蓮の花が咲いてます。ニャンたちは一蓮托生。 | にゃにゃ匹家族

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ねこ家族のつれづれと折々のことなど綴ります。

ウチの地元は、ちょっとしたレンコンの産地。
ということで、この季節、蓮の花が咲き始めています。


レンコンのほかに、これといった特色もないから、
地元のゆるキャラは、レンコンをおなかにつけたネコ
「ガラスケ」


ゆるキャラとしては、ごくフツーにオーソドックスなのだけど、
由来となった地元の昔話では、「元祖招き猫」ということになっています。
 かどまの民話「おすまさんと笑い猫」

たしかに、ガラスケは、招き猫の王道、三毛猫だし、
今は亡きたま駅長にも、少しは似てるかな?




梅雨空の下、この前までは、一面、泥の池だったのが、
気がつくと、大きな丸い蓮の葉に覆いつくされ、その間から、
すっくりと擬宝珠(ぎぼし)のようなつぼみがのびている。
場所によっては、花開いているところも。



かわいらしいピンクのはすはな。

仏様がすむ極楽浄土のお池には、色とりどりのはすはなが
光を放って咲き乱れているという。

仏さまは、蓮の花の台座にのっておられるし、
エジプトの太陽神ラーは、宇宙蓮より生まれたという。

前々回に載せた画像ですが、ラーが美しいのでまた載せます。



蓮の花に乗っかるのは、神様や仏様ばかりではありません。

人間だって、善男善女は、
極楽に往生すると、蓮の花の上に身を寄せることになっています。

たまに、耳にする四文字熟語「一蓮托生(いちれんたくしょう)」は、
そういう浄土の教えからきています。

死んでから、浄土にいき、同じ蓮の花の上に身を寄せる。
 一つの蓮花に、ともに身を託すということで、
「一蓮托生」。

普通は、なにがあっても、生死、運命を共にするという
意味になります。

「もう、こうなってしまっては、おれとおまえは一蓮托生だぜ」

ドラマの中で、追い詰められた泥棒が、そんなセリフを言っていたような。

一緒にお外を見上げるニャンたち

コチャがシロを、シロがハナコをペロペロします
みんな、一蓮托生だニャー。


また、日本固有の現象ともいわれる「心中」も、
あの世でともに成仏し、一つの蓮に身を寄せるという
「一蓮托生」を、信じて願ってのこと。

有名な心中物語 近松門左衛門の「曽根崎心中」では、
抜き差しならないしがらみにがんじがらめにされ、
友の裏切もあって、
死ぬしかないところまで追い込まれたお初と徳兵衛の実話です。

二人は、死出の道行の中で、言っています。

神や仏に掛置きし
現世の願(がん)を今ここで。
未来へ回向(えこう)し後の世も
なをしも一つ蓮(はちす)ぞやと。


(現代語訳)
これまでずっと神や仏にお願いした
この世で夫婦となる願いを今ここで
未来に成就するように差し向けて
なおいっそうあの世で同じ蓮の花の上で生まれ変わりましょう



若くして死にゆく無念さはいかばかりか。

また、残される親兄弟に思いが至れば
後々世間からどのようにいわれるか―と。

二人は、底知れぬ煩悶と絶望の淵に沈みます。

そして、剃刀を、愛する人の肌に突き立てねばならない苦悶。

壮絶な死にざま。

しかし、その真っ暗闇の絶望のなかで
二人が、光り輝く浄土に美しく開く大輪の蓮の花を見ていたとしたら

私は、少し、救われた気持ちとなります。


泥の中から、清浄な花を咲かせる蓮は、やっぱり
特別な花なのですね。