邪馬台国論争 パプアニューギニア

 

 

【 序 】

前回の記事で旧唐書が、倭国のある場所として記述する「京師(現在の西安)から一萬四千里の新羅の東南の大海の中」は、現在だとパプアニューギニアおよびビスマルク諸島に該当する可能性があることを見ました。

倭國者、古倭奴國也。去京師一萬四千里、在新羅東南大海中

では他の中国史書の記述も見てみます。

魏志倭人伝

倭人、在帶方東南大海之中

自郡至女王國 萬二千餘里

魏志倭人伝では、「倭人は帶方群の東南の大海之中にあって、女王国までは12、000里」と記されています。魏の時代では1里=434mとされますので、女王国は帶方群(朝鮮半島)から5200km(434km×12、000)ほどの、東南の大海の中にあることになります。これをGoogleマップで探すとこれもパプアニューギニアおよびビスマルク諸島近辺であることがわかります。

 

<梁書>

倭者・・(略)・・俗皆文身、去帶方萬二千餘里、大抵在會稽之東、相去絕遠

(私訳)倭の者は・・・皆が、体に入れ墨をしていて、帯方郡を去ること万二千余里の會稽之東にあるが、あまりにも遠く離れている。

この記述を素直に(1里434m前後と)読めば倭者は、ここでも「現在のパプアニューギニアおよびビスマルク諸島」を示していると考えられます。梁書での注目点は「相去絕遠(あまりにも遠く離れている)」の4文字があることです。(短里、すなわち1里70~90mとした場合)倭者の位置は日本になり得ますが、日本は帯方郡もしくは梁の首都から見て「絕遠」なのだろうか?という疑問が出て来ます。日本に比べてパプアニューギニアなら「絕遠」と表現してもいいように思えます

 

画像と記事は関係ありません

 

【 パプアニューギニア 】

倭に関する中国の史書の記述が現在のパプアニューギニアを示す可能性を見ましたので、以下でパプアニューギニアという国に付いて見てみます。

 

現在のパプアニューギニアの人々が何を信仰しておられるのか?を調べると、「国民の95%がキリスト教」だと言う記事をネット上に見ることが出来ます(オリーブ山通信)。この記事では「パプアニューギニアにキリスト教が伝えられたのは19世紀以降で、わずか150年ほどの間に、国民のほとんどがキリスト教になった。」と記されています。そして国教はキリスト教だといいます。150年でほとんど全ての国民がキリスト教徒になった?なぜこんなことが起こりえたのだろう?と個人的には不思議に思います。

しかしもしパプアニューギニアの人々の間に、古来よりキリスト教信仰の土台が存在していたとすれば話は別です。あくまで私措定ですが、西暦57年に磔刑から蘇生したイエス・キリストがむかった倭の奴国が、もしパプアニューギニアにあったとすれば、イエスキリストの教えが古来より、人々の心に受け継がれていても不思議ではない様に思えます。

 

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【 魏志倭人伝とポリネシア語 】

ある方のサイト(ポリネシア語で解く日本の地名)では、魏志倭人伝には「当時の倭語による人名、地名、国名、官職名や倭人社会で使われていた民俗用語など計56語」が含まれていて、これに対して「ポリネシア語による解釈」を試みておられます。例えば「邪馬臺(やまたい)国」は、マオリ語の「イア・マタイ(IA-MATAI)」のことでは?と提案しておられます(古典編(その4)16邪馬台国邪馬台国)

このことは中国へ倭から朝貢に訪れた使者がポリネシア語、マオリ語を話していた可能性を示しています。つまり倭がオセアニア州(オーストラリア、ニュージーランド、ポリネシア,ミクロネシア,メラネシア)と関係の深い国々であった可能性です。