戦を成功に導くものである。
パンデミック対応全般の補佐体制
先に尾身会長と折木元統幕長を、専門家による補佐の例として挙げたが、お二人には決定的な違いがある。軍事専門家たる統幕長には、人事、情報、作戦、兵站、指揮通信、法務等の機能別の幕僚が補佐する体制が整っている。したがって、実行の可能性の観点も含めて総合的に意見を述べることが可能である。
軍事作戦を遂行する上でも、感染症対策を遂行する上でも、作戦を成り立たせるのは人であり兵站である。昨年5月、アメリカでは当時のトランプ大統領が「ワープ・スピード作戦」と名付けた、ワクチン開発の官民によるプロジェクトを立ち上げた。21年1月までに3億人分のワクチン開発を目指す画期的かつ野心的なプロジェクトであった。
この際、私が注目したのは、その責任者2人の人選であった。1人はまさにワクチン開発の専門家である大手製薬会社の役員がチーフ・アドバイザーとして就き、もう1人はロジスティクスの専門家である陸軍資材コマンド司令官の現役陸軍大将が最高執行責任者(COO)として就いた。ここでは、ワクチン開発が製薬会社のみで完結するものではなく、供給網も含めロジスティクスの重要性を如実に物語っていた。
このように、パンデミック対応は感染症に特化した対策に限らず、感染症対策を講じながらワクチンの開発やパンデミックの影響を最小限に抑えていくオペレーションである。感染症という極めて特異な有事であるが、感染症対策はもとより、ロジスティクスや人的資源の有効活用など総合的な視点で政治を支える体制を整備して、多くの知見を活用して対応することが肝要である。
阿部圭史氏との出会い
今年1月、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)の紹介により、阿部圭史氏に初めてお目にかかった。コロナ禍の中、翌日にはジュネーブの世界保健機関(WHO)に復帰するという。一体、私に何かお手伝いできることなどあるのだろうか、と思った。
しかし、『感染症の国家戦略』の元原稿を読ませていただき、そして、阿部氏の感染症の危機管理に対する問題認識や熱意を直接うかがい、“これは世に出すべきだ”とお勧めした。すでに本稿で述べたとおり、有事という軍事的な発想・知見を踏まえた上で感染症対策のキャンペーン・プランを確立する必要があると考えていたからだ。そして、阿部氏のように感染症対策の専門家であると同時に軍事作戦に通底するロジスティクスや人材育成の重要性を理解し、運用できる人材が日本にはもっと必要だと思ったからである。
本書が医療・政府関係者はもとより、多くの方々に読まれることを期待してやまない。