漢委奴国王の金印 「なぜ志賀島へ埋めたのか?③」

 

 

アビーロード発売直後に「ポール・マッカートニー」死亡説が流れた。もちろんデマであったが、発端はアイオワ州ドレイク大学の学生新聞だったとされる。「死のデマ」を”Death Hoax”というらしいが、イエス・キリストは西暦30年に磔刑により死んだという定説はどうなのだろう?と思ったりする。

 

 

西暦57年に倭の奴国は後漢の光武帝から印綬を賜っている。

建武中元二年倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武印綬

その印綬は、天明4年2月23日、福岡市の志賀島で発見された「漢委奴国王」と彫られた金印だとされる。そしてこの金印は磔刑後に光武帝の元に逃れたイエスが、西暦57年に(後漢の都洛陽)から、倭の奴国王の下へ身柄を委ねられた証しだと、過去記事で措定している。

奴国王は(金印=イエスの象徴)を奴国王ねる

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その金印がなぜ志賀島に埋められていたのか?は過去記事で次のように書いている。

  • Shika no Sima himiko + sasan ⇒ 卑弥呼+ササン
  • Shika sima shaka +i.sm.i釈迦+9(32)9

これらは卑弥呼、ササン朝ペルシアの名祖ササン(ゾロアスター教の高僧)、仏の世界(釈迦+9.32.9)の中にイエスの教え(聖書)を融合させたことを意味している様に思える。ここからは倭の奴国が仏教、キリスト教、ゾロアスター教などの混合宗教国家であった可能性を暗示している様に思える。

 

金印が埋められていた場所は「福岡県福岡東区志賀島ノ浜あたり」だと比定されている。過去記事で志賀島は見ているので、「福岡」と「叶」に付いて見てみる。

"Death Hoax"は「死のデマ(誰かの死を意図的に報告し、後で真実ではないことが明らかになること)」をいう。漢委奴国王の金印(イエス・キリストの象徴)を福岡市の志賀島に埋めたのは、磔刑によるイエスの死はデマであったことを示すためであったように思える。

 

叶に付いて見てみる。

  • 叶⇒”0”+””⇒霊+十字架⇒十字架上の霊
  • 叶⇒”O”+”十”⇒王+十字架⇒十字架上の王

いずれにしても「叶」の文字は「十字架上のイエスの象徴」となり得る。

 

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全て推測だが結論としては次のようになる。

  • 「叶」と「福岡」を繋げると「十字架上のイエスの死はデマである」事の象徴となり得る。
  • 「漢委奴国王」の金印と、その埋められていた場所である「福岡+叶」の文字は、イエスは磔刑で死んだのではなく、57年に倭の奴国へ渡ってきたことの可能性を、暗示している。