聖徳太子 ゲマトリア② 「隠された神の子」

 

 

【 序 】

前回の記事で聖徳太子の為政の背後には"1117"と言う数字があり、"1117"は「西暦⇒皇紀」を使うと"1777"に変換できることを見ました(西暦1117年=皇紀1777年)。以下これをもう少し詳しく見てみたいと思います。なお皇紀は神武天皇即位紀元のことで、初代神武天皇の即位年(西暦前660年)を皇紀元年とする紀年法です。

 

撮影 阪急苦楽園口駅 近くの夙川沿い 画像と記事は関係ありません

 

【 1777の意味 】

"1777"を"1"と"777"に分けて考えるてみます。

  • 1(A):救世主イエス・キリストの象徴となり得る。
  • 777:「十字架」及び「天・地・神(創世記1:1)」の象徴となり得る。

"1777"はまさに「十字架(777)上のイエス・キリスト(1)」の象徴となり得る数字です。これに、重複使用になりますが"777"が象徴する「天・地(人)・神」を加えると、"1777"は「十字架によるイエスの死が、地(人)を天と神に繋ぐ」ことの象徴となり得ます。

したがって聖徳太子の政治理念は大乗仏教を根底に置きながらも、その背後に「十字架上のキリストによる人々の魂の救済」を潜ませたものであった可能性が考えられます。そもそもイエス・キリストの教え(唯識的な思想や救世主思想)がなければ、大乗仏教は成立し得たのだろうか?と思ったりします。

 

【 西暦と紀元 】

ここで重要だと思えるのは、"1777"と言う数字を得るのに「キリスト紀元(西暦)を神武天皇即位紀元(皇紀)に変換する必要があった」と言うことです。この変換は西暦と皇紀そして、イエス・キリストと神武天皇の繋がりを暗示するものである様に思えます。これだと皇紀元年が西暦前660年である理由は、聖書が全部で66巻(旧約39,新約27巻)あること、そして第66巻目がヨハネの黙示録である事にその理由があると考えられます。皇紀とは66巻ある聖書の教え、そして黙示録の救世主思想を引き継いだ紀年法であるのかもしれません(全くの推測ですが)。

 

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【 出生 】

聖徳太子(厩戸皇子)とイエス・キリストの出生に関する伝説には幾つかの共通点があります。例えば受胎告知(西方の救世観音菩薩と天使ガブリエルによる告知)、生誕場所(宮中の厩の前とベツレヘムの厩)などがあります。これらのことは聖徳太子の背後にイエス・キリストが潜んでいる可能性を示しています。この事を念頭に、聖徳太子の生母である穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)の数値を見てみます。ローマ字化して3種ゲマトリアを見ると、同じ数値を示すものにヘボン式だと”The Hidden Son Of God”があり、訓令式だと”a messiah is coming”があることが検索で分かります。

この2つを繋げると「隠された神の子、救世主が出現なされる」位の意味になるかと思います。日本古代史の編纂者は、「厩戸皇子は神の子・救世主としてこの世に出現なされたのだ」という意味を生母・穴穂部間人の名前の中に持たせたのかもしれません。