邪馬台国論争 韓と韓国⑥ 漢委奴国王の金印と魏志の韓国
【 漢委奴国王の金印 】
過去記事で、「磔刑後に蘇生を果たしたイエス・キリストは、後漢の光武帝の元(洛陽)へと政治亡命し、その後西暦57年に倭の奴国へ渡った。そしてその証しが志賀島で出土した『漢委奴国王』の金印である」と措定しました。
- 漢委奴国王 ⇒「漢は(金印=イエス・キリスト)を奴国王に委ねる」 又は 「漢は王・キリストを奴国に委ねる」と読む。
通説ではこの金印は後漢書が記す「建武中元二年(西暦57年)に倭の奴國が光武帝から賜った印綬」の事だとされます。
この措定の元では、西暦57年に後漢の使節団が「漢委奴国王」の金印を携えて、イエス・キリストと共に倭の奴国に渡来した事になります。では後漢の使節団はどのようなルートで倭の奴国へ渡って来たのか?と言う疑問が出て来ます。
撮影 西宮戎神社 画像と記事は関係ありません
【 魏志倭人伝の韓国 】
別の過去記事で、魏志倭人伝の「郡から倭へ至る行程記事」の冒頭に記される「韓国」を、現在の「台湾」に措定し、その2つの国名を繋げれば、「漢倭奴国王(イエス・キリスト)」を示し得ることを見ています。
- Ti⇒聖書「テモテへの手紙の略字」と考える⇒「テモテへの手紙」はゲマトリアから黙示録の象徴となり得る⇒黙示録は王・キリストの象徴となり得る
- Taiwan+Kankoku ⇒ Kan.wa.na.koku+Ti ⇒ 漢倭奴国王(イエス・キリスト)
このことは魏志倭人伝の冒頭に記される「韓国」が、志賀島から出土した「漢委奴国王の金印」の象徴となり得ることを示しています。
撮影 神戸メリケンパーク 画像と記事は関係ありません
【 結論 】
倭の奴国が後漢の光武帝から賜った金印の文字「漢委奴国王」と、魏志倭人伝がその冒頭に記す「韓国」が示す「漢倭奴国王(イエス・キリスト)」の類似は、魏志倭人伝がその冒頭に記す郡から倭への行程が、西暦57年のイエス・キリストの倭の奴国への渡来ルートと同じであった可能性を示しています。
- 結論:魏志倭人伝が記す郡から倭への行程ルートは、西暦57年に後漢の使節団がイエス・キリストと共に、漢委奴国王の金印を携えて倭の奴国に渡来したときの行程ルートでもある。