倭国王の名前とイエス・キリスト

 

 

【 序 】

過去記事で概ねこのように書いています(あくまで仮説ですが)。

  • 西暦30年、イエス・キリストは磔刑後の仮死状態から復活し、洛陽の光武帝の元に政治亡命した。
  • 光武帝が崩御した西暦57年に、イエス・キリストの身柄は倭の奴国王に委ねられた。この証しが、1784年2月23日に博多湾の志賀島で発見された「漢委奴国王」印である。

このことを前提にすれば「倭国、とくに倭の奴国」はイエス・キリストと強く結びついていると考えられます。これを踏まえて、以下で倭国王の名前を見てみます。

 

撮影 鶴見緑地(ハワイ関係のイベント) 画像と記事は関係ありません

 

【 倭国王・帥升 】

中国の歴史書で最初に登場する倭国王は、107年に後漢に朝貢した「帥升すいしょう」だとされます。帥升のアナグラムにギリシャ語の略語で「イエス」を表す”Ihsous”があります。

この”Suisho”と”Ihsous”のギリシャ語ベータコード(Greek Beta Code)は"888"を示し、ギリシャ語のイエス”Ιησούς”のアイソセフィ(Greek Isopsephy)も当然ですが”888”を示します。(こちらの計算機で確認できます)

以上から倭国王の帥升という名前のルーツはギリシャ語のイエス(Ihsous)にある可能性が高く、このことは磔刑後に復活したイエスと倭国との繋がりを暗示するものであるように思え得ます。

 

【 阿毎多利思北孤・阿每多利思比孤 】

隋書俀国伝に俀王・阿毎多利思アマタリシホコが記述されています。これをヘボン式でローマ字化すると「"english"ゲマトリア」が888を示します。

北史では阿每多利思アマタリシヒコとして記述されています。これをヘボン式でローマ字化して3種ゲマトリアを見ると、同じ数値を示すものに「"Magdalen Christ"マグダラのマリア+キリスト」がある事が分かります。

以上から倭国王・阿毎多利思孤・阿每多利思と言う名前は、イエスそしてキリスト+マグダラのマリアを象徴し得ると考えられます。このことは磔刑後に復活したイエスと倭の奴国との繋がりを暗示するものであるように思え得ます。

 

なおここでは直接関係しませんが、阿毎多利思孤・阿每多利思孤と言う名前は、「卑弥呼"Himiko"」を含んでいることには意味があるかもしれません。

また阿毎多利思孤・阿每多利思孤と言う名前の中に「阿摩羅識"amarashiki"」が含まれていることは重要かもしれません。

  • 阿毎多利思Amatarishihoko:Amarashiki+hoto⇒阿摩羅識+ホト
  • 阿每多利思Amatarisihiko: Amarasiki+hito(tiho)⇒阿摩羅識+人(千穂)

このことは、イエス(聖書)の教えの根底には唯識思想があり、倭王の名前は、イエスの教えが阿頼耶識を阿摩羅識へ昇華させることにあった事を示している様に思えます。このことを端的に示しているのが阿頼耶識(Alaya-vijnana)のゲマトリアが「獣の数字666」を示していることだと思います。

 

画像と記事は関係ありません

 

【 結論 】

倭王・俀王には帥升、阿毎多利思北(比)孤の他に、卑弥呼、倭の五王(讃・珍・済・興・武)がありますが、これらの名前もイエス・キリスト(聖書)を念頭にするものだと考えられます(概ねは過去記事で見ています)。

以上から倭国王の名前は、イエス・キリストもしくは聖書と深く結びついたものであり、このことは磔刑後に復活を果たしたイエス・キリストが、西暦57年に中国から倭の奴国に渡った可能性を示している様に思えます。

  • 志賀島で発見された「奴国王」の金印を奴国王に(金印を)ねる」と読む。
  • 金印はそのつまみ(鈕)の形状からイエス・キリストの象徴だと考えられる。
  • 金印をイエス・キリストに置き換えると「漢委奴国王」は、「漢は奴国王に(イエス・キリストを)委ねる」と読める。
  • この金印を西暦57年に倭の奴国王が光武帝から賜った印綬だと考えれば(定説)、イエス・キリストが倭の奴国に渡ってきたのは西暦57年だと考えられる。