彦根では、井伊の殿様とひこにゃんでしょ。(ひこにゃんって実は♀?) | にゃにゃ匹家族

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ねこ家族のつれづれと折々のことなど綴ります。

5月。快晴の空。
彦根を訪れました。
琵琶湖は、風が少しあるせいか、水うち際はちいさく波立っていますが、青い湖面はおおむね静かです。
向こう側には、比良の山影がかすんで見えている。


古くは「淡海(あわうみ)の国」と呼ばれた近江。
「あわうみ」がいつしか「おうみ」とよばれるようになったんですね。
今、新緑と青く静かな湖面が美しい季節です。

小舟が一つ、何を釣っているのでしょう。
カイツブリが数羽、所在なげにたゆたっている。
淡海は、のんびりとした風情です。



宿で自転車を借りて、彦根城へ。
お城のお濠は、満々と水をたたえ、
お堀端では、春の陽をあびて釣り糸を垂れている人、人・・
たまに、鷺が羽を休めていたり、
ここは、みんなの憩いの場所なんですね。


お濠に枝垂れるいろは松と呼ばれる松の並木沿いに歩いていると、

井伊直弼公の歌碑がありました。

あふみの海 磯うつ波の いく度か 
     御世にこころを くだきぬるかな


幕末、黒船がやってきて日本が開国か攘夷かで大揺れに揺れていた動乱の時代、
江戸幕府の大老として、日米通商条約を調印、日本の開国を断行した井伊直弼は最後は桜田門外で水戸浪士らの凶刃に倒れます。
「安政の大獄」では、反対派を次々に粛清し、その強権ぶりは悪役、強面のイメージですが、彦根藩主時代は、名君として知られたようで、和歌や禅など文化の素養も高く、もし大老に押されていなければ、彦根の名君として静かな生涯を終えていたかもしれません。

歌は、故郷の寄せては返す琵琶湖の波の情景を思いつつ、大老就任以来、幾度となく押しよせる難問に対し、ただただ国の行く末のみに心を砕いたのだと率直にうたわれています。
多くの人を粛清弾圧したこともあったが、国の行く末を背負っている身としては、一片の迷いも悔いもなく、全身全霊でその職務に打ち込んだのだという誇りがうかがえます。

幕末という動乱期とは、このような豪胆でかつ無欲な人物を必要としたんだと思われます。

お濠には、白鳥もいて、やぐらの白壁に映えますね。


彦根城の天守閣は、三層とやや小ぶりですが、屋根の曲線や破風の組み合わせが独特で、
白い壁が青葉に映えて美しかったです。


天秤櫓(てんびんやぐら)白壁と石垣が端正です。


登城も無事に済ませて、それでは、ひこにゃんを見なくっちゃ。
博物館のお庭の奥、小さな門が開いて、ひこにゃんの登場です。

じゃーん

階段をのぼるのにちょっと手を貸してニャン

ほとんど2頭身のひこにゃんは、狭い廊下をまがるのもゆっくりです

みなさん。こんにちは

軽~くステップ

鈴をリンリンリン

日の丸を取り出して(この日は祝日だったので)

ゆる~くダンス



ホントにホントにかわいいひこにゃん。
それはそうと、ひこにゃんって兜かぶっているけど
女の子だったぁ?(所作や雰囲気は完全に女の子。いや、ホントに。)