邪馬台国論争 ジャワ、スマトラ説

 

 

先日、久しぶりにバザーに行って、本を2冊(まぼろしの邪馬台国・宮崎康平著、失われた九州王朝・古田武彦著)買ったが、嬉しいことに本の中に内田吟風氏の邪馬台国に関する古い新聞(朝日新聞・1975.01.27と思われる)の切り抜きが挟まっていた。内田氏は神戸大学名誉教授(アジア史)を務められた方で、邪馬台国に関して「ジャワ、スマトラ説」を唱えておられた。

そこでさらに南下して朝鮮より五千キロの地点に邪馬台国を探し求めると、ここはまさにジャワ、スマトラの大スンダ列島である。

撮影 西宮戎神社 画像と記事は関係ありません

 

1975年当時に神戸大学の名誉教授が、邪馬台国が海外にあったと主張しておられたことがこの切り抜きから分かる。魏の1里は約434mだから、万二千里だと概ね5000kmになるから、内田氏の考えは至極当然のように思える。そして記事の最後の方には次のように記されている。

要するに魏志、後漢書の邪馬台国記事はダイスンダ列島を中心とする南洋熱帯圏の事物であって、日本または大和とは何の関係もないのである。

撮影 サンシャインワーフ神戸 画像と記事は関係ありません

 

個人的には邪馬台国論争を「アナグラムやゲマトリア」の視点から見ているが、現時点ではニューギニア島が重要な意味を持つ様に思える。混迷を深める邪馬台国論争の鍵は、「邪馬台国は日本にあった説」の半ばの前提条件化を解除し、海外説を再度見直すことにある様に思う。言葉を変えると、全30巻ある三国志の中の第30巻目の「烏丸鮮卑東夷伝倭人の条」に限って、1里77m~78mとされる短里を、撰者の陳寿、注釈者の裴松之が何も言及していないにもかかわらず、適用することに根拠があるの?と言うことだと思う。短里の否定は、そのまま邪馬台国日本説の否定に繋がるのだから。