邪馬台国論争 長里と短里

 

 

【 魏と唐の1里 】

いわゆる邪馬台国論争で決定的に重要なのが、1里が何mなのか?ということ。中国の度量衡基準単位では「1800尺=1里」だとされ、1尺が何㎝かは時代により変化する。例えば魏尺では「1尺=24.12㎝」で、唐尺には大尺と小尺の2種類があり大尺が30㎝、小尺が24.6㎝だとされる(コトバンク)。まとめると次のようになる。

  • 魏尺:1里=434m(24.12㎝×1800=43、416㎝=434m)
  • 唐の大尺:1里=540m(30㎝×1800=540m)
  • 唐の小尺:1里=442m(24.6㎝×1800=442m)

三国志との関連を考えれば、唐書での1里は小尺の442mと考えていいように思う。

 

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【 短里 】

しかし1里を434m(魏)や442m(唐・短尺)に規定すると、倭国や女王国が現在の日本にはなかったことになってしまう。そこで登場するのが短里と言う概念で、魏志倭人伝では1里が70~90m位だとされる。しかし個人的には、30巻ある三国志の中の倭人伝だけが、この基準を使っていると考えることには不自然さを感じる。

 

【 旧唐書 】

具体的に旧唐書の記述に見てみる。

<旧唐書>

倭國者、古倭奴國也。去京師一萬四千里、在新羅東南大海中

倭国とは、古の倭の奴国である。そこは都の長安(現在の西安)から一万四千里の、新羅(朝鮮半島)の東南の大海の中に在る(私訳)

留意点は次の2つ。

  • 倭國(倭国者)は新羅(朝鮮半島)の東南の方角の大海の中にある。
  • 倭国は長安(現在の西安)から一万四千里の所にある。

<日本説>

Googleマップだと、西安から直線距離だと九州までは約2000km、奈良だと2400kmほど。もし倭国が日本にあったとすれば1里は143~171m(2000km/14千里~2400km/14千里)でなければならず、唐代の1里442mとはかけ離れた数値になってしまう。これを根拠なく短里だとすることはあまりにも恣意的であり、かつ三国志・倭人伝の短里とされる1里70~90mとの間にも矛盾が生じてしまう。短里に関して個人的な結論として残ったのは、「倭国は現在の日本に、本当にあったの?」という素朴な疑問だけ。

 

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<海外説>

倭国が日本に在ったという前提条件を捨てて、素直に旧唐書の引用文を読むと、倭国は新羅の東南にあり、現在の長安から6188km(442m×14千里)ほどの距離にあったことになる。これをGoogleマップで探すとパプアニューギニアもしくはそのすぐ東のビスマルク諸島あたりと言うことになるかと思う。

 

<結論>

倭国がパプアニューギニアにあったのかどうかは別にして、ここでの結論としては、倭国が現在の日本に在ったという前提条件を取り除くと、短里という概念そのものが根拠を失うのでは?ということ。